第36話 ポチの正体2

「女神の客人だけだ。他の人間の頭の中身までは分からん」

「それも十分酷いですよね。人の思考回路を勝手に……」


 まさかの好感度だだ下がりである。


「いや、別に主が考えていることすべてが分かるわけではない。シンパシーというか、ぼんやりとイメージが浮かぶというか、言い方が悪かった。我は女神がこの世界に呼ぶ客人の強い想いを共有することができるのだ」

「え、それもあんまりポジティブな感じはしませんが……」


 目の前でドン引きしている藍華を前にポチは困り果てたように頭をガシガシと掻いた。まさか黒竜に自分の感情がダダ洩れだとは。女神さま、一体何を考えているのですか。藍華はまだ会ったことのない女神に恨み節を唱えてしまう。


「主に警戒されないよう、主が好む動物の姿を探らせてもらった。本当にぼんやりとしたイメージしか受け取っていない!」

「……分かりました」


 藍華はひとまず話の先を促した。

 ポチはごほんと咳払いを一つし、胸の前で手のひらを空に向けてかざした。淡い光が立ち込めたかと思うと、水晶の結晶のようなものが浮かんでいた。


「これは……?」

「我は迷っている」

「はあ……」


 話が見えない。まったく見えないのに、ポチは眉間に皺を寄せ、ため息を吐いた。


「黒竜は他の生物とは違い、己の寿命が近付くとこうして生命の結晶を己の体から生み出す。これがそうだ。我は長くはない」

「……クレイドさんが言っていました。この山に住む黒竜の寿命はあと百年くらいだって」


「ああそうだ。死に場所を選ぶとなった時、我はこの地を思い浮かべた。はるか昔、我を友と慕ってくれたとある男が住んでいた場所だ」


 ポチが懐かしそうに目を細めた。その表情は妙に人間臭かった。黒竜は悪い存在じゃない、との思いが浮かび上がる。


「そのこと、クレイドさんたちに話したんですか?」

「まさか。恥ずかしくて言えるか」


 そうやってそっぽを向く横顔も人間味に溢れている。ベレイナの人たちが言う黒竜のイメージとはかけ離れていて、切なくなる。話せばわかり合えそうなものなのに。


「どうして、みんな黒竜を悪者だと言うの? だって、あなた人を食べたり襲ったりしないのでしょう?」

「それはどうか。確かに我らはものを食べる必要がない。だが、我は主が大切に思っているクレイドというこの国の王子に呪いをかけた存在だ」


「人の頭の中勝手に見ないでください!」

「別に覗いておらぬ。こう、ふわふわーとしたイメージをキャッチしただけじゃ。あの村には主の大事な人間が多くおるだろう」


「ま、まあ確かに。みんな大事な人たちですけど」

「確かに我も大人げなかった。感傷に浸っていたところを人間どもに邪魔をされて、しかも出て行けと一方的に言われてな。人の作った境界線など、黒竜には関係ないわ」


 ポチが吐き捨てる。


「この場所がポチにとって大事なところだというのは分かりましたけど。死に至る呪いの魔法を安易に使ったらだめだよ。クレイドさんはあのままだ死んでいたんだよ」

「……だが、あやつらは我を本気で殺そうとしてきたぞ」

「……」


 彼にとっては正当防衛だったのだ。

 藍華は返す言葉を見つけられなくて、黙り込んでしまう。これは一方的にポチを責めていい話ではない。


「黒竜は人間の味方ではない。そして我らは人間よりもはるかに強い力を持っておる。人は恐れる生き物だ。自分たちよりも強大な力を持つものに対して恐怖し、駆逐しようと考える。数で襲って来られれば、黒竜だとて無敵ではない。長い時を経て、我の同胞も減っていった」


 彼はそのまま話を続ける。


「我らはこの世界に漂う魔素を食ろうて生きている。魔素は少なすぎても駄目だが多すぎても駄目だ。古来より、黒竜は魔素の調整役を担ってきた。そう、女神によってつくられた存在だ」

「話がとっても大きくなってきた……」


 これは、藍華が単独で聞いていい話なのだろうか。ごくりと喉を鳴らすさまをポチがちらりと見やる。


「我らの繁殖は他の生物とは違う。その身から生命の結晶を生み出し、育ててもらう。その役目を担うのが異世界人だ。女神の客人と呼ばれる存在に結晶を託す。主のことだな」

「うそでしょ」


 とんでもない事実につい反射的に言葉が出た。


「本気だ」

「わたし、何をするの?」


「何も。ただ結晶を持っておればいい。単なる守り手だ。時が満ちれば勝手に主の手元から離れて新たな黒竜が誕生する」


「歴代の異世界人ってみんな黒竜の代替わりのために呼ばれていたの?」

「別にそういう訳でもない。女神は気まぐれだ。女神がこの世界に異世界人を呼ぶ理由の一つというだけで、彼女の真意は我らとて分からぬ」


「そう」


「黒竜の数は減っている。魔素が吹き溜まり魔瘴が生まれる頻度も高まりつつある。我はもう年を取って、魔素を取り込む力も減っておる」

 しかも結晶を生み出して余計に体力が減っていた、と彼は続けた。


「だからあのとき自分の怪我を魔法で治さなかったの?」

「……あれくらいの怪我で魔法を使うのは面倒だ」


 藍華の指摘は的を得ていたのかもしれない。体力がない状態では治癒魔法を使うことも負担になった。そういうことなのだろう。


「あの時は主のチョコレートなる食べ物のおかげで、だいぶ回復した。とはいえ、寿命が近いことは変わらぬ。気力と体力が回復した程度だな」

「それでも、元気になったんだったらよかった」

「ふむ。主は優しいな」

「別に……」


 ポチが口の端を持ち上げるから、藍華は照れてしまう。何だろう、最初の出会いがカピバラだったため、緊張感がないにもほどがある。


「ほら、これは主にやる」


 生命の結晶が藍華の元へ移動する。思わず両手をかざすとその上にすとんと落ちた。ただの水晶にしか見えないが、これが次の黒竜なのだ。藍華はごくりとつばを飲み込んだ。大変なものを預かってしまったという重圧が襲い掛かる。


「でも、わたし」


「それをどうするかは主が決めろ。我はただ、己の種族の本能に従って結晶を生み出しただけだ。……これを託すか悩んでおった。この世界に黒竜はもう必要ないのかもしれないと、そう考えるようになった。人が支配するこの世界は、黒竜には窮屈だ。次代も、そう感じるかもしれないな」


 藍華は手の中にある水晶に視線を落とした。


「用件は済んだ。夜中に悪かったな」


 黒竜がそう言った途端、藍華の意識は突然に途絶えた。

 次に気がついたとき、藍華はベッドの上にいた。


「おはよう、アイカ」

「おはよう」


 もしかしたら夢だったのだろうか。それにしてはとてもリアリティのある夢だった。全部鮮明に覚えている。

 と、手のひらが冷たくて硬いものに引っかかった。


「っ!」


 シーツの上には透明な水晶の塊が置いてあり、藍華はあれが夢はなく現実のものだったのだと突きつけられた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る