第34話 変身

 リウハルド伯爵の馬車が村を訪れたのはその翌日のことだった。


「クレイド殿下、まだ黒竜は見つからないのですか」


 馬車から降りた伯爵は討伐隊の責任者として物資の定期搬入を見届けているクレイドの元へ一直線に向かった。


「ああ。どうやら気配を隠しているらしい」

「……らしいとは。討伐隊の指揮官ともあろうお方がなんとも情けない!」


 一向に結果が出ない苛立ちからか、リウハルド伯爵の声と態度は荒っぽい。一方のクレイドは落ち着き払った態度だが、その内忸怩たる思いを抱えているのだろう、眉間にわずかだか皺が寄っている。


「王宮魔術師団から連れてきている者たちは精鋭ぞろいだ。ここで粘って見つからないのなら、拠点を変えてみることも考えている」

「この領を見捨てるのですか⁉」


「そうではない。拠点を変えるだけだ。この村ではなく、もう少し奥に入った場所に野営するかどうかを議論している」

「黒竜は知恵の回る生物ですぞ。そうか……命の危機と隠れておるのやも……。だが、このまま隠れ潜まれたのでは、私の計画が――……」


 リウハルド伯爵が爪を噛みながらぼそぼそと二、三言紡いだ。


「今日は物資搬入で慌ただしい。明日にでももう一度話をしよう」

「え、ああ。そうですな」


 伯爵はあっさり頷き、馬車へ戻っていった。

 その様子を窺っていた藍華は隣にいるリタと顔を見合わせた。彼の目に留まり絡まれたら面倒なため、伯爵家の馬車が近付いてきたと騎士の一人が知らせてくれたのだ。このあたり、連係プレーが迅速になってきた。


「やっぱり苛立っているわね」

「そうだなあ。こうも成果が上がらないんじゃなあ」

「うわっ。ダレルさん、いつの間に」


 リタの呟き声に応答したのが予想外の人物で藍華は飛び上がった。気配を殺すのがうますぎる。隣ではリタが無言で息をすーはー吸って吐いているから藍華と同じく驚いたようだ。


「ん、念のためな。まあ、俺たちもちょっと焦ってはいるな。奇襲でもかける気じゃないかって懸念する声もある」

「黒竜って悪知恵働きそう」

 リタが相槌を打った。


「どうだろうな。勝負事は正々堂々ってのが道理だと思うんだが」


 まっすぐ一直線なダレルらしい言い分だ。彼は地道な調査には飽きてしまったらしく、筋トレ代わりに村で力仕事を手伝ったりもしている。


「さてと、面倒な伯爵も帰ったし、俺も搬入手伝ってくるわ」


 さらりと毒を吐いたダレルが立ち去ってしまう。

 藍華とリタも食材などの搬入を手伝うために輪の中に加わった。先ほどクレイドが言っていた通り今日は一日雑用に追われそうだ。


 到着した荷物の中にはツェーリエからの荷物も含まれている。討伐隊メンバーの家族からの手紙や差し入れなども入っており、全体的に雰囲気が浮足立っている。村の子供たちが物珍しそうに集まってきた。

 藍華にも差し入れが届いていて、その中には瓶に入った飴が含まれていた。藍華は子供たちの口の中に飴玉を入れてやった。




 荷物の整理があらかた終わった午後、藍華が村の外に出向くと、森林近くの野原に黒いカピバラが佇んでいた。


「あ、この間の。人里近くまで降りてきて平気なの?」


 藍華が声をかけるとカピバラはくるりと尻を向け歩き出した。ついて来いと言われているようにも思え、つい後を追いかける。のそのそ歩くカピバラが可愛くて、つい笑みが漏れてしまう。すぐに隣に追いついた藍華をカピバラがのそりと見上げた。


「あなた、もしかして妖精さん?」

――いや、違う――


「おお。やっぱり言葉が通じた。にしても不思議だね。頭の中に直接声が響くだなんて」

――魔法を使っている――

「ふうん。じゃあやっぱりあなたは妖精さん?」

――違う。我は精霊ではない――


 歩きながらカピバラ相手に話しかける人間。絵柄的にシュールである。ただし誰にも見られなければ不審者にも思われまい。

 藍華は引き続きカピバラに質問を投げかける。


「あなた、名前は? どうして今日は森の外まで降りてきたの? というか、あなたはクッキー食べても平気なの?」

――我の名前か。ぬしが適当に名付けよ――


「え、いいの?」

 念を押すとカピバラが頷いた。


「ん~、じゃあ。イカ墨……は安直か。ポチはどうかな?」

――……――

 無言が返ってきた。


「覚えやすくていいと思うけど」

――何か、馬鹿にされているような気がするのは気のせいか?――


「ポチはわたしの世界だと一番人気の名前だけど」

――……そうなのか――


 黒カピバラは藍華の説明を最終的には受け入れた。


 のんびり歩きながらカピバラは藍華の質問に簡潔に答えていった。森の外まで降りてきたのは気まぐれで、本来なら食べなくても生きていけるが人間の食べ物も食べられるそうだ。クッキーはなかなかに美味だったそうだ。好意的な感想を聞くと嬉しくなる。


