其の十

 少年は暗闇の中にいた。視界はせいぜい五メートル程。周りには沢山の瓦礫が散乱している。そして少し遅れて自分の服がレジスタンス時代の戦闘服を着ているということに気がついた。少し瓦礫をどかしてみた。

 そこには「陸上自衛隊第三師団」とだけ書かれていた上半分だけの表札だった。そして其の表札に凄まじい違和感を覚えた。自分の基地の表札だと気がついた時には自分の心臓の鼓動が激しくなった。更に奥に行くと、何かが山の様に積み上がっている。近づこうと一歩踏み出すと其の山の正体が急にわかった。そして身体が震えた。死体の山だった。しかし死体の山なんぞ腐る程見ている少年を震えさせたのは別の理由だった。

 全員が見知っている人だった。基地の連中、レジスタンス時代の戦友、小学校の同級の奴や昌福、そして頂にはアンさんとマリーさんが。

 絶句した。泣きたいのに涙が出ない。死体の山の隣に瓦礫であつらえた椅子に腰掛け、茫然と暫く時を過ごした。

 動く物の気配がしたのは腰掛けた時からどれほど経った時だろうか。もう時間の観念も無くなり、どうでもいいと思うので何も動きを取らなかった。どんどん近づく気配だけは肌でビンビン感じていた。

 するとグシャリという聞こえ心地の悪い音がした。死体を踏んだ音だと分かった。其の途端に猛烈な怒りがした。と言っても少年もヤワではない。静かに立ち上がり、拳銃のリボルバーに弾を装填し、ゆっくり安全装置を外す。死体の山を越えようとする影の頭部を間髪入れず狙い撃つ。死体の山の後方へ転げ落ちるのを確認したら拳銃を構えながら素早く転げ落ちた方に向かう。大切な者の亡骸を踏みつけたのは何処の何奴だと其の死体を見る。自衛官の服装だ。死体の顔をこっちに向けると、充血した目をした自分・・のなんとも情けない面だった。

 「ねえ、大丈夫?」

 何か暗闇の中で光が囁く。

 「おーい、大丈夫か?」

 また同じように視界に映る。

 暫く静寂と暗闇が周りを支配した。

 すると突然怒鳴り声が。「ちょっとアンタ、人が真面目にアンタの事心配しているというのにちょっとはウンともスンとも言ったらどうよ!この、デクノボウめ!」というのと同時に身体が急に回転した。そして埃とそれに混じるイグサの匂いが鼻腔をつく。やっと目を覚ました。腕時計を覗くとまだ時間は0538だった。てことは起床ラッパはまだ鳴ってない。「どうした?」「アンタが変に魘されているから起きちゃったのよ。」「すまん。」「もー、直ぐにごめんと謝るなんてあの猛虎神兵の國さんも堕ちたものだね。」「まだまだ現役だわ。てかなんや、猛虎神兵の國さんとか。そんな渾名つけられてないわ。」

 薄目を開けているマリーさんは一部始終を見ていたが(早くくっついてほしいなあ。てか眠いから静かにしてほしい。)と思っていたかいないとか。

 少年はのっそりと布団から抜け出して台所に立ち、弁当の準備を始めた。「お前はまだ寝とけ。」そう言って昨日の豚の生姜焼きを温め直し始めた。するとアンさんが漬物樽から大根を取り出して危なっかしい手つきでザックザックと包丁で切り出した。「お前、大丈夫か?」「話しかけないで!気が散る!」ピシャリと言われた。そしてアンさんの弁当に白飯を詰めていると、「痛っ!」とアンさんが指を包丁で切ってしまった声がした。少年は腰掛けポーチから絆創膏を取り出して、慣れた手つきで貼った。其の時、アンさんが顔を紅くしてそっぽを向いているのを見ると夢の中での騒めきとはまた別の騒めきがしたが、其の正体は計り損ねた。また、よくよく見ると手には他にも三、四枚絆創膏が貼ってあった。「この絆創膏はどうした。」と訊くとそっぽを向いたまま何も応えない。

