第7話 魔女と呼ばれた女の怒り



 ルーファスがもうすぐ18歳の成人を迎えようとしていた、17歳の冬。


 ルーファスは、暗殺者に刺された。


 未成年であるルーファスは基本的に、後宮から出ることは少ない。

 14歳を過ぎたあたりから、王宮での教育が始まったけれども、私の傍を離れるときは、ラッセルとアリエルちゃんにゴリ押しして、二人の近衛を必ずつけるようにさせていた。二人は既に国の頂点なので、その近衛は二人に忠誠を捧げていて、裏切る可能性が限りなく低いのだ。

 何より、王子は一塊、王女は一塊で教育を受けるようにし、それぞれに闇花ちゃんと雷花ちゃんの護衛をつけた。ここまでしていたので、王宮での隙は全くないはずだった。


 しかし、勉強中に、王太子教育のため第一王子と第二王子だけは別室へと促され、闇花ちゃんが守る他の王子達から引き剥がされたらしい。

 もちろんルーファスは怪しく思って最初は断っていたようなのだけれども、隣室だから大丈夫だと言われ、レイモンドと二人、渋々着いていったところ、その侍従が刃物を振り回し始めたのだとか。


 私のうちに通っている王子達は、今思えば護身のためだったと思うのだけれども、チャンバラごっこと称して組手や剣の練習をしていて、身体能力が高い。闇花ちゃんも近衛もすぐに気がついてその侍従を取り押さえたので、ルーファスが左腕をナイフでかすめられただけですんだ。


 けれども、その掠めたナイフに、毒が塗ってあった。


森花フォリファちゃん、何の毒!?」

『蛇』

「蛇!?」


 蛇の毒には、血清という薬を作ることができる。だから、暗殺者が使う毒は、蛇毒が多いらしい。扱っている最中に、自分が毒に侵されないとも限らないからだ。


 しかしこの血清というやつは、同じ種類の蛇毒に侵され治った後の動物の血を輸血する、というものなので、今から同じ種類の蛇に噛まれていても遅いのだ。なんなら、今後はルーファスの血が、その蛇毒の血清になるだろう……。


 私は王宮図書館にあるの蛇の図鑑を森花ちゃんに見せ、蛇の種類を特定してもらう。

 そして、ラッセルと王宮医療士長を呼んだ。


 案の定、国王のみが入れる宝物庫に、蛇毒の血清は、しこたま保管されていた。


 宝物庫に血清があると分かると、欲しいという者が絶えないし、いざ国王が使おうと思った時に足りないでは話にならないので、秘匿されているらしい。


「今使わなくていつ使うの!」

「こうした毒への対策を練ることも、王太子になるために必要なプロセスで……」

「ふざけんじゃないわよ! 子どもを守るのが、親の、祖父の務めでしょうが! 国王が王子を守らなくて、誰が守るっていうの!」


 密室でやり合っている私と王宮医療士長を横目に、ラッセルは何かを考えるようにして静かにしていた。

 そして、ふと、口を開いた。


「血清を打て」

「――陛下!」

「私の孫だ。孫のために、同じ毒で私が死ぬなら本望だ」


 私は、ラッセルに抱きついた。――初めて、彼を抱きしめた。


「ラッセル、見直した!」


 そう言って、すぐに離れる。

 驚いていた彼は、反応が遅れてしまったのだろう。

 離れてしまった私を、再度抱きしめようと手を伸ばしてきたけれども、「あ、そっちから私に触ろうとしたら電撃が走ると思うよ」というと、本当に悲しそうに手を下ろした。


 ルーファスの摂取した毒は致死量だったらしいけど、血清のお陰で、彼はものの見事に回復した。


 最悪、血清を取り込んでいるであろう暗殺者本人の血を使うことも考えたけれども、暗殺者という職業上、他に変な病気を持っていそうで嫌だったので、王家の血清を使うことができたことは、本当に僥倖だった。


 元気になったルーファスを見て、フリーダちゃんはもちろん、ラッセルもアリエルちゃんも、本当に嬉しそうにしていた。


 そして何より、うちに通いで来ている側妃達や子ども達も、涙してルーファスの回復を喜んでいた。

 特に、レイモンドは号泣だった。


「にーちゃんごめん、にーちゃん……」


 いつもの《兄上》じゃなくて、小さい頃の呼び名に戻ってしまっている。何やら、最初に刺されそうだったのはレイモンドで、それをルーファスが庇ったせいで、ナイフが腕を掠ってしまったらしい。


