第22話 クレイドの過去

 武闘大会の数日後、藍華はグランヴィル騎士団でリタと一緒に伝票整理に励んでいた。今日は週に一度の騎士団通いの日だ。せっかく顔なじみになった騎士団だから、使いパシリでも掃除要因でもいいから何かしら関りを継続させたかった。この国に根ざすと決めたのだから、知り合いは多いに越したことはないとの思いからだ。


 この世界にはパソコンという便利な箱がないため、全ての書類が紙である。最近ではだいぶ慣れたけれど、エクセルのない世界は大変だなあとしみじみと思うのである。


「ねえ、リタ。レヴィンっていう名前について心当たりない?」

「レヴィン……て、レヴィン伯爵家のこと?」


「うん。たぶん、武闘大会の時、銀髪に銀色の目をした超絶美少女と会ってね。クレイドさんがレヴィン嬢って呼んでいたから」


 藍華は伝票の仕分けをしながら話を振ってみた。ずっと気になっていて、今日リタに会ったら尋ねようと思っていた。


「アリシア・レヴィン伯爵令嬢のことね。彼女は……これは有名な話だからきっとアイカも知ることになるだろうけど、団長、もといクレイド第二王子殿下の婚約者候補だったご令嬢なんだよ」


「ええっ!」


 考えもしなかった関係性に藍華が素っ頓狂な声を上げた。


「といっても、当時クレイド殿下の婚約者候補のご令嬢は複数人いたから、その中の誰かが選ばれる予定だったって話なんだけどね」


「しかも複数人……。え、ベレイナって一夫多妻制なの?」

「まさか。候補が何人かいて、その中から正式な婚約者を決めようって。そういう話だったの。結局それはなくなっちゃったけど」


 リタが軽く笑い飛ばした。完全に世間話の体である。


「どうしてなくなっちゃったの? じゃあクレイドさんに結婚の予定はなくなったの?」


 何やら胸の鼓動が速まってきた。どうしてだか気になってしまう。女神に呼ばれてベレイナに降り立って、ずっとクレイドに助けてもらってきた。彼は一人でこの世界にやって来た藍華に常に親切だった。そのことに甘え切っていて失念していた。彼に婚約者がいるかもしれないということなど考えつきもしなかった。


「一年半くらい前にね、黒竜討伐があって。そのとき結構大きな被害が出たんだよね。黒竜の魔力って人間よりもずっと強いから。団長……クレイド殿下も負傷したんだよ。それで殿下の婚約話は白紙に戻った。けがの治療に専念することになって、そうなると結婚できるのもいつになるか分からないし」


 リタは藍華が思っていた以上に情報通だった。当時クレイドの婚約者候補に挙がっていた令嬢たちは国内外国ともに、一定の身分の娘だった。十代半ばから後半という花の盛りの娘たち。彼女たちの将来のためにも早々に決断されたのだという。


 そうしてクレイドの婚約者候補たちはそれぞれ別の家と縁を繋いでいったという。アリシア・レヴィン伯爵令嬢もそのうちの一人で、隣国の公爵家の嫡男のもとに嫁ぐのだそうだ。


「隣国って……飛行機も車も電車もないのに。遠いよね?」

「ごめん、今アイカが言った単語のどれひとつとも分からないわ」

「ごめん。こっちの話」


 つい慣れ親しんだ交通機関を列挙してしまった。

 アリシアは十代後半のように思えた。その年で結婚してしまうのかと思うと信じられないものがある。率直な感想を述べると「貴族や裕福な家の娘は十五、六の年には婚約者が決まっているのが普通だよ。結婚は婚約期間を経て、その一年後くらいかな」と言われた。


「じゃあ今二十三歳のわたしってこっちの世界だと行き遅れ……?」

「わたしも実は立派な行き遅れなんだけどね~」


 同じ年のリタがカラリと笑う。藍華は慌てて「ごめん、別にリタをどうこう言うつもりはなくて」とフォローした。


「魔法使いとか、職業婦人の結婚はもう少し遅いよ。魔法学院に通っている生徒は十八の年に卒業だし。貴族の家は、家と家の繋がりだから、どうしても結婚の約束だけは早くなるんだよ」


 最後にはベレイナ含め周辺諸国における結婚観の話になった。


(お見合いと政略結婚が主流なのか……。自分でお相手を見つけないといけない日本とどっちがいいんだろう? うーん……どっちもそれぞれいいところがあるわけだし)


 ちなみに藍華は趣味のチョコレートに忙しいため彼氏を探す気にもなれなかった現代女子であった。


 リタの実家はベレイナで五本の指に入る規模の商会で、一応彼女もお嬢様と言うことになるのだが、次女ということもあり自由が許されているらしい。彼女曰く「すでに兄に子供もいるしね。わたしは気楽なものよ」とのことだ。


 ひとしきり結婚談義を繰り広げたところで、もう一つ気になっていたことを藍華は切り出す。


「話は変わるんだけど、クレイドさんの怪我って、もう大丈夫なの? 完治したのかな」

「え、団長? ああ、うん。怪我自体は大したことなくって、すぐに復帰していたよ。王宮には優秀な治癒魔法使いがいるから」

「……そう、なんだ」


 リタの口調に嘘はなさそうだった。藍華は腑に落ちないと感じつつも相槌を打つ。


「怪我ってやっぱり血が流れる系の……痛そうなものなんだよね。後遺症とか、大丈夫だったのかな?」


「確か……魔法の傷を負ったって話だったけど……。団長は第二王子殿下でもあるから、わたしたちのところには詳細が降りてこなかったんだよね。でもちゃんとグランヴィル騎士団の団長に復帰したわけだし、この間の武闘大会での模擬戦も見たでしょう。あれだけ動けるってことは元気なんだよ」


 リタの言葉に藍華も頷いた。あの戦いっぷりは半端なかった。あれを見る限りクレイドの怪我は回復していると見て間違いない。


 ガチャリと部屋の扉が開いたのは会話が途切れたタイミングだった。


「二人とも、急いでグレーテル防具店の過去の伝票を探してほしいんだわ。一昨年くらいの。当時の発注数確認したいんだと」


 急いたように早口で用件を伝えるのはリタの同僚の男だ。


「防具店か。じゃあ正式に決まったんですか、黒竜討伐」

「ああ。今日の会議で国王陛下が正式に決断されたと伝令が来た。これから忙しくなるぞ」

「はい」


 藍華を抜きにして話がどんどん進んでいく。伝票探しもその一環らしい。討伐に出かけるには準備するべきものがたくさんあり、過去の数字を事前に精査しておきたいらしい。


 男が出て行くとリタが「たぶん近いうちに出立だから準備でバタバタするよ」と立ち上がる。

 藍華も慌てて彼女の後に続いて、目星をつけた棚から紙束を引っ張り出す。


「黒竜、また倒しに行くの? 今回は……大丈夫なのかな」


「強い生き物だから今回も手こずると思う。でも、黒竜に住み着かれたリウハルド領の人たちは不安がっているって話だし。正直わたしも黒竜が人里近い山に居着かれるのは嫌だな。気まぐれに襲われたらたまったものじゃないし」


「黒竜って凶暴でいじわるなの? 人を食べたりするの?」

「人を食べることはないけど、おとぎ話とか昔話では悪く描かれている。生贄を求められたり、天候を操って洪水を起こしたり、気まぐれに人間を襲ったり。十分厄災だよ」


 藍華はごくりとつばを飲み込んだ。そんなにも強くて怖い竜をクレイドが討伐しに行くのだ。

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