第3章 頭の中を占めるのは……

3-1



 明るい陽の光を感じて、ぼんやりと意識がじょうする。

 なんだか、体が軽い。


(……ん、いつもの部屋じゃない?)


 視界が開けてくると、ここがいつも過ごしていた部屋ではないことに気づく。

 そして、一気に昨夜のおくよみがえる。


 ヴァルトとのばんさんの帰り道、かくおそわれたこと。

 たましいがぬいぐるみに入ってしまい、それがヴァルトにバレたこと。

 かんのためにと、こうていしんしつで夜を明かすことになったことを。


(…… てしまったわ!)


 監視される身でありながら、きんちょうかんなく朝まで寝てしまうなんて。

 というか、ぬいぐるみでもねむれるのか。

 とにかく、フェルリナはあわてて飛び起きた。


 真っ先に目に入ってきたのは、たくをするヴァルトだ。

 全身鏡の前で、白いシャツのむなもとにタイを結んでいる。

 皇帝でありながら、身の周りのことは自分でしているのだろうか。


「お、おはようございます」

「ん? 起きたのか。ぬいぐるみだから、起きているのか寝ているのか分からなくてかなわんな」

「すみません……っ! わわっ」


 眠ってしまった罪悪感から頭を下げると、慣れないぬいぐるみの体ではバランスが取れずにソファからころんと落ちてしまう。

 なんとか起き上がろうとするが、ぬいぐるみのふわふわした短い手足ではうまく起き上がれない。


「何をしているんだ」


 あきれたようなヴァルトの声がしたかと思うと、ひょいっとげられた。

 その時、ぐうぜんにも全身鏡に二人の姿が映る。

 目つきの悪い強面こわもてのヴァルトが、彼のイメージカラーで作られたわいいぬいぐるみを抱いている。


(……陛下、意外と似合いますっ)


 ヴァルトがぬいぐるみを抱いている姿なんて想像もできなかったが、実際に見てみると可愛い。

 しかし、ヴァルトの表情は固まっていた。

 けんのしわがどんどん深くなっていく。

 そして、眉間のしわに比例して、げんさときょうも増す。


(ひぇ……)

 すくみ上がっているうちに、ヴァルトにソファの上に座らされる。


「こんな姿、絶対にだれにも見せられないな」


 たしかに、れいこくこうていと恐れられるヴァルトが可愛いぬいぐるみを抱く姿など、臣下たちには見せられないだろう。


「あの、陛下……わたしは、どうすればいいのでしょう?」


 ヴァルトを見上げれば、彼は口元を手でおおい視線をらす。

 見るのもいやなのだろうか。

 悲しくなって、フェルリナはうつむいた。


「……食事は?」

「はい?」

「おなかは空いていないのか、と聞いている」

「……えっと、ぬいぐるみですので、何も食べられないかと」


 今の体にまっているのは、ふわふわの綿しかない。

 空腹も感じているような、感じていないような、不思議な感覚だ。

 とにかく、食べなくても平気だと思う。むしろ、食べない方がいいだろう。

 ぬいぐるみの体がよごれてしまったら大変だ。


「そんなことは分かっている。だが、眠っていたからもしやと思っただけだ。もういい。私は仕事へ向かう」


 クローゼットから取り出した青のジャケットを羽織り、ヴァルトは背を向ける。


「いいか、この部屋からは絶対に出るなよ」


 そう言い置いて、ヴァルトはとびらを閉めて仕事へ行ってしまった。

 ぽつんと残されたのはクマのぬいぐるみ。

 部屋から出ようにも、ドアノブには背が届かないし、歩くこともままならない。

 結局は、ぬいぐるみであるフェルリナにできることなど何もないのだ。


「……いってらっしゃいませ」


 届かないとは分かっていても、見送りの言葉をかける。

 夫を見送るのは初めてだ。

 形だけの妻ではあるが、妻らしいことをしてみたかった。


「まずは、この体に慣れないと!」


 丸っこい手を上にぐっとばして、フェルリナは気合を入れた。


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