第29話 伯爵はスタンドプレーがお好き

 黒竜退治のための討伐隊はツェーリエを出発し、六日かけてリウハルド伯爵家の領地へ到着した。グランヴィル騎士団と魔術師団の精鋭たちの集団を城塞で出迎えるのはリウハルド伯爵だ。


「聖女様、もうまもなく到着です」

 馬車に並走する騎士からそう告げられる。


「わかったわ。ありがとう」


 藍華の代わりにリタが頷くと騎士が顎を引き、馬の速度を落とした。伝令役の彼は、後続の馬車にも同じことを伝えるからだ。


 リタは今回聖女アイカの付き人として同行している。伝達事項の返事をリタが受けるのは聖女らしく見せるためらしい。リタはもしかしたらプロデューサーの才能もあるのでは、と最近考えている。


(まさかわたしが聖女として扱われるようになろうとは……)


 しみじみ思う。何か、遠い所まで来てしまったと。物理的に日本から遥か彼方まで来た自覚なら十分あるが。


 藍華は当初討伐隊のメンバーに入っていなかった。リタたちと一緒に出立の準備を手伝っていたら、突然指名されたのだ。何でも、リウハルド伯爵たっての希望らしい。クレイドは当初難色を示したのだが、黒竜退治に聖女が同行してくれるのなら領民も討伐隊も安心だろうと声高に叫ばれ、反対し続けるのが難しかったと言われた。


「なんか、ついに来たって感じだね。リタもついて来てくれてありがとうね」

「何言っているの。異世界から来たあなたが黒竜退治に行くのに、この国の住民のわたしが行きたくないとか。わたしだってグランヴィル騎士団の一員なんですからね」

「うん。ありがとう」


 クレイドやダレルも心強いが、リタは同性ということもあり頼りになるしおしゃべりをしていると気が休まる。


「みんな、怪我なく終われば一番いいんだけどね」


 藍華は馬車の窓から空を見上げた。開いた窓から風が吹きこんでくる。

 国王から正式に黒竜退治の触れが出てから半月ほどが経過している。騎士団と魔法使いから成るためそれなりに大所帯だ。その他物資の準備もあるため、号令後ただちに出発というわけにはいかなない。


「あ。馬車が減速し始めたね」

「いよいよかあ。わたし、お城って初めて」

「王宮もお城だって」

「そういえばそっか」


 他愛もないことを言い合い、くすくす笑い合っている間に馬車が停車した。リウハルド伯爵家の城塞に到着というわけだ。今日と明日、伯爵家の本拠地である城塞に滞在することになっている。歓待の宴にて、英気を養ったあと黒竜が居座っている山のふもとの村に移動して、いよいよ退治が始まる。


 外から扉がゆっくりと開かれた。藍華が降り立つと笑顔のリウハルド伯爵が抱き着かんばかりに両手を広げて待ち受けていた。


「聖女様。到着を今か今かと待ち望んでおりましたぞ! ああ今日も神秘的な黒い髪の怪がとてもお美しい。さあさ、こちらへ。みな聖女様のお越しをお待ちしておりました」

「えっ……え?」


 あっという間にリウハルド伯爵に手を掴まれる。到着の挨拶文を事前に考えたのだが言わせてもらう暇すらない。というか、クレイドはどこだろう。


「リウハルド伯爵、聖女殿は長時間の移動でお疲れだ。用件なら私が聞こう」

 すぐ隣からクレイドが口を挟んだ。


「何、すぐに終わりますよ。到着のついでに領民に会っていただきたいのですよ」

「え、ええ。まあそのくらいなら」


 藍華は困惑しつつクレイドとリウハルド伯爵を見比べた。いくらなんでも、第二王子相手に不敬すぎやしないか。完全に優先順位が聖女を上位にもってきている。


「伯爵、アイカの手を離せ。おおよそご婦人をエスコートしているようには思えない」

「お、これは失礼」


 リウハルド伯爵は藍華からぱっと手を離した。取られていた腕を離された藍華はホッとした。すると今度はクレイドが藍華の手を繋いできた。


 びっくりして彼の顔を見るとばっちり目が合った。クレイドは素早く藍華の手を引き寄せ、口づける仕草をする。唇が触れたわけでもないのに全身がボッと火がついたかのように熱くなる。