 弁当が出来た丁度其の時、起床ラッパが鳴った。

 0600になり乾布摩擦を他の自衛官達と同様に上半身裸で少年はやっていた。少年の身体は他の自衛官と比べてよく目立つ。筋肉がよくついているのは古参と同じだが刀傷や銃槍などがよく目立った。彼は実際一番実戦経験が豊富な古参兵なのだ。

 タオルで背中を磨きながら、ついさっき自分が見た夢について考えた。こういう自分で自分を殺す、という夢と言うのは、よく大凶事の前に見る夢である。しかも今回は、悪い出来事が夢に二つ出てきたので二つ大凶事が起こるらしい。少年は経験則からそう考えた。

 自室に戻ると、アンさんがとマリーさんは丁度学校に出掛けようとしていた。「あんまり良くない事が起こるかもしれない。」と念のため声を掛けた。阿修羅をくぐり抜けただけあって勘は鋭いので、妙な自信があった。あと何としてでもこの二人は助けたいと思った。マリーさんは「なにそれ、ノストラダムス?」と笑っていたがアンさんは深刻な顔をして、「貴方の勘を信じるわ。ありがとう。」と笑顔で素直に少年に感謝した。そしてさっきと打って変わって「いつものアレ、お願い。」と言ってきた。これをすると変にフワフワした感覚がするが、何か気持ち良い。だから毎朝言われてもやってやる。顔と顔を近づける。互いに目を瞑る。互いの手が指と指で絡まる。口と口が触れ合い、互いの口の中に舌を入れ舐め合う。アンさんの鼻息が耳に入る。薄目を開けると李のように真っ赤なアンさんの顔がよく見える。時々作り物じゃないかと思ってしまうほど美しい。そして互いの手を互いの背中に回し互いに抱きしめる。アンさんの柔らかい体温がよく伝わる。暫くして口を離し、息を整える。「いってきます。」「いってらっしゃい。」最後にそう言って朝、別れるのは彼らのルーティンとなっていた。

 少年はいつもの通り学校の準備をしていた。ふと覚書を見ると、今日は水錬の授業があった。思わずウヘェと口をへの字に曲げた。というのも、事情の知らない人達にこの銃創や刀傷を見せるのは憚られるからだ。いつものように欠席願を実在しない父親の筆跡でそれを書いた。あと、夢のこともあるから上は野戦服と防弾チョッキに長袖Tシャツを重ね着して、下は野戦服のまんまで学校に行く事にした。ランドセルはいつもは筆箱しか入れていないが、ヘルメットと予備の拳銃の弾を今日から突っ込んだ。そして水と携帯食料をランドセルの左右にぶら下げている巾着袋に突っ込んで出発した。

 基地を出ると直ぐに官舎から出てきた文先輩とすれ違った。「おはようございます。」そう腰を十五度曲げて敬礼すると文先輩は手を眉の上に添えて敬礼し返してきた。「おや、今日は下に野戦服を重ね着してどうしましたか、今日の最高気温は三十五度を超えるようですよ。」

 この人はどこかしら得体の知れない所が有る。まず勘が鋭い。そして想像を超える情報網の広さ。(前は陸幕すらつかんでいない情報で意見書を書いて市ヶ谷を混乱に陥れたことがあるが、それすらも予期した意見書の内容で混乱は半日もたたずに終息したらしい。)精度の高い観察眼に裏打ちされた瞬間的な多元的情報処理能力と分析的思考能力の高さ。そして鍛え上げられた体躯。様々な知識に精通しそれらの影響を瞬時に分析結果に加算出来る計画修正力。そしてそれらを普段は包み隠して紳士として他者と接する。尚且つおちゃらけも忘れない。只者でない点を挙げるとキリがない。もしも文先輩なら傭兵市場ではいくらで雇われるだろうかと考える。公僕というので給料も安い自衛官の何倍もの金を稼げるだろう。億単位の金は最低でも動くのは確実だ。実際この基地には民間軍事企業のスカウターらしき外国人が何度も文先輩を訪ねて来ているのを見た。(少年自身にも通学路で民間軍事会社にスカウトされたことは何回かある。)時々恐ろしくなるが、自分には見えていない何かがこの男には見えているという確信がある。其れが上司としての文先輩に対する信頼になっている。