「ルーらしいね」

「……心配かけて、ごめん」

「うん。本当に、心配した」


 皆に囲まれて、ルーファスはなんだか、とても照れくさそうだった。けれども、とても嬉しそうだった。

 そこあったのは、血で血を洗う骨肉の争いを続けた者達の姿ではなく、お互いを大切にする《家族》の姿だった。




 深夜、私はルーファスの寝室を訪れた。

 毒の症状がなくなったとはいえ、まだ体力が回復していないのだろう。昼間あんなに寝ていたのに、夜もすやすやと熟睡している。


「ルー」


 ベッドの横の椅子に腰掛け、そっと読んでみたけれども、反応はない。

 穏やかな寝息が、寝室に響いている。


「ルーのことは、私が守るからね」


 ふわふわの金色を撫でて、私はそっと部屋を出た。


 私にだけ、できることがあった。子ども達のために、私の家族のために、できること。





 その日は、王宮で開かれる、国王主催の夜会だった。


 珍しく、ほとんどの貴族が強制的に参加させられている。

 地花ガルファちゃん曰く、その全員が、懐に守り石を忍ばせているらしい。私はつい、ふっと鼻で笑ってしまう。


「今日は皆が私主催の夜会に参列してくれたこと、心より喜ばしく思う」


 ラッセルが会場の中、国王専用の椅子が設置されている壇上から、参加者全員に対して声をかける。


「今日はいつもとは違い、皆に聞いてもらいたいことがあって、この夜会を開いたのだ。なあ、アリエル」

「そうですわね、陛下。さあ、こちらにいらして。――サンドラ」


 袖にある扉から現れた私に、会場が揺れた。


 それはそうだろう。私は、公の場に姿を現したことは一度もない。結婚式ですら替玉で行ったのだ。皆、私の姿を見るのは、これが初めてだった。

 だから、私の存在は、エルフに狂信したラッセルの妄言じゃないかとか、巷でエルフを拉致して抵抗されているから、公の場に出せないんじゃないかとか、様々な噂をされているようだった。すごいな、後半のやつ大体合ってる!


 私は、エルフとしては普通の容姿をしているけれども、人間にとっては、それがとても魅力的に映るみたいだ。

 だから、今日はアリエルちゃんにお願いして、とびきり飾り立ててもらった。


 高く結えられた太陽みたいな金色の髪、深い紫色の濡れた瞳。磨きに磨き上げられて、艶々ぷるぷるになったミルクみたいな真っ白の肌に、ツンととんがった長い耳。

 その耳を飾る、目の色と同じ紫の豪奢なピアスに、首飾り。そして何より、何か途方もない恐ろしさを抱かせる、レースや刺繍がたっぷりの、真っ黒なドレス。

 多数の精霊を周りに煌めかせながら、私はルージュで真っ赤に彩った唇を弓形に曲げた。


「皆様、初めまして。ラッセル国王陛下の側妃、サンドラでございます」


 姓はあるけれども、ここで名乗ると別の大事件が起こるので、姓は名乗らない。


「皆様、今日も素敵な水晶をお持ちなのね。わたくしの精霊が喜んでいますわ。――地花ガルファ


 私が呼びかけると、光を放って私の周りを回っているだけだった地花ちゃんが、その姿を可視化させる。


『皆、紫水晶が好きなのね。地から生まれたものを、そんなふうに懐にしまって、大切にしてくれて嬉しいわ。とっても綺麗なだけで、


 地花ちゃんの言葉に、会場がざわめいた。来客者だけじゃない、侍女や侍従達も真っ青だ。

 「守り石が、そんな……」「嘘をつくな!」とやじのような声が飛ぶ。


「精霊は、嘘をつくことができません。それは、宮廷魔術師の皆様が保証してくれるはずですわ。ねえ、魔術師の皆様」


 そう言って、護衛である宮廷魔術師達に目をやると、真っ青な顔をした魔術師達は、私の目線に応えることなく、さりとて反論もすることなく、地面に目を落とした。

 私の言葉を肯定したら、大変なことになる。しかし、咄嗟に嘘をつくこともできなかったのだろう。


 そんな宮廷魔術師達の反応を見て、来客者達はさらに騒然となった。何人か、既に倒れている者もいるようだ。


「ですからね、皆様。その守り石とやらに、効果はありませんのよ。それなのに、今日も沢山、懐に毒を忍ばせている御仁がいらっしゃるようね」

『うんうん、いっぱいいるよ! 1、2、3……概算だけど、30人くらい! 植物毒が多めだけど、蛇毒もあるね』

『液状の毒はねー、えっとえっと、数えるの苦手なんだぁ。15人くらいかなあ。こっちは大体が植物毒だねぇ』


 森花ちゃんと水花ちゃんの言葉に、さらに何人も顔色を悪くしていた。


「皆様、豪気でいらっしゃるのね。解毒薬もない、守り石も効果がない、それなのに、植物毒を持ち歩くなんて。ご自身も少しでも服用したらなんて、考えることは……ああでも、毒は貴族の嗜みですものね。命をかけて貴族としての誇りを選ぶなんて、崇高な魂をお持ちなのね」


