第36話 果たされる約束

 まばゆい輝きを放つその鎧が、ヒュドラに向けて動き出す。

 疾駆。

 さらに速度を上げた滑走は、八方向から迫る怒涛の喰らい付きを舞うようにしてかわしていく。

 八頭全ての意識を自身に集め、跳躍によって二歩で壁を駆け上がると、空中で大きく一回転。

 追いすがって来た頭の一つを斬り飛ばす。

 着地。その瞬間を狙うように迫る二つの頭を、大きな弧を描く斬り払いで消し飛ばす。

 するとヒュドラが身体を大きくひねった。

 迫り来るのは、巨大な尾。

 それは鋼のように硬質で、岩をも砕く必殺の一撃。

 しかし、引かない。

 両手でしっかりと剣を握り、目前に迫った鋼の尾に全力で斬り掛かる。

 両腕の【パワーレイズ】によって切り飛ばされたヒュドラの尾は、そのまま壁に深々とめり込んだ。

 尾を切り落とされ、吠えたヒュドラは残る五つの頭で襲い掛かる。

 吐いた炎の砲弾が爆発し、視界を奪う。

 その隙を突き、側方から迫り来る頭。

 わずか一振りで斬り飛ばす。

 だがその攻撃すら、次の頭のためのオトリでしかなかった。

 鋭い牙で喰らい付きに来たもう一つの頭に、大剣は間に合わない。

 容赦なく左腕に喰らいつくヒュドラ。

 しかし、嚙み切れない。

 強固なダマスカスの前に止まる牙。

 すると次の瞬間、口内からあふれていくまばゆい魔力の輝き。

 隙だらけの口内へ放たれた魔力が、内側から頭部を消し飛ばした。

 ここでようやく、レッドフォードが意識を取り戻す。

 そして、目前の光景に驚愕する。

 遅れて到着した見学者たちも、皆目を奪われていた。

 たった一人、少女を背にして戦う者の姿に。

 残る頭はわずか三つ。しかし。

 追い詰められたヒュドラが、盛大な咆哮をあげる。

 すると失っていた全ての頭が、一斉に復活した。

 あってはならない反則技に、レッドフォードは愕然とする。

 八つ全ての頭が同時に放つのは、必殺のプロミネンスフレア。

 生まれた八つの炎球は、青白く変わっていく。

 それは、終わり。

 その恐ろしさを知るレッドフォードが、絶望に打ちひしがれる。

 四倍のプロミネンスフレアですら、一発で自分たちを壊滅させたのだ。

 八倍となればもう、打つ手などない。

 全身を覆い尽くす虚無感は、逃れようのない死を告げるもの。

 すると白銀の鎧は、まるで全てを悟ったかのように足を止めた。

 その直後、凄絶な蒼炎が容赦なく全身鎧を飲み込んだ。

 青白の炎は渦を巻き柱となって、強烈な熱波をまき散らす。

 天井は焼け焦げ、地面が溶ける。

 それはどんな魔物が放つ炎よりも強力で、もはや美しくすらあった。

 安否の確認どころか、遺体の回収すら必要ないだろう。

 地獄のような光景に、ただただ冒険者たちは呆然とする。

 そして、炎が消えていく。

 立ちすくむ冒険者たちは、その光景に我が目を疑った。

 そこにいたのは、無傷のままの全身鎧。

 ――――そう。その青年が産み出す鎧は全ての攻撃を打ち消し、弾き返す。

 彼はゆっくりと、左腕をヒュドラへ向けた。

 ガントレットが【ダマスカス】から【ミスリル】へと換わり、そっと右足を引く。

 放つは、さらに威力を上げた【魔力開放】

 膨大な魔力の奔流が、まばゆい輝きと共に解放される。

 強烈な衝撃波と共に放たれたその一撃は、ヒュドラが誇る巨躯の実に四割を消失させ、さらに背後の岩壁を粉砕してみせた。

 これではいかに優秀な再生能力誇るヒュドラとて、もはや回復を待つ余裕はない。

 残る首は四つ。

 ヒュドラは猛烈な咆哮を上げ、勝負に出る。

 四つの頭が同時に炎を吐き、一斉に襲い掛かってくる。

 だが、この程度のコンビネーションなら何度だって乗り越えて来た。

