其の十二

 「ヤッベ。」少年は自然の脅威を肌で感じとって、そう呟いた、丁度真っ二つに上下へ分断されたヘリポートを見ながら。実は其のヘリポートは其の町で唯一の整備されたヘリポートだった。航空輸送が出来ないのは痛いが海岸線が使えれば時間がかかるものの海自のLCAC で物資を運べば良い、というふうに多くの者たちは捉えていた。取り敢えず、まずは津波をやり過ごさなくてはいけない。そう考えて、少年は海岸線に目を向けた。海岸線からは潮が引いて岩肌が剥き出しになっているので、本当に津波が来るのかと頭を疑問が掠めた。

 数分後、少年は岩肌の面積が僅かに減少している事に気がついた。それ以降静かでゆっくりと、でも確かに海の外縁が近づいて来ていた。「津波、視認ッッ!」そう少年が叫ぶと皆の目線が動いた。徐々に動くスピードが上がったかの様に見える。いつもと違ってドス黒い色をした海、というか大きな海水の塊がとうとう街の海岸線に到達した。凄まじい勢いである。大きな津波がみるみる街を容赦なく呑み込む。車や列車、家やガラクタの類まで例外なく流される。波に下部が呑み込まれた建物の上には、一体何人の住民がいるのだろう。漠然とそんな事を考えながら人間を超える恐怖を眺めているうちに、とうとう波が基地にまで到達した。皆身を乗り出して波を見る。隊舎の下部にドバッと波が当たってまだ残っていた窓ガラスを何枚も割っていく。

 その時ふと「アンとマリーは大丈夫か?」ということが頭に浮かんだ。「そういや、アイツ明日誕生日だったな。」そうボソリと言った。「あぁ?」陸奥さんがこっちの顔を覗いてきた。こういう類を陸奥さんは絶対に聞き逃さない。「ハハーン、テメエ女の事考えてただろ。」「えっ、ちょ、ちがっ!」「流石は古参兵。こんな状況でも女の事考える余裕があるんだなあ〜。相手はやっぱアンちゃんか?ええ?お前早くしろよ。あんな良い女、滅多に居ねえぜ。あっ!今日外出申請に書いてあった時間がヤケに遅いなと思ったら、贈り物買いに行こうとしたのか?」ヤベエ、超図星だ。「あっ、図星か。いいないいな若いっていいなあ。こっちはもう三十代後半のおっさんだからキャバ嬢にもモテねえよ。クゥー、羨ましい限りだぜ。」こういう系の会話になると剣道試合の様に太刀打ち出来ない。何というか、恥ずかしいような感情が心を支配する。オマケに、それもまあ何とも言えない屈辱感に苛まれている。仕返ししなければ腹の虫が収まらない。ちょっと反撃してみよう。「そういう陸奥さんは奥さんや彼女とかいないのですか?」そうすると陸奥さんは一転して少ししょげた表情をして、帽子を目深に被り直した。「俺のカミさんは三年前に事故で亡くなった。」いつになく落ち着いた口調で言った、濁流に呑み込まれた街を見ながら。まさかこんな話になるとは。「すみません、陸奥さん。嫌な事を思い出させてしまって。」「いや、いいんだ。俺の所為だから。」暫く二人は黙っていた。

 いよいよ波も退き始めた頃、突然沈黙が破られた。「アーーーーッ!」少年の部下の葛城一士だった。「俺の、俺の、エロ本コレクションがぁーーーーーー!」皆が目を向けた方向を見ると、何やら本らしいものが流れている。よく見ると確かにエロ本だ。因みに葛城さんは超が付くほどの助平だ。だからといって色情魔という訳でない。(無論女性と接する時は極めて紳士であり、手を出した事は無いらしい。只AVやエロ本やエロゲーを楽しんでいるだけらしい。)今回は其のエロ本コレクションが文字通り「流出」したという事らしい。葛城さんのエロ本が一本の筋になって海の方に流れていく。それを見て皆、ヒソヒソ笑っている。「これは、おっ、グラドルの栗橋ルカちゃん!Gカップの巨乳がそそるぅぅぅ!今度はAV女優のナツコちゃん!」誰かが実況を始めたと思ったと思ったら同じ小隊の同僚の羽田三曹である。コイツは紳士的な葛城一士とは違い、変態趣味を表に臆する事なく出す。だからアンさんやマリーさんを初め、基地の女性隊員皆んなに嫌われている。「うるせえ。」そう言ってヘルメット越しに頭を叩くと「何すか、國さん。」「お前そんな調子だったら、この後の救助活動マトモに出来るか?どうせ流れたエロ本収集してグフフフフ言ってるだけやろ。」「そんな事言うなよ〜、國さん。それはそうといつになったらアンちゃんかマリーちゃん紹介してくれよ。」「お前みたいな奴にアイツらを任せられるか、ボケ。」そう言って腹に膝蹴りを一発咬ました。そして羽田さんは気絶した。

