第35話 ポチの正体1

 通称ポチを村に連れ帰ると、グランヴィル騎士団の面々は大変に驚いた。突如現れた黒づくめの男に警戒心を隠そうともしないクレイドたちではあったが、藍華が落とし穴に落ちたところを助けられたと説明すれば、その態度をいくらか軟化させた。


「名は……ポチだ」

「ポチ殿か。アイカを助けてくれてありがとう」


 というか、その名前で押し通すらしい。お気に召さなかったようなのに、どういう心境の変化なのか。もう少し考えて名付ければよかった。いや、イカ墨よりはましだったと思おう。


 そうこうしている間も会話は続き、なぜだかポチは旅の傭兵ということになり、ひと晩泊まることになっていた。


 山の反対側から来たと言うポチの言葉に騎士たちが頷いている。どうやらこのあたりの山の地理に詳しいらしい。そのせいで話に信ぴょう性がついてしまっているのだが、彼はそもそも人間ではないのだ。


「ポチ殿は、黒竜の痕跡などは見たのだろうか?」

「特には」


 ポチの返事に騎士たちが銘々意見を出し合う。

 そんな風に午後が過ぎていき、討伐隊による明日の作戦会議が開かれた。藍華も部屋の隅で会話を聞いている。


 ポチは村の子どもたちにまとわりつかれていて、動きがカチコチになっていた。普段子供と接することがあまりないらしい。


 会議も終了に近付いた頃合いに、村に馬車が到着した。

 騎士たちが寝泊まりしている家の扉が不躾に開かれる。


「リウハルド伯爵か」

「我らも今日からこの村に逗留することにした」


 リウハルド伯爵は明らかに苛立っている。声も態度も不機嫌さを隠そうともしていない。


「まったく、ベレイナ王国が誇るグランヴィル騎士団と王宮魔術師団が聞いて呆れますな。黒竜を探し出すことすらできないとは」


 騎士団の何人かが気色ばむが、伯爵の指摘は事実を述べていることも確かで、クレイドが静かに制する。


「とまあ、そういう訳でして。私も個人的に魔法使いを雇いました」


 ローブを纏った者が伯爵の後ろから進み出た。頭をすっぽりと覆う灰色のローブを取り外し、姿を見せたのは三十代頃の男性である。褐色の髪はやや長めで目元を覆い隠している。


「明日からはこの男、マールブレンも同行させよう。腕は折り紙つきだ。何しろ、私が磁器時に雇ったのだからな」


 何その自信、と藍華以外にも考えたに違いない。だが、伯爵はそんな視線に気付くことなく機嫌よく笑いながら家から出て行った。




「つーか、伯爵がこの村に来るとか、正直面倒」


 リタは正直だった。何しろ、この村はいたって普通の村である。伯爵のように贅沢に慣れきった人間が逗留することを想定して作られてはいない。結果、しわ寄せは別の人間に行くものだ。


 リウハルド伯爵は当然のようにこの村で一番に上等な部屋を提供するよう要求し、協議の結果藍華たちは村に一つある教会に身を寄せることにした。

 おそらくクレイドも四六時中リウハルド伯爵の相手をすることを面倒だと感じたのかもしれない。あっさりと村長宅から出ることを決めた。


「でも村長宅に一つ屋根の下であのおっさんと過ごすのも嫌でしょ」

「それはもちろん!」


 同室の女性魔法使いの指摘にリタが即答する。教会の小さな部屋に藍華たち女性陣が寝泊まりをすることになり、騎士たちが寝台を運び込んでくれた。少々狭いが、伯爵と一つ屋根の下よりはいいと思ってしまうくらい、藍華も彼のことは苦手に感じている。


 当初リウハルド伯爵は「聖女様はこの家に残ってください」と主張したのだ。背筋が泡立ったのは気のせいではない。


 下心とかそういうものではないが、彼の側にいれば自分の力がいいように使われるのでは、という懸念がある。

 これはあれだ。部下の手柄を自分のものにして出世をする役職持ちと同じ構図だ。異世界に来てまでそういう小物の駒にはなりたくない。


「クレイドさんたち、教会の礼拝室で寝泊まりすることになって……大丈夫かな。よく眠れるかな」

「野営よりははるかにましだから気にするなって言っていたし。きっと伯爵だってすぐに飽きて帰るわよ。ここ、田舎だし」

「確かに」


 リタたちが身も蓋もないことを言い笑い合う。


 おしゃべりをしつつ三人は眠りについた。

 夢の中で、藍華は誰かに呼ばれた。誰だろう。聞いたことのある声だ。ふわりと意識が浮上して、藍華はベッドから抜け出した。


(あれ、いつの間に起きたんだろう?)


 ふと疑問に思うが、頭の隅に浮かんだそれは泡のように消え去り、藍華は気がつくと上空にいた。まだ夢の中なのだろうか。ずいぶんとリアルな夢だ。


「起きたか」

「え……ええぇぇっ⁉」


 ごつごつしたものの上にいると思ったら、それは空を飛んでいた。黒いうろこのようなものがある。真っ暗な地上とは反対に、上を見上げれば満天の星空があった。

 これは一体なんだ。何がどうなっているのか。口をはくはくさせるも、驚きの言葉以外何も出てこない。


 夢の続きに違いない。藍華はすぐに思い至った。あまりにも非現実的だからだ。

 しばしの空の散歩の後、藍華を乗せた何かが高度を下げた。ジェットコースターに乗っているようなときの感覚が妙に生々しい。などという感想を持ったのも束の間、気がつくと藍華は崖の上にいた。


「ここは……」


 寝間着姿のまま藍華はぼんやりとあたりを見渡した。星の瞬きのせいか、周囲の影がぼんやりと浮かんで見える。暗い影は木々のものだ。藍華は足元を見た。裸足のはずなのに地面の冷たさを感じなかったからだ。


「浮いてる?」


 地面と藍華の足の間に数十センチほどの距離がある。


「我とて靴を履いておらぬ人間の娘に対する配慮くらいある」


 声が降ってきたと思えば、藍華の目の前に人間の姿をしたポチがふわりと舞い降りた。


「ええと、どうしてポチさんがここに?」

「それは我が黒竜だからだ」

「……」


 さも当然のように放たれた台詞は、まるで映画の悪役が正体を現すくらい堂々とした名乗りであった。いっそ清々しいくらいだ。

 藍華はぽかんとポチを見上げた。嘘を言っているようには思えない。それが当たり前という風情の顔付きだ。


(ということは……本当に彼が黒竜?)

 じわじわとその事実が頭の中に染みわたる。


「えええええ!」

 十数秒遅れでやってきた驚きに声を上げた。


「カピバラじゃなかった!」

「当たり前だ!」

 即座に突っ込みが入った。


「そっか。そうだよねえ。やっぱり黒いカピバラはいないんだ……そうだよね。うん」

「あの姿は、主を驚かせないために、主の頭の中を探ってだな。好感度の高そうな生き物の姿を借りたのだ」

「人の頭の中身、読めるの⁉」


 驚きの事実に、藍華は思わず両手で頭を押さえた。ちょっと、いやかなり酷くはないか。勝手に覗かないで欲しい。

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