第39話 ハローハロー

 大勢の子供たちと、たった一人の女の子を天秤にかけるだなんて、幼い頃から帝王学を学んでいるレイからすれば1秒で答えが出せるはずだった。1人を犠牲にして99人を救うべきだ。だが、机上ではスラスラと答えられたはずの問題に直面した今、解が出せない。いったいどうすれば――

「お、置いて行って下さい!」

 迷っている内に結論を出したのは、他でもないヤコ当人だった。優柔不断だったはずの彼女は、若干青ざめた顔で、それでもきっぱりと告げる。

「私だったら大丈夫です。皆さんは起きて、それで何か方法があるようだったら助けに来てください」

「ヤコ……」

「それにほら、私だったらお父さんを説得できるかもしれませんし!」

「……お前、それでいいのか」

 皆が現実に帰っていく中で、一人それを見送るのはとてつもなく心細いことに違いない。だが弱虫だった彼女はグッと涙を堪えて笑みを浮かべた。

「私、待ってますから」

 青ざめながら言われた言葉が、先輩二人の心にずしりと影を落とす。どうにもならない手を、今自分たちは離そうとしているのだ。俯いたレイがギリと歯を噛みしめる。

「すまない。必ず助けに……」

 苦渋の選択をしようとした――その時だった。どこからともなく間抜けな電子音が響く。単純なメロディーを刻むそれは緊迫した雰囲気にはあまりにも場違いで、走り続けながら三人は思わず目を点にする。

「な、なんだ?」

「え。あ、着信?」

 わたわたと内ポケットを探っていたヤコは、携帯端末を取り出す。見れば画面には汎用のシルエットアイコンと震える受話器のマークが表示されていた。電波もないのにどこから?と、不安に駆られるが、考えるより先に応答のタップをして耳元にあてていた。おそるおそる問いかける。

「も、もしもし?」

 しばし通話の向こうの相手は沈黙していた。もう一度問いかけようと口を開いた瞬間、少しクセのあるおどけた声が耳に飛び込んできた。

『ハローハロー、こちら移動要塞船『ヤコちゃんのスマホ号』。救難信号を受信した、お困りごとがあれば1を、小粋なジョークを聞きたい場合は2を、その他のお問合せは9番を押してください』

 こんな場面でもふざける人物を、ヤコは一人しか知らなかった。両手で端末を握りしめ叫ぶように話しかける。

「その声、まさかニアさんですか!?」

「んなっ!?」

「ほんとに生きてたんですね! そうなんですよね!?」

 そう問いかけると、一瞬の沈黙の後どこか気まずそうな声が流れて来た。

『やべ、滑った。あんな退場した手前、どのツラ下げて話しかけるのが正解なんだろ』

「ニアさぁぁ~~ん!!」

 間違いない、こんな返しをしてくるのはあのお調子者の彼しか居ない。死んでいないとは聞いていたが、こうして会話できたことでようやく不安が晴れた。堪えていた涙がぶわりと噴き出る。

「ひぐっ、よかっ、うわぁん」

「ヤコ、貸してくれ。スピーカーにする」

 端末を受け取ったレイが全員に聞こえるようにする。走り続ける三人の事情は把握しているのか、電話の向こうの彼は指示を出してきた。

『そこ、右に曲がって防火扉を閉めれば時間稼ぎになるよ。3枚あるから手前から閉めてって』

「ワナじゃないだろうな!?」

『んまー失礼しちゃう。別に信じてくれなくてもいいけどーぉ? この状況を打開できるのは僕だけなんだけどなぁー? チラッチラッ』

「よーし、そのウザさ間違いなく本人だな!!」

 キレているのか喜んでいるのか分からない表情でハジメが鬼の形相で笑う。通路に飛び込んだ三人は言われた通りに壁の扉を引き出して閉めていった。言われなければこんなものある事すら気づかなかっただろう。

 防壁を築けたところで、皆でそっと耳を澄ます。博士はどうやら遠くの一枚目の扉に体当たりを仕掛けているようだった。ほっと胸を撫でおろしその場にドサドサと座り込む。

「助かっ」

『ってないよ。あれは楽しんでるだけじゃないかな、いかにもラスボスっぽい挙動じゃん』

 ニアの警告に気が緩みかけたヤコはピシッと背筋を正した。対してレイは冷静さを失わないまま、三人が座る中心辺りに携帯端末を置く。

「そうだな時間がない。では単刀直入に尋ねよう」

 ここで声の調子を少し変えたレイは、ピリッとした緊迫感を空気に含ませた。

「ニア、お前は私たちの味方か?」

『……』

 皆が黙り込み、遠くの方でドーンドーンと打ち付ける音が聞こえる。しばらくしてスピーカーはしゃべり始めた。

『お察しの通り、僕は最初から博士の手駒だった。スパイってやつだね。でも、こんな事態になるなんて聞いてなかったから裏切った。博士に大きな借りがあるのは僕も一緒さ、敵の敵は味方ってことで手を組まない?』

 姿は見えないのに、口の端を吊り上げて笑う表情が見えるような声だった。聞きたい事はいろいろあったが、ふむ、と唸ったレイは状況を優先した。

「よし、ならば聞かせて貰おうか。どんな作戦がある?」

『待ーってました! さすがレイちん! 頭ガッチガチの誰かさんとは違う!』

「誰の事だコラぁ、画面叩き割るぞ」

 くわっと牙を剥いたハジメが怒りのオーラを立ち上らせる。案外その脅しは聞いたようで、ニアの声に焦りがにじんだ。

『わっわっ、ちょっと待った! このスマホが要なんだって。壊されちゃたまんないよ』

「私のスマホが?」

 意外そうな顔でヤコが声を上げる。機械には疎いため、彼女が使っている機体は割と前の世代の物だ。こんなオンボロ端末がいったい何の役に立つと言うのだろう。そんな空気を出すと、元エンジニアは面白そうに声の調子を上げた。

『携帯端末ならなんでも良いわけじゃない。『僕入り』の『博士に認知されてない計算領域』ってのがミソなんだ。ここでクーイズ、僕が今どこに居るか分かる?』

 目を瞬いた三人は周囲に視線を巡らす。その反応が狙い通りだったのか、ニアはケラケラと楽しそうな笑い声をあげた。

『ここだよ、ここ。スマホ本体の中に居るんだ』

「え、えぇっ!?」

 一体どうやって? と、ヤコは持ちなれた機体を手にあちこちの角度から眺めた。人ひとりが潜むにはあまりにも薄っぺらすぎる。

『ヤコちゃん、前にプラネタリウムで僕にこのスマホを預けてくれたの覚えてる?』

 問いかけられて首を何度もコクコクと振る。非常電源が生きてると聞いたので充電して貰ったのだ。

『あの時に、僕自身のデータをこっそりコピーしてここに忍ばせておいた』

「へ」

『デジタル世界だからできる事だよねー、そんでもって裏切りムーブをしてハジメっちにさっくり殺して貰って、意識をこっちに切り替えたってわけ』

 それを聞いたハジメが、むんずと携帯端末を握りしめる。すぅと息を吸い込むと叩きつけるように怒鳴った。

「馬鹿野郎! それならそうと言わんか!! 俺は本当に……人を殺したかと……っ!!」

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