第20話 聖女って誰のことですか1

 試合が終了したため、藍華たちは円形闘技場の裏手に回った。今日は差し入れを持って来たのである。サークウェルとリタも一緒である。

 藍華は早々に顔見知りの騎士団員に話しかけられる。


「やあ、アイカ殿が教えてくれた飲み物、とても評判がいいよ。爽やかだけれど甘くて飲みやすいって」

「汗をかくと塩分が足りなくなりますから、水よりもこういう飲みものの方が体が喜ぶのだと思います」


 藍華が教えたのはスポーツドリンクの知恵だ。運動の後に必要なのは水分に加えて塩分補給である。レモンのしぼり汁とはちみつと塩を加えたものがよいのだと助言すると「なるほど」と受け入れてくれた。


 今日は試合のため、負傷者はいないはずだ。けれども万が一動けない人が出ないとも限らない。藍華は最近開発したココアパウダーを練り込んだクッキーを焼いて持ってきていた。


 できればクレイドを通して差し入れたい。

 彼の姿を探すため顔を色々な方角へ向ける。騎士たちばかりではなく、上質な衣服を着た人々の姿も多い。観客たちだろう。おそらく貴族だ。ドレス姿の女性もちらほら見受けられる。


「将来有望な男を捕まえに来てるってわけよ」

「なるほど」


 リタがこそこそと藍華にだけ聞こえるように耳元で囁いた。今日の藍華の出で立ちはドレスよりも簡素だ。ブラウスと足首丈のスカートの上から袖のない薄い上着を羽織り、ウエストをりぼんで巻いている。上質な布地を使い、淵には細やかな刺繍も施されている手の込んだデザインのものだが、それでもりぼんとレースを多用したドレスに比べると見劣りしてしまう。


 それに、と藍華は立ち止まる。視線の先にクレイドを見つけたのだが、彼は多くの人々に囲まれていたからだ。男女それぞれが彼を取り囲んでいる。その光景に一抹の寂しさを感じた。


 彼はこの国の第二王子なのだということを今更ながらに痛感する。本当ならば藍華のような庶民が親しくできるような相手ではない。


「団長、囲まれているね。差し入れはダレルさんに預けた方が現実的かも」

「うん。そうだね」


 リタもさすがにあの集団の中に切り込んでいく勇気はないようだ。

 本当は試合の感想も伝えたかったけれど、彼には彼の付き合いがあるのだ。邪魔をしてはいけない。

 ダレルを探そうと別の方へ顔を向けようとすると、女性に名を呼ばれた。聞き覚えのある声である。


「アイカ」

 すっと近づいてきたのはなんと王妃であった。ぞろぞろとお供も引き連れている。


「おお王妃殿下におかれましては――」

「まあ、そんな堅苦しい挨拶などいらなくてよ。あなたはわたくしにとっても恩人だもの」


 ふふふ、と王妃は興味気安く藍華の顔に頬を寄せ、自分にだけ聞こえるような音量で「恩人」だと伝えた。


(わたし……何かしたっけ?)


 藍華が固まっている間に、王妃の登場を誰かがクレイドに伝えたらしい。彼がこちらに向けて歩いてくる。王妃は扇で口元を隠しながらそれを待っている。さすがは母親である。貫禄が違う。


「母上。ご機嫌麗しく存じ上げます」

「まあ、固いこと。今日の試合は少し肩の力が入り過ぎていたのではなくって? あまりブレースをいじめないでやってほしわ」

「近衛騎士隊長でしたら涼しい顔をしていましたよ」


「いい格好を見せたい相手でもいるのかしら?」

 王妃が笑みを深めながら長し目を藍華に寄越してきた。


「母上」

 クレイドが咎めるような声色になった。


 親子の気安い会話が繰り広げられているが、この国の王妃と第二王子である。気が付くと二人と藍華を取り囲むように円が出来上がっていた(リタはいつの間にか藍華の側から離脱していた)。


