第28話 君はジョバンニ

 思えばガードになる踏ん切りが付かないとき、相談に乗ってくれたのも彼だった。淹れてくれるカフェオレはいつだって甘くて、優しくて――

(あ、あれ?)

 トクン、と鼓動が一つ主張する。一度意識してしまえばそれはどんどん無視できないものになっていった。頭をブンブンと振ったヤコはその考えをいったん横へ置こうとする。

(わーっ、無し無し! 確かにニアさん見た目は大人っぽくてカッコいいけど、中身はヘンな人だし、私のことからかってばっかりだし!)

「あっ、見てみて、あれってもしかしてカノープス?」

「わぷっ」

「あ、ごめん」

 急に立ち止まった彼の背中に激突してしまう。鼻をさすりながら視線を上げると、出口の上辺りには赤く輝く星が投影されていた。南の地平線近くに身を投じる赤い星の上には『Canopus』と、書いてある。

「……」

 今頃あの船はどこに居るのだろう。イツとアキトは上手くやっているのだろうか? きゅうと切なくなる思いで星を見上げていると、横からとんでもない質問が飛んできた。

「今さらだけど付いていかなくて良かったの? アッキーのこと好きだったんでしょ?」

「んぐっ!?」

 まさかバレているとは思わずヘンな声が出る。あわあわと口ごもりながらそちらを見ると、ニアはケラケラと笑っていた。

「な、なんで」

「えー、隠してるつもりだったのー? みんな気づいてたよ。対面するたびに真っ赤になっちゃってかーわいーのー」

「うわぁぁあぁ」

 恥ずかしさのあまり頭を抱える。消えてしまいたい衝動に駆られながらも、ヤコは早口で捲し立てた。

「い、良いんです、憧れみたいなものだったし。イツさんともすっごくお似合いでしたし。あの人たちが一等星だとしたら、私は10等星くらいの凡・凡・凡人な一般モブなんですから」

 自分で言ってしまえば確かにそんな気がしてくる。ズキンと痛む胸は無視して、ヤコは切なげに笑った。

「……お二人が幸せになれるなら、私はそれで」

 それまでからかうようにニヤついていたニアだったが、ふいに真面目な顔をするとヤコをまじまじと見る。

「ヤコちゃんてさぁ、あれに似てるよね」

「あれ?」

「なんだっけ、みんなの幸いの為なら自分は星になって燃えても構わないってサソリの話」

「……銀河鉄道の夜ですか?」

 ピンと来て言い当てる。銀河鉄道の夜は、繰り返し読んだ大好きな話だ。幻想的な宙の世界に胸躍らせ、ジョバンニたちと共に星めぐりをした記憶がよみがえる。

「それそれ。自己犠牲っていうの? 最初読んだときはアホくさって思ってたんだけど」

 自分もそうだと言われているような気がして地味に傷つく。だがニアは少しも気にした様子はなく、カラッと笑ってみせた。

「でも実際見たら考えが変わった。他人を思いやれる優しさって傍から見てて存外、愛しいものだね。僕、不器用なヤコちゃんのことけっこう好きだな」

 好きと言われて鼓動が跳ねる。本当にもう、この人には心を乱されてばかりだ。それも、のらりくらりしている物だから本心かどうか分からない。少しずつ慣れてきたヤコは、ドクドクと逸る胸を押さえながら視線を逃がした。

「だ、だとしても、女の子をサソリに例えるのはどうかと思います」

「えー? じゃあ主人公たちでいいや、確か同じようなこと言ってたよね? 君がジョバンニで、僕がカムパネルラ」

「なんですかそれ、今度は男の子じゃないですか」

 ついふふっと笑ってしまう。さきほどまで感じていた一抹の寂しさは、このささいなやりとりを交わす事でいつの間にか消えていた。

「君の心は綺麗だね」

「え?」

「まぶしいくらいだ。10等星なんかじゃない、僕からすれば、ヤコちゃんはよぞらに輝く一等星みたいだよ」

 真剣な顔で言われてもう心臓が限界だった。サラリとなんてことを言うのだろう、この人は。真っ赤になったヤコはほとんど放心して目の前の彼を見上げる。急に破顔したニアは、こちらの頭をまるで犬でも撫でるようにワシャワシャとかき乱した。

「あはは、本当に可愛いね。面白い子だなぁ」

 からかわれたのだと気づいたヤコは乱れた髪を直しながらむくれた。

「……ニアさんって、他の女の子にもこんな距離感なんですか」

「まさか、ヤコちゃんにだけだよ」

「またそういうこと言う」

 おどけたように言われたのでクスクスと笑う。こんな軽口を叩き合える人なんて初めてで、なんだかむず痒いような不思議な気持ちがヤコを満たした。目元を細めてこちらを見下ろしていた彼が、ぽつりとこぼす。

「こうしておくことで、君の記憶容量に少しでも残れるかな?」

「?」

 どういうことかと見つめ返すと、どこか切なげに笑ったニアはこう続けた。

「覚えていて、ってこと」


 ***


 なんとか夜明けと同時に船まで帰還する。そんな二人を外周リングの上で待ち構えていたのは、鬼の形相をしたハジメ隊長だった。

「朝帰りとはいい度胸だな」

「ひぃっ!?」

 まだ日が出たばかりの時間帯、コッソリ入ろうとしたところで見つかり、思わずヤコはそのままクルリと踵を返して逃げたくなる衝動に駆られる。そんな空気を物ともせず、続けてよじ登ってきたニアがいつもの調子で軽く答えた。

「やーだぁー、隊長ってば野暮なんだからぁ。娘の門限を気にする父親だよそれじゃ」

「気色悪い喋り方をするなといつも言っているだろう! よーし貴様ら、ガード自ら船律違反とはいい度胸だ、覚悟はできているんだろうな?」

 パキパキと指を鳴らしながら近づいて来た鬼に恐れをなす。ところがサッと間に割って入ってくれたニアにより、話の流れが変わった。

「おっと待った、これを見てもそんな事いえるかな?」

「なんだ? 話を誤魔化すつもりなら――」

 彼がふところから例の星座盤を取り出した瞬間、切れそうなほどつりあがっていたハジメの目が驚きで見開かれる。

「それは……っ!」

「二人で調査してきた。レイちんをコンソール室に呼んできてくれないかな、話がある」

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