第27話 二人きりの夜は……1

 お茶会が終わり、ホッとするの同時に少々燃え尽きた藍華は夜庭へ続くバルコニーで冷たいジュースを飲んでいた。保存用に作られたシロップを冷たいお水で割ったものだ。


 夏の気配はすぐそこまで近づいてきている。夜の風は日中のそれよりもいくぶん涼やかだが、窓を開けて眠っても問題ないくらいのぬるさである。


「アイカ」


 後ろから声をかけられた。振り返るまでもなく相手はクレイドだとわかる。

 彼はアイカの座るベンチに腰を落とした。


「今日はありがとう。彼女と一度話せる機会があったことは、結果私にとってもよかったようだ」

「衝動で動いてしまっただけです。だからお礼なんて」


「私は黒竜から死の刻印を刻まれたことに心の底では絶望していた。だからレヴィン嬢のことを思いやる余裕がなかったんだ」

「それは……」


 その状況下に陥れば誰だって余裕などなくなるだろう。藍華だってそうだ。きっと自暴自棄になる。でも、彼はそうではなかった。藍華と出会ったとき、彼はすでに死に向けて時間を削られていたのにとても優しかった。


「クレイドさんはわたしに親切にしてくれました」

「それは……、こんな私でもまだ誰かを守れることができると思いたかったからだ。自分の心を守るためだと言われればそうだったのだろう」


「でも、そうだとしてもわたしはクレイドさんに感謝しています」

「優しいな、藍華は」


 まっすぐに見つめられて、藍華はすとんと下を向いた。


「でも、あの。わたしは黒竜の魔法のことは知らなかったの……、もちろん知られたくはなかったという気持ちは分かるのですが。その……、わたしがのほほんとしているときもクレイドさんが苦しんでいたと考えると、胸の当たりがぎゅっと痛むんです」


 だって、彼はちっともそれを気取らせなかったから。彼の前で日本に帰れないことに絶望し引きこもり、たくさん心配をかけた。彼の方が重たい事情を抱えていたのに、藍華は自分のことで手一杯だった。彼の様子を気に掛けることすらできなかった。

 それがとても悔しくて悲しくて恥ずかしい。


「私の呪いについてはごく一部の関係者を除いては緘口令が敷かれていた。最初はレヴィン嬢を含む婚約者候補に知らせるのも父上は反対した。だが、それでは誠実ではないと私が意見を押し通した。アイカにも知られたくはなかった。本当なら最後まで言うつもりはなった」


「……?」


 ゆっくり顔をあげると、困ったようなクレイドの顔が視界に映った。


「きみだって突然もとの世界から切り離されて大変なのに、側にいるのがこんなにも重たい事情持ちでは、気を遣うだろう。それに……私はやはりどこかで恐れていたのだろう。事情を話して、きみに怖がられたらと考えると、口にすることはできなかった」


 藍華は黙り込んだ。

 彼のほうが気遣い屋だ。自分だって大変なのにこんなにも優しい。


「そう暗い顔をするな。アイカを困らせたいわけではない。それに、呪いはきみが解いてくれた」

「それ……本当なんですか? 本当にもう、クレイドさんは元気になったんですか?」


「ああ。初めてきみのつくったチョコレートを食べたとき、呪いの力が弱くなったような違和感をもった。その後もゆっくりと、だが確実に黒竜の呪いの力は薄くなった。そしてあの日、遠征から帰宅してきみと一緒にホットチョコレートを飲んだあと、完全に消えた」


 そう言ってクレイドは藍華の目の前に手のひらを差し出した。


「胸の当たりと手の甲と両方に黒い刻印があったんだが。ほら、今はもう消えているだろう?」

「もしかして手袋をずっとしていたのって」

「まあ、そういうことだ」


 そうだったのか。だから彼は四六時中手袋をしていたのだ。そういえば、と藍華は思い出す。最近では屋敷の中では手袋を取っていたな、と。他人のファッションに対してあまり興味がないため、あまり気にしていなかった。


「私の呪いをアイカのチョコレートが打ち破ったことは、私の事情を知る者たちには伝えられた。突然両親が尋ねてきたのはそれが理由だ」

「だから、あのとき王妃様はあんなことを」


 突然に装飾品やらドレスやらを贈られてものすごく戸惑った。けれども真実を知らされた今なら腑に落ちる。大事な息子の命を救ってくれた相手に何かをしたかったのだ。


「私が口止めをしていたからな」

「どうしてそんなにも頑なにわたしに知られたくなかったんですか」

「男としては、やはり弱いところを見せたくはないだろう」

「そういうプライド、いらないですから」


「まあまあ。今回レヴィン嬢に本音で話して、すっきりした。だから今こうしてアイカとも話しているだろう?」


「たまには弱みを見せてください。昨今は芸能人だってロイヤルファミリーだってインタビューで本音や葛藤をしゃべるものです。だから、一人で抱え込まないでください」

「たまにアイカは訳の分からない単語を言うな」


 クレイドがくつくつと笑った。藍華は「まあ、そうですよね」と頷きつつ笑い返した。


 藍華からしてみたら芸能人だってロイヤルファミリーだって同じ人間なのだ。普通に悩むし怒るし笑う。そこは誰だって変わらない。


 だから、目の前のクレイドが一人きりで抱え込む方が嫌だと思った。藍華にとって彼は王子様だけれど、普通の人間でもあるから。できれば、友だちとして仲良くなりたい。

 そういう気持ちを一生懸命説明すると、クレイドが頭を抱え始めた。


「レヴィン嬢に、お兄様のようだと言われてショックだったんだ。今思い出した」

「クレイドさんもしかしたらアリシア様のこと、その……」


 好きだったのではないか。さすがにもうすぐ人妻になる相手のことを思い、全てを口にすることは憚られた。

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