第30話 ずいぶんと遠くまで来ましたね1
黒竜が住み着いているという山のふもとへ到着したのはそれから二日後のことだった。畑と緑に囲まれたのどかな田舎、というのが藍華の第一印象だ。緑の中に小さな集落が点在する光景はおとぎ話に出てくる風景にも似ている。
本当にこんな平和な場所に恐ろしい生物が住んでいるのだろうか。
騎士たちが忙しなく動いている最中、藍華は手持ち無沙汰でぼんやりと村の背後に広がる山々を見上げた。
「聖女様、本当にこのような辺鄙な場所でお過ごしになるのですか? わたくしの持つ別荘でお待ちいただいた方が便利でございますよ」
近寄ってきたのはリウハルド伯爵である。彼は視察と言い、討伐隊と一緒についてきた。そして最後まで藍華を自身の手元に置いておこうと勧誘する。
藍華は若干頬を引きつらせつつ、やんわりと断る。
「わたしも討伐隊の一員ですので」
「討伐など、慣れた人間に任せればいいのですよ」
その言葉はいささか傲慢ではないのだろうか。討伐隊を指揮するのはこの国の第二王子クレイドだ。彼らは危険な任務を引き受けてくれているのに。
藍華の中に伯爵へのヘイトが溜まっていく。いや、すでにだいぶ積もっているのだが。
「いいえ。わたしもみんなのお手伝いをするためにこの地に来ましたので。それに討伐の様子をレポートにして提出するよう国王陛下に命じられていますので」
藍華は言い切った。実際、そんなレポートを提出しろなどと言われてはいない。
「そうですか……。何かお困りのことがあれば私を頼ってくださいませ、聖女様」
ようやく彼が引き下がってくれてホッとした。虎の威ではなく国王の威を借りた形だったが、効いてくれて助かった。
クレイドはリウハルド伯爵に思うところがあるのか、藍華を一人きりにしないよう気をつかってくれているのだが、それも限界がある。到着したばかりでそれぞれせわしなく動いているのだ。
ぼんやりしていた藍華はきょろきょろと周囲を見渡し、人出が必要そうなところへ近寄り、手伝いを申し出る。みんなで手分けして作業して日暮れまでには荷物の搬入や使用する部屋の整理が終わった。
藍華とリタたちは村長の家の空き部屋に泊まることになっている。クレイドも同じく、である。他の団員たちは村の無人の家を使うことになっている。
ちなみにリウハルド伯爵はこの村から馬車で約二時間ほどの場所にある狩猟のための館に泊まり、日中様子を見にくるという。
ひとしきり片付けが済むと、村の中を見て回ってみたいという欲求がむずむずと湧いてきた。今までツェーリエから出たことがなかったため何もかもが珍しい。
「あれ、アイカ出かけるの?」
「ああ、リタ。ちょっと村の中をぐるっと歩いてみたくって」
「ついて行こうか?」
「大丈夫だって。小さな村だし」
藍華が断ると「それもそっか」とリタが納得したため一人で家の外に出た。
夕暮れ時の村はどこか郷愁じみていて、もの寂しい。こういうとき、ふと思う。ずいぶんと遠くまで来たのだな、と。
(東京から遠すぎるよね~。ツェーリエからも遠いし。でも、こんなにものどかな村なのに本当に黒竜が住んでいるのかな?)
郷愁の念を振り払うかのように藍華は今回の目的である黒竜について考えてみる。
異世界からやってきたため、今一つリタやクレイドと同じ感情を黒竜に持つことができない。藍華の価値観でいえば、自然と人間は共存すべく模索することだから。山を下りてきた野生動物の食害だとか人を襲う熊の話だとか、共存が難しい局面もある。
けれど、人と野生動物が適切な距離を保ち暮らしている国や地域もあるのだし、怖い存在だから退治しようというのは早計な気もする。
(とはいえ、こういうのって部外者のわたしが言っても説得力ないしなあ)
村を一周してしまい、ちょっとだけ外に対する興味がわいてきた。少しくらいなら村の外に出ても大丈夫だろう。
軽い気持ちでぐるりと囲まれた石壁を越えようと、いくつかある門の外側に足を踏み出しかけたとき。
「アイカ。一人で外へ出るのは感心しないな」
「うわっ!」
突然目の前に人が落ちてきた。否、石壁の上から降りてきた。忍者か。いや、クレイドだ。身体能力が高いなあ、とどうでもいいことに感心した。
「どうしてここに?」
「アイカが一人でふらついているのが見えたから」
「ちょっとお散歩がしたかったんです」
「村の中ならいいが……。外は駄目だ。これから暗くなる」
クレイドの声に真剣さが加わったため、藍華は頷いた。
「とはいえ、私が一緒なら構わないが?」
どうする、と目線で問われた藍華はつい首肯した。「では一緒に」と返すクレイドの声から硬さが抜けた。流れで二人きりで歩くことになって、はたと気が付いた。これはなんていうか、デートのよう……違う。うん、違う。藍華は頭の中から不埒な考えを必死で追い払う。
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