3-2



***



 ガルアドていこく皇帝ヴァルト゠シア゠ガルアドは、いまだかつてない問題に直面していた。



(アレは、一体何なんだ!?)



 しつづくえで、仕事以外のことで頭をなやませるのは初めてのことであった。


 あんなに可愛い存在がいてもいいのか……!?


 真顔をつくるのに全神経を使い、かなりつかれた。

 ぎこちない動きも、きらきらのひとみも、そのすべてがヴァルトの心をさぶった。

 ふわふわの抱きごこを思い出し、ヴァルトはハッとして首をぶんぶんとる。


 何か、何か別のことを考えよう―― 。


 戦争に勝利し、敗戦国であるルビクス王国の王女を和平のためにめとったのは二週間前のこと。

 戦後の後処理やルビクス王国との交易の整備など、考えることは山ほどある。

 敗戦国の王女を娶ったことに対する貴族たちの反発だって、少なくない。

 勝った者がすべてを支配する権利があると考えている者たちにとって、『和平』という方針は理解しがたいからだ。


 その思想にはせんていえいきょうがある。

 ガルアド帝国は、先帝の時代に戦争によって多くの属国を得て、領土を拡大した。

 しかし、そのすべてをかんぺきに支配できるはずがない。

 今はしんりゃくを進めるよりも属国に目をわたらせ、整備することが必要だとヴァルトは考えている。

 戦争が続き、へいしているたみを守るために、ヴァルトは国内の安定に力を注ぐつもりだ。


(それに、ほうという未知の力をガルアド帝国が支配することは不可能だ……)


 魔法がふうめられた〝いにしえの遺品〞をあつかえるのは、ルビクス王家の血筋の者だけ。

 それに、ヴァルトと側近のグランしか知らない事情もある。

 だからこそ、反発する者が多い中、ヴァルトは和平の道を選んだ。

 その姿勢を示すために王女を娶ることにしたが、敗戦国であるという見せしめのためにこうひとじちだというていさいが必要だった。


(でも、あのぬいぐるみの可愛さは罪……もしや、ぬいぐるみ姿で私を油断させるつもりか!?)


 元敵国からとついできた皇妃だ。それも、魔法を扱えるルビクス王家から。

 けいかいしないはずがない。

 無害そうに見えるぬいぐるみだが、油断は禁物だ。

 もしあのぎこちない動きやよくをそそる見た目が計算なのだとすれば、かなり危険ではないか。


(となると、あまり近づかない方がいいな……)


 今でさえ、あの可愛さにまどわされそうだというのに、近づけばどうなるのか。

 想像するのもおそろしい。

 皇帝の心は、こんなことで揺らいでいてはいけないのだ。


「……大人しくしているだろうか」


 誰にも知られず、警備も厳重だからと自分の部屋へ連れていったが、よくよく考えれば私的空間である。

 機密情報はすぐ分かる場所には置いていないが、万が一ということもある。

 と、そんなことは建前で、ただあのじんちく無害そうなぬいぐるみがどう過ごしているのかが、気になって仕方なかった。


「……くそっ」


 悪態をつき、ヴァルトは立ち上がる。

 ここで考えていてもらちが明かない。気にしている時間がだ。

 そう思い、ヴァルトは足早に自室へと向かう。


(大人しくしているか、かくにんするだけだ)


 決して、彼女が心配だとか、気になっているわけではない。

 監視のためで、それ以上でも以下でもない。

 などと自分に言い訳しながら、扉を開いた。

 しかし、さっと室内を確認する限り、ぬいぐるみの姿がない。


「おい、どこにいる?」


 一人で中に入り、小声で呼びかけるが、返答はない。

 奥の寝室にも、皇妃の部屋にも、ぬいぐるみの姿はなかった。


(まさか、げたのか?)


 それとも、ぬいぐるみ姿でガルアド帝国の弱みでもさぐっているのか。

 みょういらちを覚えながら、ヴァルトは護衛に確認する。


「私の部屋にあったある物が消えている。何か見たり、聞いたりしなかったか?」

「陛下の私物がぬすまれたということでしょうか!? それならば、今すぐにそうさくたいを編成し……」

「いや、そうではない。ただ、何か変わったことはなかったか確認したい」

「変わったこと、ですか……ランドリーメイドが入ったこと以外は、特に変わったことはありませんでした。何をくされたのですか? 探すのをお手伝いさせてください!」


 ヴァルトの不在中にランドリーメイドが入るのはいつものことだ。

 部屋の見張りもぬいぐるみが一人で外に出たら見落とすことはないだろう。



(もしや……)



 嫌な予感がした。


「しっかりと護衛としての役割を果たしてくれればよい。だが、今後はメイドであっても私以外をこの部屋に入れるな」


 ヴァルトはそうくぎを刺すと、とある場所へと走った。


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