第41話 幸せな食卓

「に、偽物なんかじゃない。お母さん、ここにいるよ」

 ぐすっとしゃくり上げるヤコは幼子おさなごのように縋りつく。その手を握って母は口の端を吊り上げた。

「そう言ってくれて嬉しいわ。でも、よぞらには外の世界で生きてほしいの、きっと本物の宙もそう言ったはず」

 未だに目の前の人物が母を模しただけの幻だと受け入れがたくて、ヤコはどうしたらいいのか分からなくなる。その時、ポケットに入れておいた端末が一つ震えて声を発した。

『いいよ、ヤコちゃんが決めて。実行はそちらに居る誰かの手じゃないとできないんだ』

 ニアだ。彼は否定も肯定もしないのだ。ヤコがどの道を選ぼうとも受け入れると言っている。このまま目覚めずに、母と父とステラマリスで生きていくという、道も?

 その時、空がにわかに暗くなった。見上げれば空いた天井に覆いかぶさるように、黒い影が渦巻いていた。驚いて逃げる間もなく、影はさらさらと水のように落ちてきてヤコたちから少し離れたところに降り立った。形が変形し、ラスボスの姿から父の姿に戻る。

「ほら、ほら見ただろう! お父さんもお母さんもここに居るんだよ、これでぜんぶ元通りなんだ!!」

「あなた……」

 心底嬉しそうに笑う父の目には涙がにじんでいた。両手を広げてこちらに歩み寄ってくる姿に、母はヤコを庇うように引き寄せた。

「愉快な星乃一家がようやく再開だ! きっときっと幸せな未来がここから続いていく。そうだ、お祝いで週末には家族みんなで遊園地に行こうか。高校に入ったら忙しくなっちゃうから、今の内にみんなで行っておこうな。そういえば高校はどこを受験するつもりだっけ? 家から通えるところにしてくれないと父さん泣いちゃうからな」

「おと、さん」

 視界がカシャカシャと切り替わっていく。賑やかな遊園地、友達が笑う学校と変わり、気づけばヤコはダイニングの椅子に座っていた。ここは、三人で住んでいた家だ。父が向かいの席にニコニコしながら腰かける。

「あぁ、あんなに小さいと思ってたのになぁ。いつの間にこんなに大きくなったんだろう」

「あら、でもいずれはよぞらだって家を出て一人暮らしするのよ。それで大学生になって彼氏とか連れてきたりね」

 脇から手が伸ばされて、食卓にコトンとカレー皿が置かれる。ふわりと食欲をそそる匂いはヤコの大好物だった。そちらを見れば、にこやかに軽口を叩く母の姿があった。それを聞いた父は大げさな身振りで嫌な想像を否定する。

「彼氏だって!? そんなの絶対認めないからな!」

「まったくもう、親ばかなんだから。そういうタイプが一番うっとおしがられるのよ。よぞらが口の悪い子じゃなくて良かったわね」

「そんなこと思ってないよな? な? よぞらはお父さん大好きだもんな!?」

「あはははは、情けない顔~。さぁ食べましょ」

 あぁ、この幻想の中にいつまでも浸っていたい。この世界ではそれができるのだ。目覚めたくない。けど――

「よぞら?」

「よぞらどうしたの?」

 椅子をガタと引いて立ち上がったヤコは、うつ向いたままテーブルに左手を着いた。クリーム色のテーブルクロス、花柄のランチョンマット。ぜんぶぜんぶ、お母さんの好きだった物だ。ギュと握りしめた拳の上に、ポタリと雫が落ちる。

「お父さん、わたし起きる」

 ふり絞るように出した声で、幸せの空間にピシリとひずみが入る。それでも、ヤコは顔を上げた。

「どんなにツラくたって、目を背けたくなるような現実だって、それでも前を向いて生きていかなきゃいけないんだよ。ここで永遠に幸せな夢を見てるのは、死んでるのと何にも変わんないと思う!!」

 優柔不断で気弱だったよぞらは、砂漠の世界をヤコとして生き抜いて来たことで大きく成長していた。この甘く柔らかい空間は幻想でしかないことをきちんと理解できるまでになっていた。

 目を背けたところで現実は襲い来る。いくら打ちのめされて涙が枯れ果てようとも、泣きつかれて眠った後はまた歩き出さなければいけないのだ。ボロボロと涙を流しながらヤコは問いかける。

「それが生きるってこと。なんだよね? お母さん」

 かつて三人で暮らした家が溶けるように消えていく。元のドームに戻った視界の先で、母はイタズラっ子のような懐かしい顔でニィッと笑った。

「そうね、宙ならそう言ったとSOL-Aiわたしは計算したわ」

 勇ましく背筋を伸ばしてヤコに並び立った彼女は、記憶の中にある自慢のカッコいい母そのままだった。呆然と膝をつく博士に向かって、人工知能は腰に手を当て言い放つ。

「まったく情けない父親ね。娘の方がよっぽど前を向いて生きようとしてるじゃない。私を操作して発言を操った時点であなたの負けなのよ、

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