第38話 ゲームマスターからのお願い

「あぁ、そうだよ」

 肯定されたヤコの表情がパァァと明るくなっていく。目のふちに滲んだ涙は嬉しさに依るものだった。

「じゃあ、じゃあ、ナナちゃんもナツハ君も、ニアさんも、現実では死んでないの!?」

「もちろんさ、現実世界の君たちは今、意識を失っているだけ。それにダイブしてからほとんど時間も経っていないよ。演算結果を君たちの脳にバックしているだけだからね」

 はぁぁ~と安堵のため息をついたヤコは、ボロボロと泣きだした。流れる涙を拭いながら、よかった、よかったぁとしきりに繰り返す。

「みんな生きてるんだ……死んでなかったんだ……うぅ、うわぁあああん」

「クソ親父! クソ親父!!」

 子供のように泣きじゃくるヤコの横で、レイが殺意高めに拳を振るっている。どう収集をつけた物かと立ち尽くすハジメに向かって、博士はここぞとばかりにセールスポイントを押し出してきた。

「どうだい、このステラマリスは素晴らしい世界だろう? ノーリスクで経験値を積めるシミュレーターとしての運用を考えている。もっとテストを重ねて実用化すれば、人類を飛躍的に進化させるはずさ!」

「あーハイハイ。で、このシナリオの終了条件は?」

 うんざりと言った渋い顔でハジメが手を振る。彼からしてみれば、命を賭してここまで戦ってきたつもりなのに、それが実は茶番だと聞かされて急にアホらしくなったのだ。これが夢だと言うならいい加減覚めたい。

「テストプレイはもう充分だろう。とっとと条件を満たすから目を覚まさせてくれ」

「簡単だよ、今からラスボスを呼び出すからそれを倒せばいい。あぁ、だけどその前に一つお願いがあって」

「なんだ?」

 ようやく落ち着きを取り戻してきた女子二人も耳を傾ける。そんな中、博士はごく当たり前のように笑顔で言った。


「よぞらはこの世界に置いて行って欲しいんだ」


 子供たちは頭の中でセリフを反芻する。特に当の本人ヤコはことさら事情が分かっていないようでポカンと口を開ける。

「君たちが終了条件を満たしたら、ゲームセットということで参加した子供たち全員の目は覚める。ただその子だけは起きないように設定してあるから、現実世界の私の体もろとも生命維持してくれないかなぁ、千本木製薬さんで死ぬまで面倒みて欲しいんだ」

「はぁ?」

 何をアホなことを、とハジメの呆れた声が漏れる。それを聞いてヤコもようやく反応を返すことができた。

「お父さん、何いってるの?」

「よぞら、父さんな、この世界で母さんを『作った』んだ。生き返らせることに成功したんだよ!」

 この辺りから博士の目が欄々と妖しく輝き始めた。狂気とも狂喜ともつかぬ熱弁を泡を飛ばしながら彼は続ける。

「生前のデータをかき集めてAiを構築した、今はまだ調整が甘くてセーフモードルームから出られないけど、会えば分かる……あれはそらだよ!」

 突飛なことを言い出した博士に一同はゴクリと息を呑む。死んだ者が生き返らないのはどんな子供だって分かることだ。大の大人が何を言っているのだろう。

「承諾できるわけないだろう。あなたは娘をこんな仮想世界に閉じ込める気か?」

 レイが冷たく切り捨てると、博士はショックを受けたように目を見開いた。なんとか分かって貰おうと手を振りながら説明する。

「か、仮想世界なんかじゃないよ、ここは第二の現実だよ? 居なくなってしまった人とだって会える理想郷なんだ。な?」

「レイ、俺たちが目覚めたら、この世界を動かしてるスパコンを一度落とせばいい。そうすりゃこのおっさんも目を覚ますだろうよ」

 文字通りな。と、心底呆れた様子のハジメが意見する。だがそれに焦った博士は悲鳴を上げた。

「そんなことしちゃダメだよぉぉ、強制シャットダウンなんかしたら、その時ログインしてる全員の脳を焼き切るようプログラムしてあるんだから。よぞらまで死んでもいいのかい!?」

「なっ……!?」

 突然明かされた手の内に緊張が走る。娘を人質にとる非道さにも驚くが、それ以前に、それはつまり言い換えれば、博士が本気になれば現在この世界にログインしている子供たちの脳も焼き切ることが可能ということでは?

 黙り込んだ子供たちに、博士は満足げな笑みを浮かべた。右手を天に掲げると、そこから青い光がキラキラと拡散していく。

「だぁいじょうぶ、大人しくクリアさえしてくれれば危害なんて加えないさ。君たちは大切な使者だし、それに子供は未来への宝だからね。さぁフィナーレだよ。ラスボスを倒してみんなで最高のエンディングを迎えよう!」

 その姿に一度ジジッとノイズが走り、まばゆく光りながら巨大化していく。ようやく光が収まった時、そこには巨大な黒い砂の人形が出現していた。見上げるほど高いホールの天井ギリギリまで大きいそれは、屈むようにしてこちらを見下ろしている。レイとハジメが素早く構える後ろでヤコがヒィッと悲鳴を上げた。

『サア ァ ァ ァ 、 イクヨォォォ!!』

 聞き取りづらいガサガサとした声が、巨大化した博士の口から土石流のごとく降ってくる。その巨体に見合わぬスピードで振りかぶった彼は、思い切り手のひらをこちらに叩きつけて来た。

「きゃあ!」

「退け! いったん逃げるぞ!」

 衝撃で吹き飛んだ三人は、転げる勢いでホールから飛び出した。ズモモモ……と身を起こした博士の、拍子抜けしたような声が追ってくる。

『アレェェ、逃ゲチャ、ダメ、ェェェ』

 通路に出ると、そこはいつの間にかフォーマルハウトの内部とよく似た銀色の通路になっていた。だがそんなことを気に留める間もなく、背後から砂の津波が襲って来る。三人は急いで駆け出した。

「どうするレイ! このまま脱出するか!?」

 手の形に変化する砂からひょいと逃げながらハジメが叫ぶ。その先を走っていたレイは、不安そうに振り返るヤコを見ながら苦渋の声を出した。

「逃げてどうする! このまま逃げたところで何も解決はしない! だが……っ!」

「……」

 あのラスボスを倒すのは不可能ではないだろう。向こうもそれを望んでいるのだから。

 しかしそれはヤコを見捨てていくと言う事に他ならない。一度目覚めた後に再びこの世界に入り込める確証もない。そして外から強制的に起こそうとすれば彼女が死ぬ。

(詰んでいる! 置いていくしかないのか!?)

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