第40話 思春期の聖域
『言えるわけないじゃーん、制御管理下にある僕らの言動は全部博士に筒抜けなんだよ? 反逆みたいな怪しい動きしたら一発BANだって』
トラウマ物だわ!と、騒ぐハジメをよそに、携帯端末の中のニアは解説を続けた。
『だけどこの世界で唯一、博士の踏み込めない場所があった。それがこのスマホなんだ。云わば『聖域』。全国の子供たちの脳をまとめてジャックしちゃうような人でも、娘のプライバシーを覗き見ない良心だけは残ってたみたいだね。いや、単に臆病だっただけかな?』
その言葉にヤコは胸をギュッと握りしめる。優しく笑う父を想うとまた涙が溢れそうになった。それと同時に、本当にどうしてこんな大それた事をと分からなくなってしまう。
そんな聖域に堂々と入り込んでいるニアは、少しも悪びれた様子なくテンションを上げた。
『つーまーりぃー、ここはスパコンの中の仮想OS! しかも認知されてない! 支配から抜け出した僕がここに居る事で、この世界まるごと壊しちゃうようなプログラムも作り放題ってわけ!』
スマホのスペック低すぎてちょっと苦労したけどねー、と軽く言うが、とんでもない事を言っている自覚はあるのだろうか。現実世界のニアはいったい何者なのかと三人は訝し気な視線を向ける。それを気に留めることもなく、人格入りの板は元気に作戦提案を続けた。
『僕という存在はステラマリスに置いて凶悪なバグみたいなものさ。解析は済んでいる。この世界をパンクさせてサーバーを落とすんだ。そうすればノーゲームで全員目覚められる!』
その時、それまで断続的に響いていた攻撃の音が止んだ。嫌な予感がして顔を上げたヤコたちの耳に、耳障りな声が聞こえてくる。
『ナンダァァ? サッキカラ、誰ト、話シテ、ルゥゥ??』
次の瞬間、寄りかかっていた防火壁がフッと消えた。息を呑む三人の視線の先で、巨大化した黒砂の博士がぶわりと膨らんだ。
『私ヲ、倒セェェェエエ!!!』
「逃げるぞ!」
即座に立ち上がった三人は反対方向へ走り出す。先頭に立って逃がされていたヤコの手の中で、携帯端末が震えた。
『このまま僕を上へ連れて行って、データのやり取りが激しい場所がある。そこがきっとこの世界の中心、ポーラスターだ!!』
その言葉に、先輩二人は視線を交わした。示し合わせたわけではないのに、同時に踵を鳴らし立ち止まる。少し先で同じように立ち止まったヤコは振り返った。
「レイさん! ハジメさん!」
「行けヤコ! お前が蹴りをつけるんだ!」
「ここは俺たちで食い止める!」
揃いの太刀を引き抜いた彼らは、踏み込むと敵に飛び掛かっていった。キュと口を引き結んだヤコは彼らの意思を汲んで走り出す。
(私が、私がやるんだ!)
階段を駆け上がり、時には吹き抜けになっているところを一足飛びにジャンプし、どんどん上を目指していく。やがてとある扉に突き当たり、重厚な灰色の扉を力いっぱい押し開ける。
「わ……っ」
急にびゅうと吹き付けて来た風に面食らう。目を開けてみると、そこはもう外だった。辺りはすでに陽が沈んでおり、地平線の彼方がうっすらと明るい以外は空は藍色に包まれ始めていた。
そして、手すりのついた通路の先に見上げるほど大きな塔が一本そびえたっている。先端には半球状の物がついていて、いかにも何かありそうだ。ヤコは躊躇う事なくそちらに突進し、螺旋階段を上り始めた。吹き付ける風の音の合間に、カンカンカンとブーツの音だけがリズミカルに響く。
登り過ぎて軽く目が回ってきた頃、少しだけ広い踊り場のような物があったので、一度座り込んで息を整える。
『おつかれー、ちょっと休憩しようか』
「は、はいぃ……」
『それにしても、この世界がホントじゃないなんて、今でも信じられないね』
汗を拭っていると、手の中にいたニアがぽつりとつぶやいた。手すりの外に目を向ければ、暮れなずむ空に一番星が輝き始めていた。急いでいることも忘れ、現実と変わらない美しさについ見惚れてしまう。
『色も匂いも、頬に当たる風も、これだけリアルなら博士の『第二の現実』って主張も分からなくはないかも』
