第21話 聖女って誰のことですか2

 その気配にクレイドが小さく吹きだす。


「試合どうだった? 本当に勉強になっただけ? 私はこれでもアイカにいいところを見せようと頑張ったつもりなんだが」


「迫力がすごかったです! しかも魔法の速度とコントロール力が半端な言ってリタが解説してくれました。わたしも本当にそう思います」

「うーん……思っていたのと違うけど、まあいいか」

「え?」

「いや、何でも」


「でも、魔法の試合は慣れていないので……ちょっと怖かったです。クレイドさんが怪我をしたらって思うと……心臓がキリキリしました」

「ありがとう」


 クレイドがふわりと微笑んだ。美形の悩殺スマイルにうっかり息を止めてしまう。


「クレイドさん、だめです。笑顔の安売りは心臓に悪いです」

「安売りをしているつもりはないのだが……?」


「あっ! そうだ。わたし、クッキーを作って来たんです。なんと、ココアパウダー入りです。純粋なチョコレートじゃないですが、心を込めて作ったので、もしも疲れて動けない参加者がいましたら、差し上げてください」


「わたくしめが預かっておりますよ」

「うわっ! サークウェルさんいつの間に⁉」

「執事とは、常に主人の動向を注視していますから」


 それは答えになっているようないないような。忍者も驚きな気配の殺し方に藍華はびっくりした。


「アイカの手作り菓子を男たちに配るのは……はあ、気が進まない」

 クレイドがなにやらぼそりと呟く。


「味見をしましたが、おいしくできていると思うのですが」

「そういう意味ではないんだが……」

「殿下、アイカ様のお菓子は回復ポーションですよ」

「分かっている」


 何やら会話についていけないが、執事の窘めるような声色に主人であるクレイドが嘆息交じりに答えた。


 その後、参加者たちにクッキーを渡して回るとめちゃくちゃ感激された。体力回復薬の効能もあるらしい。疲れ切っていた騎士たちが瞬く間に元気になった。今日はこのあと祝勝会が開かれるそうで、王から直接声をかけられることもあるのだという。体力自慢の騎士ではあるが、万全の状態で参加できることに、大層感謝された。


「よし。次はチョコチップクッキーを作ろう。あ、ソフトクッキーでトリプルチョコレートもありかもしれない」


 喜んでくれて嬉しい藍華はさっそく次に作りたいものを思い浮かべる。頭の中に浮かべたらもう駄目だった。自分が食べたくなる。あのパンチの利いた甘さがすでに懐かしい。


(チョコレート生地にミルクチョコレートとホワイトチョコレートを混ぜ込んで焼いて……焼きたてがめっちゃおいしいんだよねえ! チョコレートが溶けて、とろっとろなの。ああ、今すぐ食べたい。よし、帰ったら作ろう)


 お屋敷の料理人はお菓子作りも得意だ。藍華が口で説明をすると察してくれて、レシピを教えてくれたり、聞いたこともないものだと一緒に再現に加わってくれる。たぶんソフトクッキーもいけるはず。


「アイカはもしかして、またお菓子のことを考えているのか?」


 隣から声が降ってきた。まさにその通りだったので、藍華はぎこちなく頷いた。完全に花より団子な自分がちょっぴり恥ずかしい。


「アイカはお菓子について考えているときが一番幸せそうだな」

「あはは……」


 バレている。恥ずかしい。とりあえず、誤魔化すために笑っておこう。


 騎士たちにクッキーを配り終え、クレイドと一緒に馬車停まりまで歩く。藍華を送った後、彼は王宮に行き祝勝会に参加だ。

 お城の祝勝会は要するに舞踏会でもあるわけで。


(ガラスの靴が出てくる童話の世界だ……)


 もちろんガラスの靴は履かないのだろうけれど。でも、ドレスに着替えて、映画のワンシーンのように踊るのは素敵なことだろうな、と想像してみる。


 ぽわん、と浮かび上がった脳内上映会で、クレイドがお相手として登場して藍華は慌てて頭を振った。さすがに恐れ多すぎる。相手は王子様である。とはいえ、子供の頃は王子様と踊るお姫様に憧れたのも事実であり。


(となると、やっぱりクレイドさんがわたしの妄想に出てくるのも普通ってこと? ま、まあアイドルみたいなものだよね。銀髪だし、イケメンだし)


 うんうん、と一人で納得をしているとクレイドが不思議そうに顔を覗き込んできた。


「どうしたんだ、藍華。お菓子のことで悩み事か?」

「わ、わたしだっていつも食べ物のことを考えているわけじゃないんですよ!」


 視界が美形で埋め尽くされた藍華はとっさに大きな声を出す。麗しいご尊顔から逃れようと視線を彷徨わせたら、今度は美少女と目が合った。


(うわ! めっちゃ美人! お人形みたいな子がいる!)


