第13話 解呪の力

 魔瘴と呼ばれる有害な霧に取り込まれると動物や植物が魔物へと変化をするのだ。グランヴィル騎士団は魔法騎士の精鋭部隊だ。国民の生活を守るため、魔瘴への対処は重要任務の一つである。


(アイカには心配をかけたな……)


 第二王子とはいえ、自分は騎士として訓練を受けてきた身である。お飾りの団長のつもりはない。国のために戦うのは王族としての責務でもある。


 守りたい人がいる。その中には藍華も入っている。彼女はその身一つでベレイナへとやって来た。不安だらけだろう。ある日突然自分の世界から引き離され、知り合い誰一人としていない場所へ呼ばれたのだ。


 女神の気まぐれは時として残酷だ。実際彼女はふさぎ込み部屋に閉じこもったままだった。


 クレイドは藍華から手渡されたカップに口を付けた。中身はすでに半分以上減っている。


(甘い……)


 だが、悪くない甘さだ。これが彼女の好きな味なのだと思うと、妙に愛着が湧いてくるのだから不思議だ。


 ふさぎ込んでいた藍華ではあったが、帰る手立てがないことを彼女なりに消化したのだろう。この世界に、ベレイナに慣れようと前を向くようになった。日々懸命に何かに取り組むその様子は危なっかしく、何かのはずみで均衡を崩して再び部屋に閉じこもるのではないかと内心ヤキモキした。


 だが、最近の藍華は好きなことを見つけてそれは楽しそうにしている。

 クレイドはカップの中の最後の一滴まで飲み干した。彼女が作ってくれたからだろうか。特別に甘い気がする。


 そして……。

 今回はクレイドは自身の体の変化をつぶさに感じていた。


(やはり気のせいではない……。魔法の効力が減退している)


 自身に降りかかった忌まわしき呪いの力が弱まっていくのが分かるのだ。クレイドはつい衝動に駆られて四六時中身に着けている手袋を外そうとした。

 今まさに、片方の手袋を取ろうかというとき、勢いよく名を呼ばれる。


「団長、大変です!」


 見習い騎士の一人の声にクレイドはハッと表情を引き締めた。まだ少年の色を濃く残す男がこちらに向かって駆けてくる。


「どうした?」

「怪我人たちが、その。みんな元気になりました!」

「……っ」


 それを聞いた途端、クレイドは息を呑んだ。否、やはりかと確信した。


「あの、何を言っているんだと、訳が分からないかと思うでしょうが。本気なんです。本当に怪我人たちの怪我が治ったんです。とにかく来てください!」

「ああ、一緒に行こう」


 見習い騎士はしどろもどろにまくしたてた。彼自身、何が起きているのか信じられないのだろう。その気持ちは分かる。


 クレイドだって同じだ。だからこそ、この目で確かめなければならない。


 古い教会を改築して作られた救護院の病室にたどり着くと、骨折していたはずの団員が「団長!」と駆け寄ってきた。


「見てください! 怪我が治ったんです。ほら、俺の腕、動きますよ。ちっとも痛くない」

「自分もです。足の骨折が治りました。ほら、ぴょんぴょん跳ねてもズキンともしません」


 口々にまくしたてられて、クレイドは呆気にとられるしかなかった。

 団員のけがの程度は自分もよく知っている。確かに彼らは怪我をしていた。だからこそ、この街で手当てを受け、もうあと二、三日様子を見ようということになったのだ。


 その彼らが飛び跳ねている。


(やはりか……)


 自分のその、険しい表情を読み違えたのだろう、団員の一人が「先ほど、アイカ殿がホッとチョコレートなる飲み物を配っていました」と話し始めた。


「未知なる飲み物でしたが、とても甘く魅力にあふれた味でした。とにかくおいしくって……とと、それはともかくとして。飲み終わって少し経つと急に元気になったんです。ついさっきまで痛かったけがの部位が急に軽く。動かしてもちっとも痛くない。驚きました。骨がくっついていたんですから」


