2:廃墟

「……某企業ってどこよ? 潰れたんなら実名出して問題なくない? あれか、政治家がらみ? 事件の名前ぐらい出さないと再生数稼げないわよ?」

「俺に言わんでくださいよ! それにメモには某企業としか書いてないし」 

「つっかえないわねえ! で、何が出るっての?」

「えーっと『廃墟の中で足音が追いかけてくる』とか、『青白い人影を見た』、『誰もいないのに話し声が聞こえる』……とかですね……」


「……全部気のせいなんじゃないの?」


「う、うわーお!? それ言っちゃいます?」

「言っちゃまずいの?」

「いや、その……せめて廃墟に入ってからにしましょうよ。もう、これから先の――映像?」

「うちの番組ではVね」

「じゃあ、これから先のVに影響が……大体今、昼間っすよ? もう、なんか、ぶら~っと歩いて終わりって感じになるんじゃ……」

 ちっちっちっ、と美子は指を振った。

「甘いわねえ。そして、皆さん、これ、打ち合わせなしでやってますからね。イダケン! 中々の前振りよ!」

 美子はさっとカメラの後ろに手を向けた。

「そんなこともあろうかと、久しぶりに出番到来です! ザ、おばちゃん!!」

 カメラがさっと後ろを向く。

 傷だらけの車のスライドドアがつっかえながら開くと、太った白装束のおばちゃんが、よっこらしょと降りてきた。


 おばちゃんは霊能力者だ。過去にマド寿美には四回出ているが、この上もなく胡散臭い人であった。

 低い身長にどっしりした鼻とでかいサングラス。きつめでボリュームのあるチリチリパーマの中年女性。いつも出番直前まで煎餅を食べていて、白装束には煎餅のカスが付いており、それを掃いながら車から降りてくる。今回もまんまの服装と登場だった。


