第22話 ハナちゃん
(後悔しないよう、悔いのないように。なんだか最近よく聞く言葉だ。何かを選ぶって難しいな、ゲームみたいに途中からやりなおせたら良いのに)
ヤコはそんな事を考えながらデッキに出る。爽やかな夜風が頬を撫で気分が晴れる。少し向こうに見張りの者が数人見えたが、考え事をしたかったヤコは一人になれそうな場所を探した。
(星が見たいな……)
ふと思い立って船体を見上げる。船の外壁は取っ掛かりも何もないツルっとした球体だが、今の自分なら登れそうな気がした。周囲を見渡して誰も見ていないことを確認すると、数歩下がって距離を取る。能力を付加した脚で駆け出すと助走をつけてトンッと踏み切った。
「あれ……?」
そしてのんびりと頂上まで歩く途中、目指す場所に先客がいることに気づいて小さく声を上げる。膝を抱え込んでこちらに背を向けるシルエットは、大きなおさげが見覚えのある彼女だった。
「イツさん?」
「ひやわぁぁ!?」
声を掛けると、こちらが驚く勢いで彼女は悲鳴を上げた。そのまま「あ、わぁっ」などと叫びながら転がり落ちていくものだから、慌てて回収する。
「あっ、危ないですよ! 何してるんですか!」
「あひぃ、ゴメンねぇ、ゴメンねぇぇ、落ちるかと思ったぁぁ」
ひしっとこちらに抱き着く様子は、とても年上には見えない。苦笑しながら横に座ったヤコは、彼女の姿がここ数日見えなかったことを思い出した。
「そういえばイツさん、どこに行ってたんですか? 交流会にも全然顔出さないし、会議すら出ないなんて珍しいですね」
「うぅ、みんな探してた?」
「えぇと」
根が正直なヤコはつい言葉を濁してしまう。実を言うとみんなほぼ気に留めていなかったというか、影が薄いにもほどがあるというか。
返答に困っていることに気づいたのだろう、イツは口元に手をあて小さな笑みを浮かべた。
「ふふ、わかってるよ。あたしってば影が薄いでしょ? だから逆に利用して隠れてたの」
「隠れてた? 誰か会いたくない人でも居たんですか?」
「うん、アキト君」
ここ数日、ヤコの心をかき乱している名前にピクッと反応する。それには気づかず、イツは夜空を見上げて話し出した。
「……。ヤコちゃんには話しておこうかなぁ。あたしの本名ね、花に菜っぱって書いてカナって読むんだ。でもあっくんは小さい頃、いつもハナちゃんハナちゃんって呼んで後ろをくっついて歩いてきてた」
――子供の頃お隣に住んでた女の子なんだけどね、すごく明るくて強くて勇敢で……
アキトの発言を思い出したヤコは瞬いた。強くて、勇敢。失礼だが、目の前にいるイツとは180度違う人物像のような……。
「え、えぇと、アキトさんからお話聞いてます。もしかしてその幼なじみの女の子が、イツさん?」
「わぁ、あっくん覚えててくれたんだ。でも、今のあたしからは想像もつかないでしょ?」
照れくさそうにはにかんだイツは、おさげをいじりながらどこか悲しそうに言った。
「確かに子供の頃はそんな感じで男勝りだったの。恥ずかしいなぁ……。でもね、引っ越した先でもそのキャラを貫いてたら周りからすごく浮いちゃって……ウザいって無視されるようになって……それで段々……こんな根暗に……」
影を背負っていくイツを励まそうと、ヤコは膝立ちになって必死に訴えた。
「か、隠れてないで、会いましょうよ! きっとアキトさんだって喜んでくれるはずです!」
アキトがいかに「ハナちゃん」という憧れに支えられてきたかを熱弁する。だが、イツはそれを聞いて余計に落ち込んでしまった。
「ますます会えない……ハナちゃんは綺麗なイメージのままにしておかなきゃ……」
ここでぐすっと鼻をすすったイツは、ふところから朱色の巾着袋を取り出した。
「きっと、あたしがカッコよく在れたのは、あっくんが居てくれたからなんだろうなぁって」
見覚えのある巾着袋にドキッとする。きっとそれは、在りし日の幼い二人を結ぶ大切な絆なのだろう。ヤコには踏み込むことができない遠い日の幼い思い出。それを今でも大切に持っているのだ。あちらも。
だが、その事を言うのがなぜか躊躇われてヤコは黙り込む。ズキズキとした痛みは経験したことのない苦みを帯びていた。この感情は抱いてはいけない物のようでそわそわしてしまう。
涼しい夜風が吹き抜ける。満点の星明かりは二人に平等に降り注いでいた。
「あたしね、ヤコちゃんが羨ましい」
「え?」
唐突な一言に思わず視線を上げる。イツは横顔でえへへと笑っていた。痛々しく感じたのはなぜだろう。
「だってあたしの完全上位互換なんだもん」
思いもしない告白に声を失う。前に聞いた事がある。ヤコが来るまではイツがコアの位置割り出しを担当していたのだとか。だがそんな風に思われていたとは……。ヤコはひどい罪悪感に襲われた。
(私が、イツさんの立場を奪ったんだ。そして今、アキト君も奪おうとしている)
膝を抱えて正面を向いたイツは、どこか寂しそうに続けた。
「ほんとのこと言うとね、ポジション取られちゃうって最初はモヤモヤしてた。でも怨もうにもヤコちゃんすっごくいい子だったから……それもできなくて」
泣くのを堪えているかのように、イツの声は早口になり震えていく。聞いているこちらが辛くなるほどに。
「カノープスに誘われるのも当然、だよね。ヤコちゃん可愛いし、あたしみたいなのと比べても、全然あっくんとお似合いだと思うし……っ」
「イツさ――」
ここで膝に顔をうずめたイツは、ほとんど聞き取れないくらい押し殺した声で呟いた。
「どうしてあたし、こんな嫌なヤツなんだろう。こんな感情……持ちたくないのに……」
かける声が見つからず、しばらく辺りにはイツが鼻をすする音だけが響く。
なんとか声を掛けようとしたその瞬間、いきなり立ち上がったイツは目元をゴシゴシとこすった。すぅはぁと深呼吸して振り向いた彼女は、もう泣いてはいなかった。晴れやかな笑顔で両手を広げる。
「ごめん。今のウソ! 気にしないで。ええと……こっちの船のことは心配しないで平気! 大丈夫、ヤコちゃんが来る前に戻るだけなんだから。なんとかなるなる!」
不自然に明るい彼女はヤコの手をギュッと握りこむ。真っ赤に腫れた目元で「がんばってね」と激励の言葉を残し、降りて行った。
取り残されたヤコはショックを受けていた。ミミカの時もそうだったが、自分という存在が他人に影響を及ぼし過ぎている。これまで人畜無害な人生を送ってきた少女にとって、その事実は受け入れがたい事実だった。それでもヤコは懸命に考える。
(このままじゃいけない気がする。二人の為に私ができることは――)
じぐじぐと胸は痛み続けていたが気づかないふりをした。ギュッとつむった目を開けた時、ヤコの瞳は決意に満ちた力強い輝きを宿していた。
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