移動要塞船『フォーマルハウト』

第5話 乗船

 近くまで寄り、首が痛くなるほど見上げると船は本当に巨大だった。高台からも見えた赤いリングはよく見ると反時計回りに回転しており、ブォンブォンと低い唸り声のような音を立てていた。

 一行が近寄ると球体の底面が一部動き、まるで飛行機のタラップのように入り口が降りて来る。そこからひょっこりと顔を覗かせたのはやはり同年代の男子だった。彼は整備士のようなキャップを被り直してにっこりと笑う。

「レイ様! ナナさんにハジメさんも、無事で何よりです。あれ、その子は?」

「保護した。上に連絡して受け入れ態勢を整えておいてくれないか」

「わかりました。おーい、ちょっとそこの君――」

 タラップは人が歩くより少しだけ早いスピードで逃げていく。ナナに負ぶわれたまま飛び移ると、いよいよこの船に乗り込むのだと緊張感が高まった。

 ようやく自分の足で降り立ち、内部に上がる。中は思ったより天井が低かった。なんの素材でできているのだろう? 白に近いグレーの床や壁材がますます近未来感を感じさせる。あちこちを眺めていると、出迎えてくれたクルーが興味津々に覗き込んで来た。

「へぇ、女の子だ。この時期になって珍しいね、街にでも隠れてた?」

「え、あの……」

 戸惑うヤコを庇うように、ナナがギュッと横から抱き着いてくる。

「詮索禁止ーっ、このコすっごく怯えてたんだから、そういうのは落ち着いてからにしてあげてよねっ」

「あらら、そりゃすみませんでした」

(しばらくは記憶がないふりをしておくといい)

 近くに寄ってきたレイがこそっと耳打ちをしてきたので、ありがたくそうさせて貰う事にした。


 先導の彼に導かれるまま薄暗い階段を上ると、ようやく屈まなくてもいい空間に出た。暗くて足元のおぼつかない道を抜けると、行く手に何やら赤い光が見えてくる。通路から内部に出たヤコは、急に開けた視界に口をぽかんと開けた。

 広い空間だった。黒を基調とした中は5階層ほどぶち抜いて吹き抜けとなっており、正面には巨大な赤い正八面体のクリスタルが鎮座していた。見上げるほど大きいそれは、薄暗い空間の中で煌々と輝いている。

「すごいでしょ、これがこの船を動かしてる動力じゃないかってみんな言ってるよ」

 ナナの言葉に返すこともできない。ふと我に返ると、たくさんの子供たちが働いていることに気づいた。洗濯かごを抱えている少女、バケツを重ねてどこかへ運んでいる小さな子。

(本当にここで集団生活をしているんだ……)

 興味深く観察していると、何気ない調子でレイが告げた。

「さてヤコ、君にこれから担当して貰う仕事についてだが――」

「っ!」

 ドキッとして思わず身構える。明らかに怯えた様子に気づいてくれたのだろう、彼女は穏やかに微笑んで、優しく言ってくれた。

「……。まぁ、急ぐ必要はないか。色々あって疲れただろう、今日はとりあえず休むといい」


 ***


 仕事があるというレイたちと別れ、ナナに連れられてやってきたのは、4階の奥に位置する部屋だった。手をかざすとプシュウと近未来的な音がして扉が横にスライドする。

 中へ入ると、ホテルの一室をギュッと縮めたような部屋が出迎えてくれた。奥にある横向きベッド、壁から引き出すタイプの机、それから小さめのクローゼット。通路の幅が狭く圧迫感はあるが、そのうち慣れるだろう。

 入り口すぐ脇の扉を開けると、シャワーと洗面台、それからトイレまである。ほわっと自動で明かりが灯ったことに驚いていると、ナナがクローゼットを開けて部屋着を持ってきてくれた。

「着替えのサイズが合わなかったら言ってね、替えならたくさん拾ってあるから」

「ね、ねぇ、こんな良い個室入っちゃっていいの?」

 多少狭いがプライベート空間は十分に保てる。新入りの自分が入るにはあまりにも上客扱いすぎるのでは……。ところがナナは軽やかに笑いながらヒラヒラと手を振った。

「だいじょーぶ、同じような部屋なら他にもいっぱい余ってるもん。もっと小さな子たちは一人で寝るのが怖いって下の大部屋で集まって寝てるんだけどね」

「そう……なの?」

 その時、扉がノックされて誰かがやってくる。扉を開けると、そこにはナナよりもさらに小さな女の子が二人、軽食の乗ったトレーを持って立っていた。

「おっ、おゆーはんを、お持ちしま、しました!」

「ん。ご苦労! リッパに任務をスイコーした君たちに感謝する! なんちゃって、ありがとね」

 ナナが笑顔で受け取ると、二人は嬉しそうに突っつき合いながら駆けていった。本物のナナちゃんさまだ~。などと聞こえてくるところから、かなり慕われているようだ。

「はい、ご飯。アレルギーとか無い?」

「う、うん」

「今日は持って来て貰ったけど、いつもは決まった時間に食堂でセルフ形式だよ。ヤコちゃんは何が好き?」

「何が……」

 その問いかけに、ヤコの意識はぼんやりと遠のく。

 自分は何が好きだっただろう。思い出そうとすればするほど、平和だった日常が蘇ってしまう。教室で友達とおしゃべりしながら食べたパン。父が好きだと言ってくれた煮物。幼い頃、母が作ってくれたカレーライス……。

 じわと涙が滲んできて、慌てて俯いて誤魔化そうとした。それでも聡いナナにはバレてしまったようだ。彼女は焦ったように声の調子を上げる。

「あっ……、えとっ、なんてね! 実を言うとさー、ここじゃ選べるほどまだまだメニューなんて充実してないんだけどねぇ~アハハ。最初の頃なんて、携帯食に水だけとか一週間続いた日もあったんだよ。酷いでしょ?」

 声を出すことが出来ない。少し息をついたナナは、優しく腕に触れて言った。

「ね、怖がらなくていいよ。起きたばっかで不安かもしれないけどさ、この船に拾われてラッキーだったって、それだけは間違いないからさ」

 少しでも声を出せば大声で泣きだしてしまいそうで、ヤコはひたすら無言で頷くことしか感謝を表せなかった。


 ナナが出ていった後、一人になったヤコはしばらくベッドに腰かけボーっとしていた。夕食の乗ったトレーは手つかずのまま簡易テーブルに置かれている。せっかく用意してくれたのに申し訳ないが、どうしても食欲が湧かなかった。明日の朝に食べられたら食べよう。

 ノロノロと移動すると、制服を脱いでシャワーを浴びる。熱い湯を頭から浴びた後、備え付けのシャンプーで髪を洗う。続いてせっけんで身体を洗おうと背中を見たところでそれに気が付いた。

「!?」

 首をひねった後ろ、左の肩甲骨の辺りが真っ赤に腫れている。いや、痣? 覚えのない模様がいつの間にか出現していた。

「なにこれ……」

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