「南無阿弥陀仏ぅ」

 おばちゃんはお約束の合掌をしながらのお辞儀をすると、鼻を擦って、すんと啜った。

「おばちゃん! なんか感じる!?」

 美子の満面の笑顔に、おばちゃんは首をめんどくさそうにごきりと鳴らした。

「わかんないわねぇ。あのね、あたし車に酔っちゃったのねぇ。だから、霊視とか、しばらく無理だと思うんでぇ、あんたらでやってくんない?」

 オウ、と俺は小さく呟くと美子を見た。

「だそうですよ」

「……ギャラ払わないわよ、おばちゃん」

 おばちゃんは、めんどうねぇと呟くと、やれやれと腰を叩きながら廃墟に向かって歩き始めた。

 村篠さんがカメラをこちらに向けると、美子は肩を竦めた。

「ま、ともかく廃墟に突撃!」

 村篠さんはOKサインを出し、すぐにおばちゃんを追いかける。


 美子はふうと短く息を吐いた。

「よーし、もう充分素材はとれたわね。後はテキトーに廃墟ぶらぶらして終わりかな。イダケン、その調子でガンガンぼやいちゃっていいから」

「ああ、編集でどうにかする感じで……」

「まあ、そうだけども、多分、そのまま使うわよ」

 へ? と俺は美子を見る。

 美子は、俺の肩をポンと叩いた。

「あんたとの掛け合いは、結構ハマってるって思うのよ。どう?」

「いや、俺、ボヤいてるだけなんすけど……」

「それがいいんじゃないの! さ、廃墟に突入!」

 意気揚々と歩き出す美子の後ろを、俺は首を傾げながら続く。


 どうにも話がうますぎる。やはりドッキリで、この後脅かされるか何かでオチがつくのだろう。まあ、好きな番組に出れたわけだし、ちょっとした笑いものになるくらいは――


「……嫌かなぁ」

「なんか言った?」

 振り返った美子に、いや別にと肩を竦める俺。

「ふふん、今の所も使うからね。どんどんボヤいちゃってね」

 美子はそう言って、胸のピンマイクを指さした。そういやそうだったな、と俺も自分のピンマイクをいじる。

「ことぶ――マドモアゼルは、この後どうするんすか?」

「あたし? そうねえ、おばちゃんの霊視次第じゃない? あ、始まるみたい――って、オイ!」

 おばちゃんは廃墟の手前で、よっこらしょと切り株に腰かけ、煙草をふかし始めた。


「うおい! なにやってんのよ、このインチキババア!」

「インチキって言っちゃったよ、この人!」

 おばちゃんは紫煙を長々と吐き出す。

「いやあ、ここマジヤバいわぁ。あたし近寄っただけで気分悪くなっちゃった。うん、ヤバいヤバいマジヤバい。ってか臭いわぁ。あんたらも近づくのやめときなさぁい」

 俺は鼻をひくつかせる。森特有の臭いは確かに強くある気はする。

「ま、まあ、確かに苔臭いっていうか、かび臭さみたいなものはありますけど……」

「疑うのぉ? あたし、鬼凄い霊能力者なんだけど?」

「鬼って、あんた今時……」

 俺は、おばちゃんから美子に目を移す。美子は腕を組んで半笑いだった。

「あらー、そっかー、ここヤバいんだー」

「そうよぉ。マドちゃん。入ったら呪われて死ぬ、か、もぉ」

 アホか! と叫ぶと美子はずかずかと廃墟に入っていく。

「……それで、助手君も中に入るのぉ?」

「は、はい?」

 おばちゃんの質問に硬直する俺に、村篠さんが追い打ちをかけてきた。

「いや、いけよ、オメーも。番組的に行かなきゃ始まらねえだろ」

「助手君、やたらとそこらの物に触っちゃだめよぉ。呪われる、か、もぉ」


 おばちゃんのイラっとする言葉と、村篠さんの鋭い目に押され、俺は廃墟に向かって進み始めた。

 二階建ての大きな建物は、蔦と苔に覆われていた。周囲のコンクリートはひび割れ、背の高い草が生い茂り、窓や扉は無い。

「まったく、情緒も何もあったもんじゃないわね!」

 べたん! と威勢のいい音がした。慌ててドアを潜って中に入ると、細長い廊下があり左右に幾つも部屋があるようだった。その廊下の壁を美子がべたべたと叩いている。

 昼時とはいえ、廊下は薄暗かった。虫や鳥もいないらしく、しんと静まり返った山中でムードは満点である。しかし、肝心要の廃墟の壁には先に来た人たちが描いた、中々ファンキーな落書きが所狭しと描かれていた。

