ファイノメナ:01 転生記録
アタシのマスターはかっこよかった。強くて、優しくて、穏やかで、安心できた。アタシはまっさらで何もなくて生まれたてだった。何も知らず、何も出来ず、弱くて小さい。こんなアタシなんかを弟子にしてくれたマスターはすごい人なんだ。だって、普通は皆強くて使える見込みのある人を弟子にしたがる。何にもない生まれたての存在は強くなるまで誰にも見向きもされない。ここはそういう世界。魔力が満ち溢れる魔界のお話。
マスターは言った。
「お前の名前はル・シリウスだ。夜空に輝く一番星、誰だってひと目でわかる道標」
真っ暗な夜に煌めく希望の星の名前。アタシにはもったいなくらい立派な名前。マスターがつけてくれたからアタシはそれに相応しく生きる。アタシの名前はル・シリウス。夜空に輝く一番星。迷える人々を優しく導く存在。
大好きなマスターがいなくなっても。アタシが迷うなんてありはしない。アタシはマスターの教えは全部覚えている。些細な仕草も、全部。
マスターは考えるのが苦手で、話すのは下手だったから。大事な話はいつも尻切れで、ある時唐突にまた続いたりした。アタシはしっかり聴いてゆっくり待った。全部全部覚えている。
あの日。最期にマスターは言った。二人で逃げ切るには、相手が桁違いに強すぎる。アタシじゃ弱すぎて足止めはできない。だから、マスターが時間を稼いでいる間にアタシだけ逃げろと。一人で生き延びるくらいなら二人で死んだ方がずっとマシ。アタシは子供みたいに泣いていた。
「二人で死んだら誰が転生させるんだ」
マスターの正論にアタシは頑張って涙を引っ込める。アタシたちはひとりぼっちじゃない。魔界ではたとえ死んでしまっても転生ができる。転生すればするほど強くなる。アタシもこれまで何度も死んで、その度にマスターが転生させてくれた。アタシは逃げて、マスターを転生させる。
「笑えル・シリウス。立ち止まるな」
マスターはいなくなった。
■ ファイノメナ:01 転生記録
「そんな記録はどこにもみつからないっすねえ」
咥え煙草をぷかぷかしながら、ボサボサ頭の兄さんが言った。
「は。お前名前は?」
「オイラはここの責任者で名前はアンドリューズっす。その目は疑ってるすね。これでも魔界役人上位階級9999位、一万本の指に入るそこそこすげえ立場すよ」
役所小魔界はいろんな業務を担う公的機関で、各地にある。転生もこうした場所で申請が必要だった。役人だらけの小魔界。皆内部処理に忙しそうだ。ル・シリウスの他に何かの手続きに来た者の姿もちらほら、数える程の人数だった。
「おい、アンドリューズ。一万本も指を持つ化け物の自慢はクソどうでもいい。さっさと職務を全うしろ」
にこりともしないル・シリウスが真顔で首を傾げる。
「ここ全職員108人いますすけど、今全員で三回目のデータの洗い直ししてんすわ。全魔界役所の転生記録の中にお探しの方のデータはありませんす」
「ありませんすじゃねえよ。アタシのマスター今すぐ転生させろよコラ」
魔界の役所に相応しく、職務怠慢、舐められたら負け。よく聞く話ではあるが、この時のル・シリウスは師匠に先立たれ気が立っていた。冷静さは皆無。
タチの悪い冗談に付き合ってやれる余裕はなかった。
「何が足りない。金か、魔力か、レベルか、」
「そういう問題じゃないんスよ。よく聞いて欲しいッス」
アンドリューズはル・シリウスの気迫に怯みもせず、淡々と事実を並べた。
「よくある話、じゃねえんすよ。いわば非常事態ってやつッス。こっちも威信にかかわるんで結構焦って本気で全力でサーチしたんすわ。なのにこの有様ッスよ。何者なんすかアンタのマスターは」
「……、どういう、意味──」
音をたてて血がひいていく。
「記録を引き出せないってことは、それなりの理由があるはずッス。存在の記録が出ない以上はオイラたちでは転生を行えない、残念ッスけど他を当たってもらうしかねッスよ」