「……」
髪を耳にかけたヤコは鉄柵に手を添える。少しひんやりとしたこの感触さえも、計算された情報でしかないと言うのだろうか。
「ニアさんは、どうやって父と知り合ったんですか?」
もう少しだけ休憩したかったヤコは、何となくそう尋ねていた。すると彼は急かすこともなく答える。
『実際に会ったわけじゃないよ、匿名掲示板でバイト募集をしてたところに僕が応募したんだ』
「バイト?」
『そう、新規に開発してるゲームの運営に協力してくれないかって。僕の他にも船の数だけ内通者は居たみたい。各星をそれとなーく動かすためのお助けキャラとしてプレイヤーの中に紛れ込めってね』
だから、ヤコがプラネタリウムに行こうとした時もついて来てくれたのか。考えてみれば、ニアはよくイベントだのフラグだの言っていた。それは本当にそのままの意味だったのだ。
「そういえば、父に恨みがあるって……」
そう呟くと、携帯端末はあからさまにぎくぅと跳ねた、ような気がした。
『あ、あー、それはまぁ、なんというか』
「なんというか?」
『……ごめん、やっぱり内緒。ヤコちゃん泣いちゃうかもしれないし』
「そんな酷い事したんですか!? うちの父が!?」
思わず腰を浮かせて前のめりになってしまう。何とかして聞き出そうとするのだが、ニアははぐらかすばかりだった。
『まぁまぁ、全部が終わったら本人に直接聞いてみなよ。もしかしたら教えてくれるかもしれないし』
「うぅーん?」
『ほら、そんな事より先を急ごう、早くしないと勢い余ったハジメっちがラスボスを倒しちゃうかも』
コクンと頷き、再び階段を駆け上がり始める。何か心の片隅に引っかかり続けているような気がしたが、ヤコはついぞその正体に気づくことが出来なかった。
塔を上り切り、優美な装飾の施された白の扉を開ける。塔のてっぺんにあった空間は、外からの見かけ通りドーム状になっていた。頂点がぽっかりと空いていて美しい藍色の夜空が直に見える。
ここが旅の終わりだ。直観的に悟ったヤコは感慨深くなりながら辺りを見回す。全体的にキラキラと光る素材で出来ていて、どこか神秘的な神殿のようにも見える。壁面には白い壁に銀の塗料でうっすらと星座が描かれていた。
コツ、コツと、やけに自分の足音が大きく響く。天窓からの光が差しこむエリアに足を踏み入れたその時、フォンと小さな音が響いた。飛び跳ねたヤコの視線の先で、中央に周囲からキラキラと光が集まっていく。
「え……」
光は細く華奢なシルエットへと変化した。白く流れるようなワンピースを身にまとう姿は女性のように見える。記憶の奥底で覚えのある姿に、ヤコは大きく目を見開いた。耳の辺りで切ったショートヘアは、手入れがとてもラクなのよと、笑う声が唐突に耳元でよみがえる。
「あ……あぁぁ……」
ほっそりと線を描く頬のライン。目の下の泣きぼくろはスピカだねと、抱っこされて指を添わせた記憶が次々とあふれ出す。
――よぞら、父さんな、この世界で母さんを『作った』んだ。生き返らせることに成功したんだよ!
「お母さん!」
泣き叫びながらヤコは駆け出していた。もつれそうになる足元を何とか踏ん張り、両手を広げて待ち構える彼女の胸の中に飛び込む。
「お母さん、おかあさん、うわぁぁぁん!!」
頭に乗せられた手で、慈しむように撫でられる。もうこの瞬間だけは、何も考えられなかった。ただひたすらヤコは……よぞらは大好きな匂いに包まれて涙する。記憶の中そのままの母は、何も言わずに暖かく抱きしめてくれた。
「よぞら、大きくなったね」
気が済むまで泣いて、ようやくしゃくり上げる程度になってきた頃、彼女はヤコの両肩に手を置いて少し離した。そして、優しくも厳しい声でこう告げる。
「ごめんね、今から辛い事を言うかもしれないけどちゃんと聞いて」
「う、ひぐっ、え?」
「私は
つまりね、と。母の姿をした人工知能は寂しそうに微笑んだ。
「私はあくまで再現Aiでしかないの。偽物なのよ」
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