 男はぐるんぐるんと己の腕を回した。確かに平時と変わらない仕草である。


「さすがは女神の客人だ!」

 誰かが興奮気味に叫ぶと、賛同の声が次々と上がり始める。


「さすがは女神が遣わした異世界人!」

「俺らにいたわりの声をかけてくださって……。なんかいい匂いしたし」

「たしかに! こう、守ってあげたくなるよな」

「そうそう。そのアイカが作ってくれた甘い飲み物。最高だった」

「笑顔が可愛いんだよ」


 団員たちが口々にアイカを持ち上げるから、クレイドの眉間の皺が深まっていく。確かにアイカは愛らしいと思う。しかし、だ。いい匂いとは何だ。香りが分かるくらい近くに顔を寄せたのか。一体なんのために。彼女はそう簡単に触れていい娘ではない。


「団長、顔がめちゃくちゃ怖くなっていますよ」

「……っと、すまない」

 ダレルの言葉に、クレイドは我に返った。


「とにかく、だ。まだそのホットチョコレートが原因かどうか、決まったわけではない。口外するな。まずは検証が必要だ」

「了解しました!」

 顔と声を引き締めたクレイドに、団員たちがそろって返事をする。


「それと、アイカは大事な女神の客人だ。おいそれと近づくな。匂いを嗅ぐなどもってのほかだ。もっと紳士的に振舞え」

「申し訳ございません! 匂いを嗅いだのではなく、こう、ふわふわと花のような甘い香りが漂ってきました!」


 正直に言う団員は緊張で若干涙目になっている。

 とにかく、だ。今は憶測でアイカの周囲を騒がしくしたくはない。緘口令を敷いたクレイドはその場を離れ、一人別室へ向かった。後ろからついてくるのはダレルである。


 ぱたんと扉を閉めるなり、彼が口を開く。


「殿下、もしかして……殿下のその」

「ああ。実は私にかけられた魔法の呪いも先日から弱まっている」


 クレイドはそう言って手袋を外した。黒い文様が手の甲に刻まれている。同じものが胸にもついている。花のようにも見えるそれは時間をかけて蔓のようなものを伸ばし、クレイドを苛んでいた。

 その文様が薄くなっているのである。否、消えかけている。ダレルが息を呑む音が耳に届いた。


「……だって、それをつけたのは……」

「言いたいことは分かる。私だって驚いている。最初にアイカの作ったチョコレートを食べた時から……異変が起こった」


 クレイドはぽつぽつと話し始めた。

 アイカ手製のチョコレートなる食べ物を初めて口にしたあの直後から、体に異変が生じた。そのときは半信半疑だった。あれが原因だとは思わなかった。しかし、先ほど、彼女からホットチョコレートを手渡され、飲み干した直後から異変が生じたのだ。


「体が軽くなった。痛みに苛まれていたこの身が嘘のように、何かから解放される心地になった」

「じゃあ、追加でチョコレートを食べたら、殿下のその呪いは……」

「おそらくは解けるだろう」


 クレイドは確信に頷いた。ダレルの顔がみるみるうちに喜色に染まっていく。


「このことを陛下が知れば喜ばれますね。討伐隊にクレイド殿下を向かわせたことを、後悔されていらっしゃいましたから」

「私は王の息子だ。国民のために命を落とすことは本望だ」


 クレイドは苦笑を漏らした。臣下の前で父の顔を見せるとは、まったく。歳を取って、情に脆くなったのか。


「殿下」

「分かっている。私も無駄に命を散らすつもりはない」


 クレイドが苦笑すると、険しい顔を解いたダレルが一転、泣き笑いの表情を浮かべた。


 次の日、屋敷に帰ったクレイドはアイカ特製のホットチョコレートでもてなされた。


「おかえりなさい」とはにかむアイカに釣られて微笑み、一緒にホットチョコレートを飲んだ。彼女の次に作りたいチョコレートスイーツ談義を聞きながら、クレイドは自分の身体の変化を実感する。


(呪いが完全に解けた……)


 それは己にしか分からない感覚だった。今すぐに、文様を確認したい衝動に駆られたが、ぐっと抑える。アイカには何も知られたくはなかった。それに、もしも、彼女に拒絶されたら。脳裏に過去の思い出が蘇り、クレイドはそれを追い払う。


「アイカ、ありがとう」

「どういたしまして?」


 突然の礼に、アイカが首を少しだけ傾けた。

 その表情すら愛らしく、クレイドは思わず手を伸ばしてしまい、少しだけ彷徨ったのち、ぽんぽんと彼女の頭の上を撫でたのだった。

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