 「いや、単純に嫌な予感がしまして。」そう言うと一瞬キョトンとした顔をしたが、直ぐに何かを汲み取って「わかりました。」と言って基地の門の奥に姿を消した。

 学校に着いたら、いつも通りに冷ややかな視線が少年に向けられる。廊下を歩いても人に避けられているのはいつものことだが今日は違った。明らかな憎悪の目をこちらに向けながら唾を吐いてきた。それだけでなくハサミやカッターナイフまでも投げてきた。いつも以上の量である。そして周りに人だかりができた。例の噂のせいだなと思いながら静かにやり過ごそうとしたが、行く手に人の波が出来て移動できない。

 そして非常手段として強行突破をして、ようやく特別学級棟に入れた。そこから先は彼らも追ってこない。彼らには汚物の様に見えるらしい特別学級か、と妙にしみじみとした感慨が込み上げる。

 ところが通常学級の連中のざわめきの種類が変化したのを少年は感じた。その答えは直ぐに分かった。人の波が分断されて道が出来上がった辺りを歩く一人の少女。不知火だ。そうわかったら奥の教室に急いだ。別に用もない。だが、不知火は小走りで少年に追いついて妙に馴れ馴れしく話しかけてきた。「ごめん、こないだは迷惑かけたね。」「別に。」敢えて冷たく突き放すように言った。それでも負けじと喰らいついてくる。「実は私、心臓疾患を抱えているの。詳しくはわからないけどね。だから私が倒れた時AEDを使ってくれなかったら私死んでたかも。」かける言葉が見つからない。暫く沈黙していた。

 突然不知火が少年の腕にもたれかかった。「生きてて、良かった…」そう静かに泣いてつぶやいていた。「そうか。」そうつぶやき返した。「行くぞ。」そう言って教室に入った。

 朝の朝礼は自衛隊顔負けのナショナリズムゴリ押しのオンパレードだ。まず日章旗と旭日旗の掲揚、そして君が代斉唱の後に教育勅語と軍人勅諭の音読、最後に皇居に向かって一礼だ。一歩間違えるとパトリオティズムに突っ走る危険性を孕んでいるが、小学生ならではの理解度の浅さが其の危険を減らしている。中途半端に理解したら過激派を生む。だが、コスモポリタリズムまで理解したら其の危険性は無くなるだろう、と少年は分析した。まあどっちにしろ来たるべき災厄に備えながら、学校生活を送らなくてはならない。

 一限は数学(何故かそういう名称なっている。)、二限は古文(何故か高校の教科書と参考書を使っている。)そして三限四限が水錬だ。水錬は他組と合同だから余計憂鬱だ。そう思いながら水錬堂へ向かった。

 プールサイドの横のベンチで胡座を掻いて丹田を意識した呼吸をしながら禅を組む。明鏡止水の心持ちで精神修養に励む。と言っても邪魔は入る。「オイ底辺陰キャ、何カッコつけて胡座掻いているんだよ。」こういつも余計なことを口出しする奴だ。そういう奴の名前は覚えない主義でね、といつも通りの沈黙を守る。何も応えない少年にイラついたのか中段蹴りをかましてきやがった。しかし避けない。マトモに喰らってコンクリートの地面に落ちる。そう、わざと。一発蹴りを入れて気が済んだのかそいつはスタコラサッサとプールに戻った。

 また元の座禅に戻る。しかし邪魔は続く。ビシャ、とこっちに水がかかってきた。「アアー、ごめんねえ、うっかり水かけちゃった。」「もうこんなキモい白沢に水かけたら、その水が腐っちゃうじゃない〜。」水をかけてきた連中はケラケラ少年のことを嘲笑した。よくもまあこうペラペラペラペラと悪口が出てくるものだねえ。

 また座禅に戻る。末端の神経まで己の管制下に置く。毛細血管の一本たりとも見落とさないように身体の細胞の感覚を逃さぬように。そこまで深い状態に入ってすぐに、何かに背中が思いっきり押されて身体の姿勢が崩れた。