「アイカにとっては初めての魔法試合だっただろう。どうだった?」


「あ、はい。とっても勉強になりました。やはり実践をこの目で見ると勉強になりますね。昔、バスケ部の友人が強豪校の試合を見て研究しているって言っていたのを思い出しました」


 大真面目に答えると、となりからものすごく残念そうにこちらを憐れむ視線を受けた藍華である。元をたどると王妃であった。一体どうしたのだろう。


「なるほど。アイカらしい答えだ。確かに魔法を目で見たほうがイメージはしやすいし、そうすると魔力のコントロールもスムーズになる」

「はい。わたし、頑張ります」


 教師と生徒のようなお堅い会話が終わり、藍華はそわそわしはじめた。注目には慣れていないのだ。そろそろこの輪の中心から外れたい。さて、どうやってその他大勢枠に戻ろうかと思案していると、藍華とは正反対に鋼の精神を持つ男が人の輪から一歩飛び出て、頭を下げた。


 その気配に王妃とクレイドの二人が顔を動かした。


「ヘンリク・リウハルド伯爵か。ごきげんよう、変わりはなくって?」


 王妃が優雅に唇で弧を描いた。

 リウハルド伯爵が顔を上げ、口を開き王族に対するお決まりの口上文を述べた。その態度は堂々としており、王家の面々に対して臆する様子もない。藍華はうっかり感心してしまう。というか、そろそろ退場したいのだがとも考える。


 リウハルド伯爵の会話に飛び入りに便乗するように他の貴族たちが少しずつ話に加わり始める。内容はすべてクレイドに対しての賞賛である。


「今日のクレイド殿下の魔法剣技は素晴らしいものがございました。さすがはグランヴィル騎士団を率いるお方だけある」

「褒め言葉、ありがたく受け取っておこう」


「して、殿下」

 リウハルド伯爵の瞳がすっと細められた。


「殿下の率いるグランヴィル騎士団にお願いがございます。我が領土に今も平然と住み着く黒竜を、どうか一刻も早く追い払っていただきたい」

 と、そこで伯爵は藍華に視線を向けた。


「春の訪れとともに《女神の風》が吹いたのは、まさしくかの神の思し召し。聖女たるお方がいるのであれば、必ず我らに天は味方しましょうぞ!」


 それは思いのほか大きな声だった。リウハルド伯爵が聖女と言うと、余計に藍華に向けて視線が集中した。


「あの方が今噂の聖女か」「黒髪黒目の少女だと聞いているわ」「王家が早々に庇護されたそうですわね」「なんでも、回復魔法がお得意なのだそうよ」などという声が藍華の耳元に運ばれてくる。


(ここから逃げたい……)


 自慢ではないが、人から注目されることに慣れていない。就職活動の集団面接では毎回口から心臓が飛び出そうになるのを必死に抑え込んでいたくらいには、注目を浴びるのが苦手だ。


「聖女様、どうか、どうか、我がリウハルド伯爵領にお越しください! そして黒竜退治に力を貸してください!」


 リウハルド伯爵が体の向きを変え、藍華の両手を握ろうとしたまさにその時、クレイドがすっと二人を遮るように動いた。


「伯爵、その話は近いうちにグランヴィル騎士団の長として私があなたの元へ赴くことを約束しよう」

「おお、ありがたきお言葉」

「では、今日のところはこれで失礼する。我が騎士団の人間も今日の試合に参加をしていた。彼らの戦いは見事だった」


 クレイドはこれから騎士団所属の者たちを労いに行くのだ。空気を察した貴族たちが道を作り始める。


「アイカ、また今度」

 解散の流れを察した王妃が一足先に踵を返した。藍華は慌てて膝を折る礼の姿を取った。


「アイカ、行こうか」

「はい」


 クレイドに促され、藍華は彼と並んで歩き出す。行き先はグランヴィル騎士団のみんなのもとだ。ようやく人々の目から解放されて、「緊張したぁ~」と藍華は大きく息を吐き出した。

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