「おうおう、こいつぁすげーや。モザイクかけなきゃならねえな」

 確かに著作権的な問題と、公序良俗的な問題を多大に孕んだ落書き群である。

 村篠さんがカメラを俺に向ける。

「……あ、何か表情を作った方が――」

「いや、別にいいよ。お前なめでマドモアゼル撮ってっから」

「この場合のなめるは、イダケン越しってことよ!」

 美子の解説に振り替えると、彼女はダブルピースに白目で舌を出していた。心霊スポットで時々やるアヘ顔である。

「いやあ酷い」

 村篠さんの感想に俺も頷き、美子に声をかけた。

「前々から思ってましたけど、それってどういう意味があるんですか?」

 ぶはっと廃墟の外からおばちゃんの吹き出す声が聞こえた。

 美子はアヘ顔のままで、うへへへと笑う。

「これだから素人は困んのよねえ。これは魔除けよ、魔除け!」

「……ああ、南洋のお面的な」

 ぶはっと村篠さんが吹き出した。

「ひゃははは! わかるわ! 鼻の穴の大きい奴だろ!」

「それですよ! マドモアゼル! 鼻も!」

「鼻もじゃねーよ! 美少女に鼻の穴開かせるって、お前どんだけマニアックな動画にしてえんだよ、これを!?」

 いや、と俺は素に戻ってツッコんだ。

「美少女はアヘ顔しなーい。ね?」

 マジで!? と美子は更に酷い顔でがくがくと仰け反りながら、壁に背を付けカメラを指差した。

「はい、カット。後は部屋まわってみようか。カメラチェック」

 村篠さんはカメラを下ろすとチェックを始めた、美子が小走りで俺の元に来ると、尻を軽く蹴る。

「イイ感じじゃないの、新人! 後で覚えてろよ!」

「いや、ツッコめって言ったじゃん」

 美子はにやりと笑って、俺の後ろを指差す。振り返ると村篠さんの横の床には小さなカメラが置いてあった。

「えっ!? 今のも撮られてるの!?」

「あったりまえでしょ! あんたに渡した同意書の中にもあったけど、ロケ中は四六時中カメラまわしてるから!」

「プライバシーもクソもないのな……」

 その通り! と言うと美子は俺の脇腹を突いた。


「だから体調管理とかしっかりしなさいよ。……トイレとか、さ」


 心霊スポットよりもゾッとする話だった。

「……妙だな」

 村篠さんがぼそりと呟いた。

「どしたの?」

「映像に異常が一切ねえ」

 村篠さんの言葉に美子も首を捻る。はい? と俺も首を捻る。

「え? 別に良いんじゃないですか?」

「ムラシー、バッテリーとライトも大丈夫なのよね?」

「まったくもって絶好調だな」

 俺を無視して、美子と村篠さんはなにかボソボソとやり出した。


 ああ、前振りかと俺は納得した。

 いよいよ、俺に対するドッキリが始まるわけだ。さて、どうするか。大袈裟なリアクションを――いや、素人の俺が面白いことができるわけは無いんだから、ここは普通にしていれば編集で面白くしてくれるに違いな――


「あんた、これ前振りじゃないからね」


「……は?」

「これ前振りじゃないから。今も一応撮ってるけど、ここ百パーセント使わないからさ、正直に言ってみて。この廃墟、何か感じる?」

 戸惑う俺をじっと見る美子。さっきまでとは全く違う真面目さ、それも周囲の空気がピリッとする感じが漂っている。

「い、いや、俺は何も――」

「……やっぱそうか。あんたの履歴書にもそんなこと書いてなかったし、雑談中にも『自称霊能力者』的な事は全然言わなかったものね。妙だな、とは思ってたのよ」

「は? 妙? え? あれ? もしかして募集した時にそういう力持ってないとダメって注意書きとかありましたっけ? だったらすいません。俺、そういうのは別に――」

 村篠さんがさっと手を挙げた。

「安心しろ、そんな事は一切告知してない。ちなみに俺もそういう力は一切持ってない」

「ムラシーは暴力という名の力を持ってるじゃない!」

「うるせえよ。俺はガンジー尊敬してんだよ」

「あの……ガンジーって割と性的な面で最悪な人でしてですね……」

「そういうとこも含めて好きなんだよねぇ」

 村篠さんはそう言うと、煙草を咥えて火を点け、カメラを抱えた。

「とりあえず予告に使うの撮りつつ、アレ仕掛けとくわ。そいつはお前に任せた」

「アレを仕掛ける? それって――」

 村篠さんは答えずに手をひらひらさせて部屋に入っていく。

 美子は溜息をついた。

「これ、今も録音中なんだけど、完全オフレコね。まあ外に漏れても、あんたの頭がおかしいだけってなるけども、あたしの信用問題にも関わってくるの。わかる?」

「いや、全然判らない……」

「敬語はいいってば」

「ああ……え? あのさ、これってドッキリの類じゃないの?」

「ここ、何もなかったらドッキリにしても良かったんだけどね。ちなみにそれ用の道具も一応用意したのよ。パーティで使うでっかいクラッカーとか車に積んできたんだから」

「うわあ……あれ、相当間抜けな感じがするんだけど」

 美子はくすっと笑った。番組用じゃない笑いを初めて見た気がする。

「あたしとおばちゃんがあれを抱えて、昼寝してるあんたを脅かすって寸法よ。あんたが昼寝しなかったら一服盛るってことで、ムラシーに即効性の睡眠薬も用意してもらったわ」

「鬼かお前ら!!」

「それよ」

「……はい?」


 美子は村篠さんの荷物から紙束を取り出した。

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