 これまでの戦いで積んできた経験に導かれるように、華麗な回転斬りで二つの頭を切り飛ばす。

 しかしその隙を突き、死角に回り込む一つの頭部。

 触れればすぐさま死に至る劇毒が、高圧で射出される。

 そしてミスリルとダマスカスに、【毒】への耐性は――――ない。


『鎧鍛冶……あと、インベントリだな』


 始まりは、なんてことない。

 身近なヒーローへの憧れだった。

 幼い彼は本気で世界だって救う気でいた。それを疑ったこともなかった。

 だから儀式の時に言われたその言葉が、理解できなかった。

 そのスキルに、望む未来はやって来ない。

 文句なしの【外れ】だった。

 ――――しかし。

 インベントリの発動と共に、左腕が純銀のものへと換わる。

【解毒】のためだけに作ったガントレットに、特別な防御力はない。

 だがそのガントレットは、全ての毒を打ち払う。

 放たれた毒液は、腕の振り一つで霧散。

【倉庫】と呼ばれ揶揄されたそのスキルは今確かに、彼の戦いを支える立派な柱の一つとなった。

 再び左腕をダマスカスに戻し、呼び出す鉄斧。

 投擲し、毒液を吐いた首を斬り飛ばす。

 残る頭はこれであと一つ。

 おとずれた、最後の瞬間。

 両者は、真正面からぶつかり合う。



『――――まったく。反省しなって言ってんだよ』


 そう言って、トリーシャを背負った母は苦笑い。


『でも、ありがとね』


 近所の子供たちが目論んだ、森の奥への冒険。

 一頭の野犬に目をつけられた子供の身代わりになったのは、トリーシャだった。

 追い詰められたトリーシャ。そしてその前に颯爽と現れた少年。

 手にした木剣で野犬に立ち向かい、どうにか退散させることに成功した。


『この子は元気だし、面倒見もいいんだけど、一人で抱え込むところがあるからね。その時は頼むよ――――ルカ』


 ……この頃は、ハッキリと応えられたんだ。

 儀式の前だったから。まだ自分に与えられるスキルを知らなかったから。

 あれからずっと、重荷になっていたその言葉。

 強くなれると信じてやまなかった幼い俺が、トリーシャに、その母さんに、木剣を掲げながら口にしたあの言葉を。

 今、もう一度。




「――――俺が、助ける!!」




 交差する両者。

 放つ全力の一撃。

 キングオーガの剣が、ヒュドラの頭を両断する。

 生まれる一瞬の空白。

 半身そして全ての頭を失ったヒュドラは、地響きを立てて崩れ落ちた。

 その巨体が、砂となって消えていく。

 王国ダンジョン最強格となったヒュドラを、たった一人で打ち倒したフルプレート。

 それまでの激戦が、嘘のように静まり返る。

 トリーシャの瞳に映るのは、白銀の鎧。

 兜に覆われたその者の顔は、うかがい知ることができない。

 でも、この背は知っている。

 幼い頃、自分を助けるために野犬に立ち向かってくれた少年と同じだ。

 だが、そんなことはありえない。

 すでに彼のスキルが戦えないことは、証明されている。

 それでもトリーシャは、彼の振り返り方で確信する。


「…………ルカ」


 投げかけられたトリーシャの声。

 それに応えるかのように、白銀の鎧をインベントリに戻す。

 その瞬間トリーシャは駆け出していた。

 抱き着く。ルカの胸に思いっきり顔をうずめて。

 あまりの勢いに、思わずそのまま倒れ込むルカ。


「ルカっ……ルカぁぁぁぁっ!」


 胸元でただ、子供のように泣き続けるトリーシャ。

 ルカはその手でそっと、トリーシャの頭にふれた。


「長く待たせて、ごめんな」


 ……そして。


「ありがとう」

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