他だなんて、役所以外にアテはない。ル・シリウスは必死に食い下がった。
「いたんだよ。アタシのマスター。名前はレグルスっていう戦士で」
「それはさっきも聞いたッス。ル・シリウスさんの記録には確かに誰かマスターがいるらしい痕跡はあるッス。アンタも工場の量産品凡庸盗賊型で出荷されマスターによって召喚、子弟契約が取り交わされてはいるんス。だから嘘ではないのは承知のうえで、それでも出来ないとお断りしてるんすよ」
「だって。じゃあ。マスター。どうなっちゃうの」
「記録を取り戻しでもしてくれないとどうにもならないッス」
「マスター。転生できないの?」
「そッスね」
非情に突き付けられた現実に、ぼろぼろと泣き出してしまったル・シリウスをアンドリューズはじっと見つめていた。
よほどいいマスターだったのだろうな、と思う。魔界では簡単に仲間を作れる。その分個々の繋がりは希薄で、使い捨てだってザラだ。まだ新人と呼んで相違ないル・シリウスにしてもこの時点でめちゃめちゃレベルが高い、それは誰かが丁寧に育成を手懸けたことの表れでもあった。羨ましいッスね、なんて今口にしたらぶっとばされるかもしれない。いやむしろぶっとばさせてやったらいいかもしれない。アンドリューズの思考が二転三転した。
「諦めて次の仲間でも作ったらいいんすよ」
「嘘だよ。やりなおしてよ。もしかしたらそこのレベル1の子が見落としたのかもしれないじゃん」
泣きながらル・シリウスが難癖をつける。窓口の一人が顔をあげた。
「彼女の名前はエリザベート。確かに今日もレベルは1ッス。ここの登録職員は全員が自動転生システムに組み込まれてるんス。死んでも勝手に転生してくるって意味ッス」
「なんだよ自慢かよこっちは転生させてくんないくせに」
「彼女は毎日退勤後ストーカーに殺され、翌朝レベル1に戻って出勤してくるんス。それをずっと繰り返している。仕事に関しちゃベテランなんスよ」
「誰でもいいよ、誰かが手抜きやいじわるして、マスターの記録を隠蔽してるかもじゃん」
「オイラも。裏技も駆使して普段見れないデータベースまで漁ったッス」
「だってマスターが転生できなかったら、」
「ル・シリウスさん。もう、その人のことは忘れるッス」
手負いの獣は牙を剥く。アンドリューズは知っていた。突き放した方がいい場合もある。
「何ならル・シリウスさんが新しい弟子を作ればいいんすよ。ここは役所ッスからそれくらいはわけないす」
深い哀しみを絶望で終わらせるより、怒りに転換させたほうが未来がある。
「あるいはアレっすか。愛人的なポジのアレならオイラがアンタのマスターの代わ」
脳が揺れた。再起動まで何秒意識が飛んでいたかちょっとわからない。
(拳ッスか。てっきり銃を抜くと思ったから、ああヤバいマジで完全にキレてるッスね、惚れ惚れするッスよ)
「エリザベート。関係者以外強制追放。全職員、直ちに戦闘を開始。敵は暴徒ル・シリウス」
アンドリューズの言葉に役所内はホンの一瞬ザワついた。本当に一瞬だけで、すぐに皆指示に従った。優秀すぎる職員に恵まれているとも思う。
「すまない皆。ありがとう」
キレ散らかしている小さな少女は一切の手加減もなく全力で職員を屠り続けた。野獣のようだった。きっともっとずっと強くなるだろう。これから一人で生きていくなら、108人分の撃破経験値くらいは稼いでおいたほうがいい。役所小魔界の職員は明日には皆元通りだ。存分に狩るがいい。こんなことくらいしかしてやれないがせめてもの手向けに。
咆哮と銃声、職員の応戦の声。少女の怒りと絶望が暴力となって役所魔界に降り注いだ。
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