「雑食ならチョコレートも食べられるかな? さすがにお腹壊しちゃうか。犬とか猫にもあげちゃダメだしね」

――我を犬猫と一緒にするな。チョコレートなるものだとて食える――


 負けず嫌いなのか、それとも食い意地が張っているだけなのか。少しの間考えていると、カピバラが小さく鼻を鳴らした。


――何か、失礼なことを考えておっただろう――

「いやあ……あはは」


 図星だったため明後日の方を見て誤魔化した。


「食い意地が張っているんじゃなかったら、どうして人里まで降りてきたの?」

――ぬしに、会いに来た――

「わたしに?」

――そうだ――


 カピバラが足を止めたため、藍華もその場に立ち止まる。カピバラがわざわざ藍華に会いに来る理由を考えてみる。しかし、何も思いつかない。

 つぶらな瞳がじっとこちらを見上げている。可愛いという感想しか浮かばず、つい顔がにやけてしまう。


――ふぬけた顔め。本当にこれが女神の客人なのか――

「あなた、わたしが異世界人だって知っているの?」

――ふんっ。知らぬわ――


 カピバラは素っ気なく言い捨て、走り出した。これが結構速い。


「待って」


 下草に覆われ、黒い姿が見え隠れする。追いかけてどうしたいのかも分からないが、何となく気になるのだ。

 カピバラが森の中へ入った。ねぐらへ戻るのかもしれない。

 息が上がってきて、これ以上追いかけない方がいいかも、と走る速度を緩めたその時悲鳴が聞こえた。


 息を整えながら藍華が足を進めると、動物用の罠にかかったカピバラの姿があった。足に鉄のぎざぎざが食い込み血が流れている。


「大変!」


 藍華が近寄づくと、突然体がずぽっと落ちる感覚がした。あっと思う暇もなく体を強かに打ち付ける。


「痛ったぁ……」


 尻もちをついた藍華はうめき声をあげる。どうしてこんなところに落とし穴が、と思ったがそういえばと思い出す。畑を荒らす動物を捕らえるための罠があると村の子どもが言っていた。

 どうやらこれがそうらしい。山の中に入る時は山道を通っていたため気にしていなかった。


――まったく、世話の焼ける小娘だ――


 藍華の頭上から声が降ってきたと思うと、体がふわりと浮き上がった。一体何ごと、とびっくりしている間に藍華は落とし穴から脱出していた。

 ぺたりと座り込んでいるのは穴の外だ。ホッとしてきょろきょろとあたりを見渡し、カピバラと目が合った。


「ポチ、大丈夫?」

――ポチで決定なのか……――


 妙に残念そうな声だが、今気にするところはそこじゃないと藍華は思った。彼の足からは血が流れていた。しかし、罠からは抜け出したらしい。藍華を落とし穴から救い出したのも目の前のカピバラだろう。


「あなた、魔法が使えるの?」

――まあな――

「じゃあ、あなたのその怪我も治せる?」

――治癒魔法は体力がいる。我は今、疲れておる。このくらい、そのうち治る――


 カピバラはふう、と息を吐いた。ため息は少々重たく感じられた。

 けれども、彼は藍華を助けてくれたのだ。


「そうだ」


 藍華はポケットを探った。取り出したハンカチに包まれているのはアイカ特製の板チョコレートの欠片だ。何かあったときのために最近持ち歩いている。


「これ、食べられる? 魔法も使える妖精さんなら、犬とか猫みたいにチョコレートが刺激物じゃないと思うんだけど、どうかな?」


 藍華がゆっくりとチョコレートの欠片をカピバラの前に差し出すと、彼は鼻を近づけすんすんと匂いを嗅ぎ出した。


――だから、我をそのへんの動物と一緒にするでない――

「その姿でそういうことを言われても説得力がないんだけど」

――これは、おまえの頭の中の……――

「わたし?」


 きょとんと首を傾げていると、カピバラが藍華の手のひらからチョコレートを食べた。口の中のものを嚥下したのだろう、少ししたのち、カピバラの怪我が治った。

 よかった、治った。藍華は微笑んだ。


――なるほどな――


 カピバラはそうごちたあと、光に包まれた。

 突如眩しくなり、藍華は思わず目を逸らした。光の粒が集まり、大きくなった。それは一瞬のことで、光が収まったため恐る恐る目線を戻すと信じられないことが起きていた。


「あなた、ポチ……さん?」

「ふんっ」


 なんと、人間の男性が佇んでいた。あまりのことに藍華は座り込んだまま呆然と見上げた。褐色の肌に黒髪黒目。おまけに黒い装束に黒マント。年の頃は五十に届くかどうか。だが、適度に鍛えていると分かるしっかりとした体つきをしている。


(ハリウッドでアクション映画とかに出ていそうな……ナイスイケオジ……)


 確かにこれはポチという名前ではない……。藍華はそんなどうでもいいことを考えた。

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