第14話 休日はフレンチトーストで1

 バターの焦げる香しい匂いに反応したのか、クレイドの腹が鳴った。

 テラスに現れたのは白い皿を持った藍華である。後ろにはメイドが同じく皿を手にしている。


「お待たせしました。わたしスペシャルフレンチトーストウィズチョコレートソースかけができあがりました~」

「いい匂いだな」


「フライパンでじゅぅぅってバターが溶けるときの香りって本当にやばいですよね。ああもう、この香りだけでご飯食べられるってくらい凶器です」


 藍華がふわふわと幸せそうに口元を緩めている。その笑顔を見ているとこちらまで釣られて笑顔になってしまう。クレイドは必死になって表情筋を引き締めた。


 時刻はちょうどお昼を跨いだ頃。今日は休息日ということもあり、アイカは前日から嬉々として厨房でフレンチトーストなる食べ物の下準備をしていた。


 彼女曰く、休みの日はプチ贅沢が許されるべきとのこと。日々頑張っている自分へのご褒美にカロリーてんこ盛りのスィーツを食事代わりに食べるのが最高の贅沢なのだそうだ。


 クレイドが想像する贅沢といえば宝石をたっぷり使った宝飾品や、最高級の絹地で作られたドレスなどを想像するのだが。アイカの言う贅沢はとてもつつましい。

 しかし、そんなところも彼女らしくて微笑ましい。


「でも、クレイドさんも本当にわたしと同じメニューでいいんですか? こういったらなんですけど、これ、相当に甘いですよ。一応冷たいお茶を用意してありますので、こちらもお供に」

「せっかくだからアイカの好きな食べ物を一緒に食べてみたいんだ」


 ほわほわと湯気立つそれは、クレイドが初めて見る食べ物だ。アイカの世界の王道スィーツらしい。こんがりきつね色の焼けたパンの上にははちみつとアイカ手製のチョコレートがかけられている。彩りにイチゴや各ベリー類が添えられており、見た目も華やかだ。


「いただきます」


 女神によって召喚された当初は、突然の出来事に消沈し部屋に籠ったまま覇気なく過ごしていたアイカだったが、元の世界へ帰ることができないことを彼女なりに消化したのだろう、最近ではずいぶんと明るくなった。

 だが、クレイドは思うのだ。彼女は無理をしているのではないかと。


「んん~、おいしいっ! カロリーの塊だけど幸せ。明日からいっぱい運動する。だから今日は許して。ううう、おいしい」


 口をはふはふさせながらフレンチトーストを頬張るアイカをじっと見つめていると、それに気が付いたのか、彼女が動きを止めた。


「やっぱり、甘すぎましたか?」

「いや。そんなことない。うん、おいしい」


 クレイドは慌ててフレンチトーストを切り分け頬張った。一日卵と牛乳で作った溶液に漬け込んでいたからか、不思議な食感である。外はカリッとしていて中はもちもちしている。こんな食べ物は今まで食べたことがない。


 それに、とフレイドは物思いにふける。彼女の作ったチョコレートに治癒能力が宿っている。これは、揺るがない事実だった。

 証人は自分だ。


(まさか、黒竜につけられた呪いが消えるとはな……)


 クレイドはそっと胸元に視線を落とした。衣服の下に意識を向ける。今は本来の肌色を取り戻しているが、つい最近まで肌の上には黒竜によって刻印された文様が浮かんでいた。魔法の文様はクレイドを痛めつけ、いずれは死に追いやるものだった。


 この世界において黒竜とは最強の生物である。知能と魔力が高く、それゆえ厄介な相手であった。群れることはないが、気まぐれに人間を襲う忌むべきもの。それがこの世界における黒竜の概念である。


 そんな黒竜から魔法を刻まれたクレイドは、ゆっくり確実に死へと導かれていた。人間ではどうすることもできない呪いの力。それを、アイカが破ったのだ。


「アイカは何か欲しいものはないか? 何か不足していたりしないか?」

「どうしたんですか?」

「この世界に来て、二カ月以上が経過しただろう。何か足りないものでもないかと思ったんだ」


 彼女に何か礼がしたい。アイカのおかげでクレイドは生を繋ぐことができたのだ。とはいえ、黒竜のことは彼女に伝えるつもりはなかった。このことは、ごく一部の人間しか知らないことでもあるからだ。

 王の息子としての矜持が、知られることをよしとしなかった。


「遠慮することはない。なんでもいいんだ。ドレスとか飾りものとか。あるだろう、色々と」


「うーん……。お洋服は執事のサークウェルさんが適時用意してくださいますし。それに、チョコレート作りの道具もたくさん用意くださっていますし。実際、チョコレート作りがとっても便利になりましたし」


 アイカが腕をさすり始めた。グランヴィル騎士団の負傷者を見舞い、振舞ったホットチョコレートを飲んだ団員が急回復した件を聞かされた藍華は当初「何かの間違いです」とぶんぶんと首を横に振った。


 だが、彼女からチョコレートを譲ってもらい、別の騎士団でたまたま訓練中に足を骨折した者に食べさせたところ、やはりたちどころに治ってしまった。

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