「さあ、聖女様のおなりだ!」


 扉を開けると同時にリウハルド伯爵が大きな声を出した。城塞の広間には少なくない人々の姿があった。みんな身ぎれいな格好をしている。生活に余裕のある町民という雰囲気だ。


 藍華とクレイドの姿を認めるなり「おお」「聖女様だ」「お隣にいらっしゃるのが第二王子殿下か」などという簡単混じりにさざめき合う。


「こちらにいらっしゃるのがベレイナ王国の第二王子殿下であられるクレイド様と女神がこの地に遣わした聖女様だ。お二方がこのリウハルド領の地にお越しくださったのは私の人望によるものだ」


(いや、黒竜退治をしに来ただけだけど)


 つい心の中で突っ込んでしまった。伯爵は自慢げに胸を反らしている。


「そして今回、聖女様は回復ポーションを特別にお恵みしてくださる」

「えっ……?」


 初耳である。そうなの、とクレイドを見上げると、彼は無表情で伯爵を眺めている。その雰囲気で察した。あれは伯爵のアドリブなのだ。


(伯爵の手柄の一部に使われたってこと……?)


 そういえば初めて会ったとき、彼はチョコレートに興味津々だった。藍華のチョコレートは特別だ。テンパリングからの作業を藍華が行うことで回復薬としての効能がつく。


 手作りできる数に限りがあるため現在は王宮魔術師団とグランヴィル騎士団によって管理されている。もちろん、趣味で作る分はこの分には入らないが、藍華の善意につけこまれることがないよう、クレイドとリタが目を光らせている。


「さあ、聖女様。善良なる領民のみなにチョーコレイトォなる回復薬を与えてやってはくれまいか」


(微妙に間違ってるし!)


 チョコレート好きとしてはいただけないミスである。もっとカカオ豆に敬意を持って接してもらいたい。ここは一つ、チョコレートの歴史から講義を始めるところだろうか。

 以前であったときも伯爵は名称を間違えていたのだが、あのときは突然に手を握られてびっくりしていたため覚えていなかった。


「聖女殿の回復薬は現在国で厳重に管理されている。しかし、前回の遠征で黒竜を仕留められなかったグランヴィル騎士団からのお詫びとして、今回に限り振舞おう」


 藍華が口を開く前にクレイドが朗々と声を張り上げる。若くても威厳ある態度に、町民のが一人膝をつくと、それに倣うように頭を下げたり平伏する。


「みなどこかしら体に不調を抱えているのだろう。楽にしてよい」

「クレイド殿下におかれましては、寛大なお心遣いありがとうございます」


 町民の一人が代表して感謝の意を表した。

 クレイドはチョコレートを用意するよう部下たちに命じた。一番量産のできる板チョコレートが即座に準備され、町民たちに配られた。初めて見る茶色の塊を手にした人々はまじまじと眺めたり匂いを嗅いだり、指で突いてみたり。三者三様の反応を示したが、一人が恐る恐る口にすると、他の人々もそれを真似た。


 チョコレートの効能をその身で感じた人々の歓声が広間の高い天井に吸い込まれる。


「聖女様のおかげだ」「このチョーコレイトォという薬はうまいなあ」「いや、チョークレットだって」「いいや、チョコットレットって言っていたよ」などという会話が聞こえてくる。


 興奮しながらチョコレートを褒めてくれるのは嬉しいのだが、名前が間違っている。

 ひとしきり騒いだ町民たちの視線が藍華へ向けられ始める。


「いやはや、さすがは聖女様。チョーコレイトォは最近お菓子としても人気だそうで。ぜひとも聖女様に作り方を教えていただきたいものですな」


 再び揉み手ですり寄ってきたリウハルド伯爵の前にクレイドがすっと割り込んだ。


「チョコレート作りに関しては現在、王都のハンフリー商会が主導する形で組合ギルドが結成された。道具と材料、作り方の入手は組合に問い合わせを行うように」

「なんと! もうそのような囲い込みを……」


 リウハルド伯爵が悔しそうに顔をくしゃりと歪めた。


「今日この場にいた者たちの症状ならば、通常の回復ポーションもしくは治癒魔法で直せる範囲のものばかりだろう。これ以上アイカの持つ力を己の手柄として誇示しようとするのなら私も容赦はしない」


 クレイドは低い声を出し伯爵を牽制した。流れるように藍華の手を取り、広間から出て行った。

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