第8話 夜会の後




 夜会が終わった後、私は、王宮のとある一室に向かう。


 「サンドラ様、ドレスが!」と追い縋るアリエルちゃん付きの侍女達を放って、私は風花ちゃんの力を使って、廊下をすごい速度で滑るように走った。だって、会いに行かなきゃ!


「皆〜! 起きてる!?」


「サンディ!」

「ドラちゃん!!」


 そう、王宮の一室に集まっていたのは、私の棟に通っている王子王女達だ。


 本当なら、0時もすぎたこんな深夜、まだまだ10代のこの子達は寝ていなきゃいけない時間だ。

 けれども、今日、あの会場で宣言したことは、この子達の将来に関わることだ。その目で、しっかり見ておかないといけない。だから特別に、光花ちゃんの力で、会場の様子を、中継してもらっていたのだ。


 子ども達は私が部屋に入ってくると、駆けてきて私に抱きつく。


「どうどう? 私、かっこよかった?」


 ニコニコ笑っている私に、「ドラちゃんかっこ良かった!」「最高の姉貴だった!!」と、子ども達は手放しに褒めてくれて、私は誇らしくて、ニヤニヤと有頂天だ。


 でも一人だけ、嬉しいような、泣きそうなような、複雑な顔をした子がいる。


 話しかけようとしたけれども、王女勢の、「ドラちゃん、近くで見ると本当に綺麗……!!」「紫のネックレス、似合ってる!」「黒ドレス、私も着たい! お揃い!」という、オシャレトークに阻まれて、近づくことができなかった。


 そのうち、扉から、子供達の母である側妃達や、成人した王女達も駆け込んできた。彼女達は大人なので、夜会に参加していたのだ。


「お姉様……!」

「一生ついていきます! お姉様、大好き!!」


 そんなことを言うフリーダちゃん達にまで抱きつかれて、私のドレスは敢えなくご臨終した。

 私を追いかけてきたアリエルちゃんの侍女は、私のドレスを見て、魂が抜けたような顔をしていた。でもでもその、今日は特別な日だから許してほしい……。



 興奮冷めやらぬまま、皆と解散し、私はフリーダちゃんとルーファスと一緒に、自分の棟に帰っていく。

 一人では脱げないドレスは、王宮でアリエルちゃんの侍女達に脱がしてもらったので、私もフリーダちゃんも、いつもどおりの軽めのワンピースだ。


 なお、私とフリーダちゃんが服を脱がしてもらっている部屋に、ルーファスもいなければいけなかったのは、17歳の男の子にはちょっと刺激が強かったかなと反省している。他の王女王子達の帰宅のための護衛に私の精霊友達をつけてしまったので、私のところに残った精霊は火花ちゃん一人だけだったのだ。隣の部屋で待ってもらって、またナイフで刺されたりしたら、笑い話にもならないので、抵抗するルーファスを抑え込んで、同室で待つように強制した。

 もちろん、同室といっても、衝立越しだ。

 けれども、シュルシュルと衣擦れの音をさせながら、「フリーダちゃん、胸おっきい!」「お姉様の方が……」「ちょ、ちょっとだめよ! やん、フリーダちゃんのえっち!」などといちゃついていたら、衝立の向こうから、「僕もいるんだけど!!」と怒られてしまったのだ。ごめんってば。



 棟に帰ってお風呂に入って、ベッドにたどり着いたら、もう深夜3時だ。

 夜会ってなんだ、こんなに大変なのか。

 私は服を脱いで帰るだけだったけれども、侍従達は0時を過ぎても後片付けをしていたのだと思うと、頭が上がらない。明日、朝ごはん作るのに起きられるかな……アリエルちゃんは、10時には来られないと言っていた……。