 そうしている間にもエロ本流出は止まらなかった。どんだけエロ本持ってるんだ、葛城さんは。


 「オイ、見ろ。何かが線状になって流れてくるぞ。」第三中学校の新校舎の屋上で男子学生の誰かがそう言った。ここでも全員が自然の脅威に打ちのめされていた頃であった。「アレは…エロ本⁉︎」また誰かが叫んだ。そして声がした方に男子学生たちが集まった。「ぅおお、本当にエロ本だ。」「マジだ。オイ、網持ってこい網。」「ウォォォーーー!」そう言って学校中の虫取り網や球技用のネットが彼等のお呼ばれとなった。其の目的はただひとつ、エロ本を掬い上げる為のみ。

 「男子っていっつもこうなのかしら。」そう彼等を小馬鹿にする様に、水谷杏ーアン•ペルガーテーは姫花さんに囁いた。「確かにキモいよね。そういうのに本能剥き出しだから。でも〜、文様なら〜、私にそうしてほ…」「これ以上は言ったら駄目ですよ!姫花先輩!」「アンちゃんは襲ってほしく無いの?其の同棲している國男くんに?私なら文様にそうして欲しいなあ。」そう言って姫花さんは頬を赤らめてデレデレし出した。「あの馬鹿はそんな奴じゃ無いね。いつでも隊務隊務と、あんまり私と話そうとしないし。」「あっ、そういえばアンちゃんは國男くんと何か特別なしている事は無いの?」「べっ、別にぃ。」アンは姫花さんから目を逸らした。「フフーン、やっぱりやってるんだぁ、何なの、ねえ何なの?教えて?」グイグイ訊いてくる。「だぁーかぁーらぁー、なぁ〜にしてるのぉ?」結構しつこめだ。アンは姫花さんの猛攻に屈して「うん。」と首を縦に振った。「なぁーにしてるの?」暫し間をおいて「キス。」と言った。姫花さんの目がパアーっと見開いて、小学生の様にキラキラとした顔をした。「マジで⁈うわー、羨ましいっ!で、何回?」「毎朝。」「ええー、いいなあいいなあ。私も文様とそんなことしたいなあ。行ってらっしゃいのキス、憧れるなあ。いつから?」「一年前から。私が誕生日プレゼントでそれが良いと言ったから。アイツったらそれが良いって私が言ったらすぐにキスしてきて『これで今日は文句ないだろ。』なんて言っちゃって。凄くカッコ良かったなあ、って何言ってるんだろう私。」そう言って真っ赤になり、顔を伏せた。「私も、文様がぁ〜。いやぁん。」また姫花さんも顔から湯気を出したまま顔を伏せた。其の一部始終を聞いていた男子学生達はエロ本を掬い上げながら、または見ながらその「文様」と「國男くん」に対して激しい対抗心を抱いた。学校のアイドルにそう思われている奴らを敵視しない事は無理である。


 波も随分と引き始めた頃、再び大きな揺れを壊滅した街を襲った。然しただの地震ではなかった。何故ならそんなに海岸線から離れていない場所から突然ドバァと巨大な噴水の様に海水が持ち上がったからである。

 暫く基地では情報収集に追われていた。そして数分後、海保から送られてきたFAXに其の原因が記されていた。文先輩は其のFAXを読んで、眉を一瞬ピクつかせた。

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