第23話 チョコレートショップ開店

 その日のハンフリー商会は大変に賑わっていた。正確にはハンフリー商会が新しく出店した店だ。今日が開店の日でツェーリエ中心部にある大きな広場から道を一本入った通りに面している。


「さあ、今日お集りの皆さんのお目当ては聖女印のチョコレートでお間違いないかい? ハンフリー商会独占! 王都で聖女様考案のチョコレートが買えるのはここだけだよ。チョコレートというのは聖女様のお国で大人気の超絶美味なお菓子のことさ! 一口食べたら昇天しちまうこと間違いなし! さあさ、今日は試食の大盤振る舞いだあ! 寄ってらっしゃい見てらっしゃい!」


 開け放たれた窓の外、階下から男の陽気な声が聞こえてくる。人々に聞かせようとする類のそれは抑揚がつき、かつ伸びやかで藍華の耳もはっきりと拾う。


「リタァ……。聖女印ってめちゃくちゃ恥ずかしいんだけど……。あれ、どうにかならない?」

「え、聖女印っていうのが売りだよね。チームチョコレート本格始動なんだからそんなふにゃっとしないの」


「そうだぞ、アイカ。チョコレートは大きな可能性を秘めている。原料だけは輸入に頼らなければならないが、加工生産技術を我が国が押さえておけばベレイナの新しい産業にだってなり得る」


「ていうか、どうしてクレイドさんまでここにいるんですか?」

「今日はチームチョコレートの門出だろう。まさか、私を抜きにしてしまうのか?」


 クレイドが寂しそうに眉を下げた。どうやら彼もチームチョコレートの一員だったらしい。知らなかったとは言える雰囲気ではなかったが、アイカの顔色から色々と悟ったらしいクレイドがさらに肩を落とした。


「クレイドさんにもたくさんお世話になりました! 産地別のカカオ豆を集めてくださって本当にありがとうございます。あれはクレイドさんにしかできません! 本当に嬉しかったです」


 藍華は上司をよいしょする平社員張りにごまを擦った。するとリタがぼそりと「ハンフリー商会だってそのくらいできるもん」と呟いた。どうやら対抗意識があるらしいが、今はスルーさせていただく。


 藍華が初めてチョコレートを完成させたあの日、リタから「チョコレート製造で一発儲けない?」と誘われ準備を進めてきた結果が本日のチョコレート専門店の開店である。


 かくしてチームチョコレートは商業チョコレート事業へと発展し、リタの実家が出資者となり、今日この日を迎えたわけだ。


「聖女印はまあ置いておくとして。ここからベレイナのチョコレート文化が始まるんだね。チョコレートが爆発ヒットをしたら、ショコラティエ志望者がどんどん増えて、たくさんのチョコレートスイーツが開発されて、そうしたらカリスマショコラティエが生まれて。ついには念願のサロンドチョコレートがベレイナでも開ける!」


 専門店の二階にある応接間にて藍華は両手を高らかに上げた。今掲げた目標は藍華の夢である。


「チョコレート職人を一堂に集めた即売会の開催だっけ。すごい発想だよね。同じ食べ物だけを集めたらお客さんが分散して商売にならないと思うけど」


「そんなことないよ! チョコレートは一期一会だもん。チョコレートばかりが集まった空間でチョコレートだけを買いあさる。最高。最オブ高。幸せすぎて昇天できる。お店によって味も違うし、発想も違うし、ラインナップも違うし、チョコレートは無限大の可能性を秘めているんだよ。わたしはまだ見ぬチョコレートと出会いたい」


「うん。アイカってチョコレートのことになると人が変わるよね」


 実はこのプレゼンを最初にしたとき、気が付くと一時間ほど一人で語りつくしていて、参加者たちが呆気にとられたという一幕があった。


「そこがアイカの可愛いところだろう」


 呆れ笑いのリタとは反対にクレイドがくつくつと笑いながらフォローする。さらりと可愛いと言われてしまい、藍華はたじたじになった。顔まで赤くなっている気がして、藍華はそれを誤魔化すように窓の下を覗き込む。


 開店初日ということもあり、今日は試食の大盤振る舞いだ。藍華によってもたらされたチョコレートの製造方法は現在王宮の料理人にも伝えられている。王妃がぜひとも食べたいとリクエストしてお屋敷に習いに来たのだ。


 王妃はチョコレートを大変気に入り、友人のご婦人たちに振舞うことで広めている。その噂はゆっくりとけれども確実にツェーリエで広まっている。最近上流階級を中心に徐々に人気になっているチョコレートの専門店が開店する。前評判は上々だ。


「店に入りきらない人まで出てるみたい。すごいなあ。男女比は半々くらいか。結構男性も多いんだね」

「おそらく贈答用だろう。もちろん甘いものを食べるの好きだという紳士もいるだろうけれど」


 藍華の隣にクレイドがやって来た。


「お忍びっぽいお嬢様やご婦人方もいるわね。チョコレートを作るにはグラインダーが必要だし、それを手に入れるには今度発足するチョコレート組合ギルドへの入会が必須。ふふふ、なんておいしい商売なの!」


 リタがラスボスのような笑い声をあげている。チョコレート専門店については完全にリタの功績である。むしろ騎士団で働いているときよりも生き生きとしていた。やはり商会の娘なのだな、と思わせるくらい楽しそうだった。


 藍華は苦笑いを浮かべながら通りを眺めた。ボンネットをつけたり日傘をさしたりしている女性たちの側には付添人の姿もある。なるほど、この国では身分ある女性はあまり一人歩きをしないらしい。


 基本的彼女たちは店の店員を屋敷に呼びつけるのだそうだ。デパートの外商のようなものだ。この店はまだそこまで対応しきれていないし、女性というのは流行りものに敏感だ。


(あれ……?)


「リタ、せっかくだから下に降りてみようよ」

「そうね。店内の状況も気になるところね」


 藍華が提案すれば彼女の声の質が変わった。完全にお店のマネージャーのノリでそう答えたのだった。

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