 コンコン、と扉か叩かれて、私は目を瞬く。

 「どうぞ」というと、思ったとおり、可愛い私の子が部屋に入ってきた。


「ルー」

「なんて格好してるんだ!」


 勝手に入ってきておいてなんだ。もう寝るんだってば、疲れたんだもん。

 ちょっとくらい布団でゴロゴロして、寝巻きがはだけて足が見えていても仕方がない。


「えー、もう寝るんだってば」

「……少しだけ、話がしたくて」

「明日じゃだめ?」

「……」

「もー、ほら、おいで」


 ベッドに座って、自分の横のスペースをぽんぽん叩くと、「遠慮する」と言って座ってくれなかった。最近、ルーファスは私に反抗的なのだ。


「もう、何?」

「今日のあれは、僕のため?」

「……どう思う?」

「質問に質問で返すのはだめだよ」


 私は、ふう、とため息をついて、立ち上がった。


 ルーファスの目の前まできて、顔を見上げる。

 もう、ルーファスの身長は、私の身長を遥かに越していた。確か、182センチだったか。分かってはいたけれども、本当に巨人に育ってしまった。


「私のためだよ」

「……」

「私が嫌だったの。ルー達が、毒まみれの世界で生きているのが、嫌だった」


 私の顔をまじまじと見た後、ふい、とルーファスは目を逸らした。


「でも、あんなふうに人前に出るのは……嫌だったはずだ」

「ん? どうして?」

「だって、サンドラ様がお祖父様の側妃だって、知れ渡ってしまった」


 私は目を瞬く。そんなことを気にしていたのか。


「知れ渡るっていうか、事実だしね」

「でも! お祖父様は僕の知る限り一度だって、サンドラ様のところに通ってきてない! サンドラ様だって、お祖父様の部屋には行ってないじゃないか」

「え? いや、あの、え?」

「……っ、もしかして、毎日15時のお茶会って」

「何を言い出すんだぁこのエロがき!!!!」


 ばちーんと両手で頰を挟む。大した力じゃなかったと思うけど、痛かったことは痛かったと思う。


「サンドラ様は、お祖父様とじゃないんだろう?」

「は、はあ? だ、だ、だったらなんだっていうの」

「僕が、欲しい」


 ふわり、と抱きしめられた。

 え? 何、どういう。どういうことなの。え?


「サンドラ様が欲しい。……お祖父様の側妃としてお披露目されるくらいなら、僕は毒まみれでもよかったくらいだ」

「毒まみれでいい訳あるか! 私が嫌よ、そんなこと言わないで!」

「そういうことを言うから、僕はますます夢中になってしまうんだけど。……例え見せかけだけだったとしても、お祖父様の妻だと公言するなんて……。サンドラ様にも、嫌だったと思っててほしい」


 私を抱きしめたまま、ルーファスはそんな恥ずかしいことを、私の耳元で囁いている。

 私はもう限界だった。夜会で、慣れないことをして、慣れないことを言って、疲れ切ったところに、この不測の事態。恋愛慣れしていない私に、まさかの攻撃。取り繕う余裕は全くない。


「……エルフって、こんな耳の端まで真っ赤になるんだ」

「ルー!」


 怒って身を捩ったけれども、全く抵抗できない。いい体格に育ったなぁ、おい! 私のご飯のおかげか! よかったけど、今はよくない!


「後数ヶ月で、僕は成人だ。ここにいられなくなる」


 はっとした私は、身を固くする。そうだ、王子は成人したら、王宮にその住まいを移す。後宮にいられるのは、側妃と、未成年の王子王女だけだ。


「陛下に、サンドラ様の下賜を願い出ようと思ってる」


 下賜。私は初めて出てきたワードに目を丸くする。

 じーちゃんの妻を、孫の妻にするために、じーちゃんから下賜する。え、それってありなのか? ちょっと色々と近過ぎない?


「ルーはそんなに私のご飯が食べたいの?」

「そうじゃない! サンドラ様と一緒に暮らしたいんだ!」

「だから私を側妃にするの?」

「もちろん正妃だ」


 第一王子の正妃だと?


「無理。私はエルフだから! 私を娶った時点で、国王になれなくなるわよ」

「僕は国王にならないよ。母は平民で、コネクション的に無理だ。国王は、母親が貴族のレイモンドかロドニーがいいだろうって皆で話し合った。うちに通っている面子は、全員納得してる」


 ちょっと、しっかり考えてるわね!? 5歳の時から、妙にリアリストなところがあるとは思っていたけれども。


「だから、後はサンドラ様の気持ちだけだ。そのはずだった。なのに、今日、こんなことをして」

「ルー」

「僕のためなんだろう? 僕が不用意に、毒殺なんかされかけたから。だから……」

「違うわ、ルー。私が」

「僕は嫉妬で狂いそうだった」


 ルーファスの腕に、力がこもる。

 その強い力に、私は何も言えなくなってしまう。


「綺麗だったよ。僕の美しい人。サンドラ様が、お祖父様の側妃として、あんなふうに皆の目に晒されて、僕は……」


 それだけ言うと、ルーファスも黙り込んでしまった。

 私は、ただただ困り果てていた。一体、どうしてこうなったのだ。今日の今頃は、色々とやりきった思いで、いい気持ちでぐっすり熟睡しているはずだったのだ。こんな難しい問題にぶち当たって、困っているはずではなかったのだ。

 こんな、胸がドキドキして、早鐘のように打っていて、なんだかずっとこのままでいたいだなんて思う予定はなかったのに。


「……考えたけど、僕のやることは変わらないね」

「え?」

「サンドラ様は、僕のこと、好きだよね?」

「……え?」


 至近距離でにっこり微笑まれて、私は「え?」「え?」と、壊れた人形みたいに目を瞬くことしかできない。


「嫌だったら、避けて」


 そう言うと、ゆっくりとルーファスが近づいてくる。


 そっと唇に触れた温かい感触に、なんだか恥ずかしくて顔を背けようとしたけれども、頭の後ろから押さえ込まれて、何度も角度を変えて触れ合わされてしまった。


「……サンドラ様、愛してる」

「う、……あ、の」


 最後に、ルーファスは私の額にキスを落とした。


「絶対手に入れてみせるから、待ってて」


 そう言うと、するりと私の手に何かをはめて、そのまま部屋を出て行ってしまった。


 なんだ。今、何が起こったのだ。



 左手を見ると、その小指に、いつか見た紫の指輪が嵌められていた。

 あげたい人が、いるって、言ってた……。



 私は、その場に崩れ落ちた。



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