 鼻腔にマトモに水が入ってかなり痛い。まず空気が無いから息が出来ない。「ブゥ、ブクブクブク…」藻搔いて藻搔いて藻搔きまくる。然し藻搔く時間は数秒にも満たなかった。瞬時に状況に慣れて冷静な思考を取り戻す能力を体得していたからだ。ゆっくり上下を確かめて、手足を下に揃える。そして水面から顔を出した。「プハー!ハアッ、ハアッ。」息を整えながら周囲の状況を把握する。さっき少年が胡座を掻いていたベンチの辺りに薄気味悪くゲラゲラ笑っている不愉快な連中が居た。そいつらが突き落としたのに違いない、と分かったが、怒りは出てこなかった。(拳銃はロッカーに置いてきててよかった。もし駄目にしたら文先輩が本気で怒り出すからな。)と変に安堵している。静かにプールサイドに上がり、また座禅を組む。「コイツまた同じ事やってやがんの。プハハハハハ。」「えー、マジキモいんだけど。」「てか、地味に忍耐力あるねえ。」勝手にほざけ。またさっきと同じ様に全身の神経に意識を渡らす。こんな事どうでもいい、と精神が安定し出した時、頬に柔らかいものの感触が。目を開けると自分の顔がタオルで拭かれていた。「大丈夫?」心配そうな声がした。不知火だった。只「嗚呼。」と答えた。「こんなんだったら風邪ひくよ。」「否、大丈夫だ。」と自分で拭こうとタオルを取り上げようとすると、「いいから。」とお節介を続ける。

 「おい不知火、そんな陰キャにそんなことしたって無駄に決まってるじゃねーかよ。」さっき少年をプールに突き落とした張本人だ。後ろの方でそうだそうだと同調する声がした。「そんなの、人のすることじゃないでしょ。プールに問答無用で人を突き落とすなんて、アンタたちサイッテー。」「いいじゃないか、こんな陰キャの一匹や二匹。」「人を匹呼ばわりするのは、アンタたちクズのすることよ。」

 不知火のクズ発言は、普段から調子乗っている連中に与えた衝撃は極めて大きかった。それ以降そいつらはだんまりした。

 「プッ、ハハハ。」今度は少年が笑い出した。「何よ。」「いやだって、お前の影響力の凄さがさあ、あんな連中を一瞬で黙らせるとか傑作だろ。」「そこまで私の力をみくびってたの⁉︎」「否、そうじゃない。」抑えられていない笑いが漏れながら応えた。「それはそうと服、変えないの?」ヤベッ、下は野戦服のまんまだ。「否、いい。暑いから丁度良い。」そういうと「あっ、そう。」とプールに飛び込んだ。

 水錬が終わり教室に引き揚げる。扇風機を回す。「アイスクリンが有りゃいいのになあ。」ズボンを履きながら優くんがボヤく。「そやなあ、売店に売ってたらいいのに。」タオルで汗を拭きながらタイヤキも同調する。「じゃあ俺学校抜け出すわ。」扇風機の前でパタパタと団扇を扇ぎながらサスケは冗談めかして言った。「やめてくれよ、警備隊に見つかったら怒られんの俺や。」少年は笑いながら言った。

 その時、酷い寒気が背筋を走った。何だ、と思い周囲に目を配らせる。さっと懐の中の拳銃を手に握る。「どうした、國さん?」サスケが不思議そうに訊く。「シッ、静かに。」座禅とはまた違った神経の張り方をする。手汗がドバッと出てくる。他の同級男子が黙っているのでとても静かだ。何も起こらないのが逆に気味悪く背中の寒気が増幅して、額に汗が一筋走った。「あれ、どうしたの?」同級の女性陣が入ってきた。然し少年の気配に圧倒され何も声が出ない。そして緊張がある瞬間を境に、弾けた。そして少年はダッシュで机の下に潜り込んだ。「何や?」「早く机の下に!地震や!」「えっ?」「とにかく机の下に潜り込め!」そう言った途端にビィービィーといった警報音が無秩序に各個人の携帯から流れた。それを聞いてみんなは急いで机の下に潜り込んだ。

 ゴゴゴという地響きが聞こえてくる。机の上の物がカタカタと音を立てて踊る様に軽い跳躍を始めた。

 そして初期微動が終わり、本格的な横揺れが少年のいる町を襲った。

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