 女の子の夢を具現化したような少女が佇んでいたのである。ふんわりした首元まで詰まった薔薇色のドレスは、腰の切り替え部分左右に大きなりぼんがついていて、愛らしいデザインだ。


 陽の光を受けてキラキラ光る髪の毛は美しい白銀で、真っ白な肌と相まってまるで雪の妖精のようだ。

 ついそのままぼんやり見惚れていると、妖精さんと目が合った。藍華はぽかりとだらしなく口を開けてしまう。


「わたし、あんなにもきれいな子生まれて初めて見ました」

 心の声が口からだだ漏れになってしまう。


「……彼女は伯爵家のご令嬢だ。見学に来ていたのだろう」


 クレイドは妖精さんの身元をご存じのようだ。彼の声が平素よりも固くなっていることにも気付かず、藍華は銀髪の少女から目が離せないでいる。少女はそのままこちらへ向かって歩いてくる。


「わわっ。どうしよう、こっちに来た!」


 千年に一度どころか一万年に一度くらいの美しさを前に挙動不審になってしまう。動いている。お人形じゃないんだ。


「ごきげんよう、レヴィン嬢」

「クレイド殿下におかれましてはご機嫌麗しく存じますわ」


 二人のすぐ近くで足を止めた少女に対して、クレイドがまず口を開いた。それに対してレヴィン嬢と呼ばれた妖精さんもとい超絶美少女は美しい所作で膝を折った。


 藍華もこちらの淑女の礼を習っているけれど、とてもではないがあんなにも流れるように動くことはできない。完全なる付け焼刃である。練習を重ねたところであの域まで達することができるのだろうか。


「……」

「……」


 二人ともそれきり黙り込んでしまう。顔見知りにしては流れる空気が少々重苦しい。


(訳あり……?)


 社会人一年目、二十三歳の社会人女子はそれなりに人生経験を積んできたため、何となく微妙な空気を察してしまうのである。


「あの! わたくし、ずっとクレイド殿下に謝りたかったのです!」


 最初に沈黙を破ったのはレヴィン嬢と呼ばれた少女の方だった。悲痛な訴えのようなそれが陽気な初夏の日差しに亀裂を入れるかのように響いた。


「レヴィン嬢……。あなたが謝ることはない」

「で、でも……」


 クレイドの表情は藍華に見せる普段のそれと変わらなかった。


「あのとき、わたくしは殿下に対してとても酷い態度を取ってしまいました。あなた様の呪いを解いたのがお隣にいらっしゃる聖女様だと言うことも聞き及んでおります。だから――」

「レヴィン嬢!」


 少女の声にかぶせるようにクレイドが大きな声を出した。彼女はびっくりした顔のまま固まっている。

 藍華も少々驚いていた。彼が感情を表に出すのが珍しかったからだ。


「すまない。大きな声を出した」

「いいえ。わたくしの方こそ、外で話す内容ではございませんでした。申し訳ございません」

 互いに蚊の鳴くような声で謝り合う。


「あなたは間もなく結婚する身。いくら付添人が同行しているとはいえ、あまり伯爵のもとを離れるのはよろしくない」

「……はい。おっしゃる通りですわね」


 そう言って彼女は小さく膝を折り「失礼しますわ」と言ってその場から立ち去った。


 藍華はクレイドと一緒に少女を見送った。そっと彼を仰ぎ見る。彼の心を測ることはできなかった。けれども、今は話しかける時ではないことは察せられた。


(呪い……呪いを解いたのが聖女……ってどういうこと?)


 いくつもの疑問が浮かび上がったが、それを口にすることなく藍華は胸の中にしまい込んだ。

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