第28話 二人きりの夜に……2

 そうだ。どうしてその可能性に思い至らなかったのだろう。だから彼は余計に傷ついたのではないだろうか。けれども彼は呪いから解放された身だ。もう死について悲観する必要もない。ああでも、アリシアは結婚が決まっているのだ。だったら略奪愛? などと頭の中で高速に考えが進んでいく。


 それと同時に酷く胸がざわめいた。あれ、どうしたのだろう。藍華は首をかしげた。


「レヴィン嬢に特別な気持ちを持っているわけではない。ただ、きみとレヴィン嬢は同じ年の頃だろう? そのレヴィン嬢から兄としてしか見えないと言われて少々思うところがあった」


「ええぇ! まさか。アリシア様はどう見ても十代後半ですよね。わたし、もっと年上ですよ?」

「……え?」


 まさかの藪蛇である。藍華はぴたりと口をつぐんだ。いや、別に隠しているわけでもないのだが聞かれなかったため、今までクレイドに年齢を申告したこともなかった。

 知っているのはリタくらいだ。それとケインも知っている。一応直属の上司である。


「……ええと、わたし二十三歳です。次の誕生日で二十四歳です」


 藍華がぼそぼそと伝えるとクレイドが絶句した。

 なんだかこちらが悪いことをしたような気になるではないか。年齢詐称をしたわけでもないのに、良心の呵責に苛まれる。


 最初に空から落ちて助けてもらったときに名前と一緒に年齢も伝えた方がよかったのだろうか。十代までは年齢を言うのに何の抵抗もなかったのに、ハタチ越えてからなんとなく言いたくなくなったんだよね、と藍華は心の中で言い訳をした。


「……てっきり十六、七かと。レヴィン嬢は確か十七歳だったはずだ」


 まさかのJKだった。これは喜ぶところなのか、それとも子供っぽいと悲しくなるところか。


(みんなが優しいのって、わたしのこと子供だって思っているから……?)


 それはそれで悲しい事実だ。これからは責任ある大人としての振る舞いをするよう心掛けよう。


「そうか、アイカは私と二歳しか変わらないのか」

「そろそろこの話題、やめにしません?」

 藍華は低い声を出した。


「最後に一つだけ。私のこと、兄のようだと思うか?」


「え? わたしにお兄ちゃんはいませんが、そうですねえ……しいて言うなら先輩的な? 頼りになる職場の先輩のような存在です。お兄ちゃんといえば、ダレルさんのほうがらしいですよね。ああいう明るいお兄ちゃんが親戚にいると楽しそうです」


「微妙に遠いな」

「毎日だと暑苦しいかなと」


 本人がいないところで辛辣なことを言う藍華である。

 ついにはクレイドが噴き出した。藍華も結局笑ってしまう。二人で笑い合っていると急に距離が縮まったように感じて嬉しくなった。

 ああ楽しいなあ。素直に感じた。この人ともっと仲良くなってみたい。


「ここにお酒があると最高ですね。ビール飲みたいなあ」


 男性と二人でお酒を飲みたいとかこれまで考えたこともなかったのに、彼となら楽しいんだろうなと思った。


「酒が飲みたいのなら持ってこようか? だがアイカ、きみは飲めるのか?」

「わりと強い方ですよ。シャンパンとチョコレートの組み合わせもいいんですよね」

「シャンパン?」

「ええと、泡がシュワシュワでるぶどう酒の一種です。白が一般的かな」


「アイカは何でもチョコレートと一緒なんだな」

「チョコレートはわたしの一部ですから」


 まだ酔っぱらってもいないのに今日の藍華はいつになく饒舌だった。

 胸を張って宣言するとクレイドがさらに笑い出す。この人のなんの気負いもないこの顔をもっともっと近くで見ていたい。

 胸の奥から願いがふわふわと浮き上がる。


「アイカ」


 クレイドが優しい眼差しを藍華に向けている。それに引き寄せられて藍華もまた彼をじっと見つめた。星が瞬いている。この世界に存在するのは二人だけ。そんな錯覚に溺れそうになる。


 クレイドが手を伸ばした。夜風で散らばった髪の毛を後ろへ流してくれた。ほんの少しくすぐったくて藍華は目を細めた。さりげない仕草が流れるように自然で、自分が大切にされているようにも感じてしまう。


 そろりとクレイドの顔を窺う。落ち着いた眼差しの中に自分が映っている。

 目を逸らせない。ううん、逸らしたくない。トクトクと心臓が脈打つ音さえ、どこか他人事だ。

 ゆっくりとクレイドの顔が近付いてくるように思えた。


「殿下ー! 壮行会代わりにうちの連中と飲みましょう!」


 野太い声がバタンというバルコニーへと続く部屋の扉を開ける音とともに響いた。

 クレイドと藍華はぴたりと動きを止めた。

 大股で歩いてあっという間に二人の元へやって来たのはダレルである。


「アイカも一緒か。しかし色気がないなあ~。飲むなら酒じゃね?」

「あ……」

「ん? どうした」


 藍華ははくはくと口を動かした。今、自分は一体何をしていたのだ。とっても自分に酔っていたような気がする。一時の熱から覚めた藍華は身悶えしたくなった。


(わたし、色々なことを盛大に勘違いしていたよね? あああ恥ずかしい!)


 思わず頭を掻きむしりたくなった。クレイドは単なる友人もしくは庇護者として藍華を見ているというのに。夜のバルコニーというシチュエーションに酔っぱらってしまっていた。いや、飲んでいないけれど!


「アイカ?」

 クレイドが彼にしては上擦った声で名前を読んだ。


「もう寝るぅぅぅ!」


 勘違いが恥ずかしくって、赤くなった顔を見られたくなくて、藍華は逃亡することを選んだ。勢いよく立ち上がり自分の部屋へと駆け戻ったのだった。

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