 植物毒を持っていたと思しき面子の何人かは、がくがくと震えていた。


「蛇毒の皆様は、血清を服用済みなのかしら。とても毒について、勤勉でいらっしゃるのね。……蛇毒の血清を取り込んだ者の血は、やはり蛇毒の《血清》。その毒を誰かに含ませようものなら、ご自身が引き裂かれて《血清》になるだけだというのに、強いお覚悟をお持ちなのね。とても素晴らしいわ。やはり崇高な魂をお持ちな方でいらっしゃるのね」


 蛇毒を持っていた面子の何人かも、やはり震えていた。

 「この、魔女が……!」と呟かれたけれども、そんなことは気にならない。


「今日は皆様に、わたくしからお伝えしたいことがありますの」


 私が、壇上からゆっくりと会場を見渡すと、しん、と会場が静まり返った。


「わたくしは、毒を許しません」


 酒とタバコは許してやる。いや、本当はタバコも許したくない。でも、毒だけは絶対に許さない。


「わたくしには、精霊が憑いています。毒が仕込まれているもの、その場所、全てすぐに分かります。今日のようにね」


 ごくり、吐息を呑む音が、会場から聞こえる。


「ですから、もう毒を嗜むのはお辞めください」


 私の願いは、それだけだ。私のできること。子ども達のために、してあげたいこと。


「本日、今日この場所に毒を持ち込んだことは、無罪放免といたします。後ほど、一人ずつ、身体検査を行い、毒を全て回収した後、会場に戻ってきていただきます。……ご安心ください。毒を持っていたからといって、罰したり、爵位を取り上げたり、それを他の者に漏らしたりはいたしません」

『サンドラの言葉に嘘はないよ』

『大丈夫だよ、本当だよ。後でこっそり、毒を回収するだけだよ』


 私の言葉だけでは会場はざわついてしまったが、私の精霊達が、私の言葉を保証してくれる。

 会場の中の半数くらいは、精霊が嘘をつけないということを知識で知っているのだろう。精霊達の言葉に、ほっと肩の緊張を緩めていた。


「わたくしの目が届く範囲で、毒による暗殺は許しません。食事は楽しくするものです。《毒避け》だなんて、とんでもない」


 そこまで言い切ると、私は威圧感を出すために、努めて凛とした態度をとっていたのを緩めて、ふわりと笑う。


「これから先、皆様の中から、わたくしの子ども達の伴侶が選ばれていくでしょう。わたくしは、その子達にも、健やかでいてほしいのです。どうか、命を大切になさって」


 それだけ言うと、私はラッセルの方を見た。もう、十分だ。


「皆、我が側妃の言葉を聞いたか」


 会場中の貴族が、ラッセルを見ていた。もう、反論したり、ヤジを入れたりする者はいない。


「我が側妃がいる限り、この国で毒が嗜みとされることはもはやない。そして、毒がどこにあるのか気づくことができる唯一の者である我が側妃は、エルフだ。しかもまだ年若く、200歳にも満たない。これから末長く、我が国を見守ってくれるであろう」


 あっ、ラッセルこの野郎!

 私はこの国に一生いる予定じゃないのに!


 勝手なことを言ったラッセルは、こちらを見もせずに、宣言した。


「今日、この時刻をもって、毒を保有することへの処罰を厳重化することを宣言する。内容の精査及び施行日は、追って議会で決定する。これは勅命である」



 そうして、会場にいた貴族は全員、個室で身体検査……というか、森花ちゃんと水花ちゃんの目視検査を受け、毒を回収されていった。

 何人か、それでも精霊や私の言葉を信じられなかったのか、毒が見つかった瞬間暴れ出した者もいたけれども、そういう者は仕方がないので、雷花ちゃんの力で静かに寝ていてもらうこととなった。


『うん、もう毒はないよ! 安心だよ!』

『このワイン、きっと美味しいよ。自然界ではなかなか手に入らないよ』


 身体検査を終えて再集合した貴族達の前で、森花ちゃんと水花ちゃんが、安心の毒無し保証をしてくれる。


 最初は恐る恐る、私や国王夫妻が口にするものだけを口にしていた貴族達も、水花ちゃんのワイン講座や森花ちゃんのサラダ推しに負けて、だんだんと食事を口にするようになっていった。


 安全で美味しい食事は、皆を笑顔にする。最初はぎこちなかった笑顔が、だんだんと、本当の笑顔になっていく。

 今日すぐは無理でも、きっとこれを続けていけば、本当の笑顔が普通になる日がくるはずだ。



 ――とくべつで、だいじなんだ!



 私はふと、12年前に聞いた、可愛い声を思い出す。


 本当の笑顔で食事を囲むことができる。

 確かに、普通じゃなくてもいいかもしれない。

 いつも行われるそれが、特別で、大切なものなのだと、いつも実感するのであれば、それも悪くない。



 私は会場の貴族達の様子を見ながら、笑顔で、ありし日の彼を思い浮かべていた。

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