第8話 愚者の試練Ⅴ

 2016年9月1日


「はい、じゃあ……平川祐樹さんね。さっそく面接を始めたいと思うんですが」

「はい! よろしくお願いします!」

「ああ、いいのいいの。そんなかしこまらなくて、リラックスしてね」

「はい! よろしくお願いします!」

「ははは、元気が良いねえ」


 俺は、人生で初めて就職活動として面接を受けていた。

 職安に何度も通って履歴書の書き方から証明写真を撮る時のアドバイスを聞きに行って、面接練習も何度もやった。


 今の俺はどこからどう見ても就活生に見えるだろう。

 中身が32歳であることを除けば。


 それからは志望動機や学生時代に頑張った事など、やや定型文じみてはいるが事前に準備した回答をすべて出し切るように、ゆっくりと話した。


 今日の面接担当は営業所の課長らしく、見た目は大柄な中年といった感じの男性ではあったが、気さくで話しやすく反応も好印象だった気がする。


 簡単な仕事内容の説明から、自宅から通勤する距離と大まかな時間。

 トラブルなどのイレギュラー対応が発生すれば休日出勤もありえること。


 取引先のディーラーに部品を届けたり、注文を聞くような仕事とのこと。

 やはり大切なのは整備士とのコミュニケーションだったりするらしい。

 他にも面接で趣味や得意な事なども多く聞かれ、そのすべてをしっかり受け答えが出来たと思う。


 俺は今まで居酒屋で酔っ払った常連の世話をうんざりするほどやってきたんだ。

 世間話くらいならいくらでも広げられる。


 一つだけ初めて過去の自分を褒めてやりたいと思ったのは、大学時代に運転免許を取得していたことだ。


 本当に免許は取得しておいて良かった。


 一通り面接でお互いに確認したいことも出尽くしたような状態となり、簡単な筆記テストも行われた。


 適性検査の対策は翔太から貰った本を読んではいたが、実際に行われた内容はストレス耐性を検査するようなものだったので、かなり簡単な内容だった。


 足し算問題ではあったが、延々と解き続けていると視界がチカチカしてきて、少しずつ時間の感覚が麻痺まひしているのではないかと思うほど長い時間だった。

 けれど、単純作業でははしを袋に詰める居酒屋で培った集中力もそれなりに自信があったので何とか乗り切ることができた。


 来週は二次面接で所長と面談すると伝えられる。

 俺は帰ろうとバッグを手に持った時、課長がにこやかな笑顔で話しかけてきた。


「いや、正直困ってたんだよ。ここの営業所もまだ出来て日が浅いから人手が足りなくてね」

「そうだったんですね」

「うん。若手が来てくれると本当に助かるんだよ」

「ぜひ、よろしくお願いします!」

「うんうん、じゃあまた来週ね。帰り道は気を付けて」

「はい! 失礼します!」


 こうして、俺は無事に面接を終えた。

 面接自体は居酒屋でも店長の横でバイトリーダーという立場から同席したこともあるが、正社員になるための面接は生まれて初めてのことだったので営業所を出たあたりから緊張の糸が切れてどっと疲れが出てしまう。


「うおお……緊張したぁ……」


 俺は大きく深呼吸した。

 今日の反応はまずまず、といったところだろうか。

 とりあえずやれることは全部やった気がする。


「でも、もしこれでダメだったら次やる気しねえな……」


 ぽつりと、口から弱音が漏れてしまう。

 一度ネガティブな思考を抱いてしまうと、ぐるぐると余計なことを考えてしまいそうになる。


 今そんなことを考えたって仕方がないのに。

 頭の中ではこれで良かったのかと、再三さいさんにわたり自分に問いかける声が頭の中で響いていた。


「就活って大変なんだなぁ……」


 予想よりも孤独感こどくかん焦燥感しょうそうかんが心を焼き尽くすように焦がし、しっかりと呼吸していることを確かめないと息が詰まりそうだった。


「はは……今になって手がふるえてら」


 怖かった。

 今の率直な感想を一言にまとめるなら、この言葉に尽きるだろう。


 何かをされるわけじゃない。

 けれど、今が自分の人生で重大なターニングポイントだったのではないかという実感が強烈な恐怖へと変わっていくその瞬間が、あまりにも冷たくて残酷に感じてしまったからだ。


 思えば、受験の時もそうだったかもしれない。

 落ちたらどうしよう、という恐怖感やプレッシャーがどうしようもなく耐えがたい不安に変わっていくあの感覚。


 一瞬でも気を抜けば暗闇にどこまでも落ちていくようで。


 就活生はこのプレッシャーと戦っていたのかと思うと、俺はよほど就活を甘く見ていたのだと分かった。


 ……とにかく、やれるだけのことはやった。

 そうやって自分を信じてやらないと、いつまでも落ち込んでいられない。


 俺は、明日香と一緒に生きる未来を望んだ。

 過去を変えるには、これぐらいの覚悟で挑まなくてどうする。

 今まで見て見ぬふりをしてきた、現実逃避を続けてきた代償だいしょうだと思えば良い。


 俺はおぼつかない足取りで、ゆっくりと駅まで向かうのだった。


 ☆☆☆


『そっか。上手くいくと良いね』

「ああ……なんとかね。頑張ってみるよ」


 その日の夜、俺はアパートにひとりで過ごしていると不安で押し潰されそうになっていると、明日香から電話が入った。


 今日が面接であることを事前に明日香には伝えており、面接の様子や手応えについて話していた。


 いや……もうね、なんて良い子なんだろう。

 就活中の彼氏の様子が気になって電話してきてくれるなんて。

 俺は恥ずかしながら、明日香の優しい声を聞いた瞬間に心がいやされていた。


 俺は顔が熱くなり、夜風に当たって冷ましたいと思ったのでベランダに出る。

 湿度はあるものの、室内に比べればだいぶマシな方だ。

 一応、クーラーは電気代を節約するために我慢できない時だけ使っている。


「来週は二次面接だってさ。正直、今日だけでも緊張でいっぱいいっぱいだよ」


 電話の向こうで明日香がくすりと笑う声が聞こえる。


『私も面接は緊張したなぁ……。もう頭の中まっしろになっちゃって何を答えたか覚えてないくらい』

「あー、分かるな。今日の面接官は話しやすい人だったよ」

『いいな~、私なんて結構キツイ感じの人だったから』

「面接官との相性も少なからずありそうだよな」


 それから本当に他愛もない会話をしていた。

 けれど、そんな何気ない会話ひとつでも俺の気分は次第に晴れていった。


 これが本来、起こり得たかもしれない過去。

 明日香とつむぐことのできなかった過去。


 9年越しに今、こうして明日香と話せているのは本当に夢みたいだった。


 だから、どうか。

 今はこの夢が覚めないことを祈りながら、夜は更けていった。

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