第7話 愚者の試練Ⅳ

 2016年8月18日


「いいか? 祐樹、お前は就活をしていたが今までご縁がなかったと思いこめ」


 木曜日の満月が輝かしい夜、21時を過ぎたころ。

 保険会社に就職したての翔太が、俺に就活のアドバイスをしてくれていた。


 というのも、昼過ぎに最初に面接をする企業に職安しょくあんを通じてアポイントを獲得した俺は、明日香にその報告をしたところ、その情報が翔太にも回ったらしく。


 営業として活躍している翔太が、直々に面接の極意ごくい指南しなんするためにこうして駅前のファミレスに呼び出されたわけだ。


 翔太は俺が就活に乗り気であることが面白いのか、駅前で合流してからずっとニヤニヤと気色悪い笑みを浮かべていた。


 翔太は爽やか系のイケメンなので、なんかこうシュッとした感じというか。

 スーツがすごく似合うし、なんだか高そうなスーツを着て、高そうな腕時計を身に着けていたので、さぞ営業成績も優秀なのだろうなと考えると悔しい気持ちがふつふつとこみ上げてくる。


 というか、夜とはいえ真夏にスーツって暑くないのか?


「祐樹、分かっていると思うがバイトの自慢はするなよ」

「分かってるよ」

「あと、小説の話も一切禁止だ」

「そうする」

「ちょっと求人票を見せてくれないか」

「ああ……」


 俺はカバンのファイルから職安で印刷した求人票を取り出し、翔太に手渡す。


「車の部品メーカーで、ルート営業か」

「ああ、そうだな」

「祐樹は車、好きだったか?」

「いや、全然。まったく興味もない」

「だろうな」


 翔太はくくっと笑う。


「なんか、新卒枠で募集したけど人手が足りてない会社ってことで、職安の人から勧められた」

「なるほどな。いや、でも悪くなさそうな条件じゃないか」

「ただ、営業ってやったことないし……」


 俺は翔太に抱えている不安を打ち明けてみた。

 すると、翔太は大丈夫だとすぐに言い切った。


「俺みたいに飛び込みの営業じゃないんだ。最初は色々と勉強は必要だろうけど、祐樹なら大丈夫だろ」

「そうかな……」

「おいおい、どうしちまったんだよ。あんなに小説家になるって自信に満ち溢れてた祐樹が嘘みたいだ」

「……ほっとけよ」

「祐樹は考えたりするのは得意だから、あとは慣れさ。それよりも……」

「あ?」


 翔太はにこりと微笑む。

 ああ、翔太がこんな顔をするときは何か企んでいる時だと、俺は長年の勘で察してしまう。


「一体、どういう風の吹き回しだ?」

「……なにが」

「いやな、あんなに小説家になりたがってた祐樹がいきなり方向転換するなんて、よっぽどの事があったんだろうなって」

「別に、そんな大したことじゃねえよ」


 どうせ言っても理解なんてしてもらえないだろうしな。

 よく分からない試練とやらで未来の記憶を持ったまま過去に来ているなんて言えばとんだ笑いものだ。


 俺だって、実際よく分からないまま過去の生活を過ごしているんだから、正直生きた心地はしないぜ。


「普通のことだろ。現実的に、そうするのが明日香にとっても、俺にとっても良いはずなんだ」

「山崎からすれば、そうだろうけどな」


 翔太は少し含みのある言い方をした。

 さっきまで嬉しそうに就活の話をしていたのに、とたんに真剣な顔で俺を見つめていた。


「本当に、小説家になる夢は諦めたのか?」

「別に諦めたわけじゃねえよ。働きながらネットで小説を投稿していく道もあるし、兼業作家けんぎょうさっかなんて珍しくもないだろ」


 俺はかつての明日香の言葉を借りるように、もっともらしい理屈を並べた。


 これは詭弁きべんではない。

 俺が目指すべき未来は明日香との生活だ。

 もはや天秤にかけるまでもないことだ。


 俺がそう言うと、翔太は納得したような顔をする。


「そっか……まぁ、何かあったら相談くらいならいつでも聞いてやるよ」

「ああ、ありがとな」


 翔太も、俺のことを気にかけてくれていたんだろうか。

 憎たらしいくらい、爽やかでいけ好かないイケメンであっても俺の大切な親友だ。


 未来で、翔太は俺と居酒屋で顔を合わせるたびに何度も『お前らしくない』と言われ続けてきた。


 翔太の言うことは抽象的な言葉ばかりではあったが、翔太なりの優しさを、この時代でも感じられることができて少し安心した。


「そうか、なんだか感慨深いな」


 翔太はファミレスの窓から見える街灯を見つめながら、そうつぶやいた。


「俺はさ、祐樹と山崎の事は高校の時から見てきたから」

「ああ、そうだな」

「大学を卒業してから人間はどんどん成長する速度が遅くなると思っていたけど、こうして祐樹が山崎と一緒に前へ進もうとしている姿を見ていると、俺も感慨深いものがあるなって思ってな」

「……なんだそりゃ」


 相変わらず、翔太の言葉は難しい。

 けれど、やけに翔太の言葉は胸に突き刺さった。

 俺は一度、失敗している。

 大学を卒業してから、俺は何一つ変われてなどいない。


 明日香も、翔太も、俺からすればすごい速度で変わっている気がした。

 だから……俺は、取り残されたような気分になったんだ。


 その寂しさを見て見ぬふりをした結果、この体たらくだ。


 本当に、笑えない。


 俺はすっかり冷めたコーヒーを一気に口へ流し込む。

 漠然ばくぜんとした不安や、間違っていないだろうかという恐怖を胸の内に秘めたまま、それでも俺は前へ進むしか生きる道はないと考えていた。


 ☆☆☆


「これ、適性検査の対策本。俺が使ってたやつだけど、もう必要ないしな。家に帰ったらちゃんと目を通しておけよ?」

「サンキュ、助かるよ」


 あまり遅くなってもいけないということで、ファミレスを出た際に翔太から本を数冊手渡される。


「翔太は読み込んでたんだな」


 本からは付箋ふせんが何枚か見えていて、ぱらりとページをめくると至る所にマーカーで要点が整理されていた。


「おう、俺だって結構必死だったしな。俺はバカだからさ、何社も落ちたけど。でも今の会社に入社できてラッキーだったぜ」

「…………」


 俺は翔太の言葉に、何と返そうか悩んでしまった。

 一体、何を勘違いしていたんだろう。

 俺の目の前にいる翔太も、俺が知らないところで、俺よりもずっと努力してきたんだ。


 そんな当たり前のことに気付けなかった。

 いつだって俺は自分のことばかりで。

 俺はいい加減に自分の頭の悪さと、未熟さを改めて痛感してしまった。


「んじゃ、俺は帰るわ。結果報告、待ってるからな」

「あ、ああ……。悪いな、何から何まで」

「いいってことよ。その代わり、受かったら何かおごれよ?」

「もちろん。このお礼は必ずする」

「そんときは、山崎も一緒かな~」


 翔太はふざけるように笑った。

 その笑顔を見て、俺はなんだか懐かしい気持ちになって胸の中に温かい何かがじんわりと広がっているような気がした。


 たぶん、それは優しさや友情といった何かだろう。

 恥ずかしいから決してそれを言葉にすることはしないが。


 でも、翔太と友達で心底良かったと素直に思った。













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