日常

其の九

 少年は基地の体育館で他の自衛官たちの剣道訓練に加わっていた。迷彩服に防弾チョッキ、ヘルメットと自衛隊の野戦服を着て腰のベルトに竹刀を差している壮漢が二人、対峙していた。典型的な剣道具は身に付けてない。新入りの隊員に陸奥一尉を相手に試合形式の模範実演をしていた。どういうことをやっているかというと、今年の四月に入隊してきた隊員達は取り敢えずカリキュラム通りに基礎訓練をこなしてきたが、より発展的な剣術を教え込むということだ。令和五年度から日本刀が旧軍以来の制式採用復活を遂げたため、これを陸海空自衛官に叩き込むこととなった。

 陸奥一尉と一礼して試合を始めたが、いきなり新人達の響めきが波の如く生じた。というのも、自衛隊式剣術は彼らの未知の領域と等しき代物だった。

 まず一礼、そして鞘から刀を抜くかの如くヌッと腰のベルトと制服の間から竹刀を抜き出し、互いに構えをとった。

 審判役の鉄さんが「始め」と野太い声で叫んで試合は始まった。

 まず少年は足に力を込めて陸奥さんに横っ腹の一撃を喰らわそうとするが、筋肉と贅肉の混じったゴツい身体からは想像のできないような跳躍をした。新兵達の騒めきがした。少年の太刀筋より上方に身体を飛ばしてそれを避けて、そっから空中で竹刀を縦に回して少年の頸筋を狙うが、少年の方が一瞬早く後ろに後退した。

 再び睨み合いになったが次に先制攻撃をかけたのは陸奥さんだった。腹に突き刺すことを狙ったかのように刀身を真っ直ぐ此方に向けて突進している。そして今度はこれをかわすために、さっとしゃがむ。

 次の瞬間、少年の頭を下にして・・・・・・身体は宙に浮いていた。

 歓声が沸く。

 「一本!」鉄さんが宣言した。少年の勝ちだ。

 少年は頭を下にする様にわざと器用に床を跳ね、己の頭が陸奥さんの竹刀よりも高い、床と平行な平面上に位置に在り、猶かつ己の間合いに陸奥さんが入り込むほんのコンマ001秒にも満たない機を掴み竹刀を陸奥さんの鳩尾に力一杯振る。

 「全く、反応速度が常人の比じゃないぜ、ええ、國さんよ。」新兵達への訓練が終わった後だ。陸奥さんのけむくじゃらの腕が少年の頬を押す。「まあ、これ次第でお陀仏かどうかが決まってしまう商売をやってたからなあ。まあ今もあんま変わらんけど。」「そういうなや、國さんよ。そういえばこの後どうだ、面白い娘がいる店見つけたんだ。」「おいおい、俺十二歳やぞ。」「じゃあ、連れて来ようか?」「やめときな、そうすると此方のお嬢様方が騒ぎ出す。前も酷い目に遭ったからな、懲り懲りだぜ。」「そうか?」この巨漢はわざとらしくキョトンとしている。「おっ、文の親父だ。」と丁度庁舎から出てきた文先輩に絡んでいった。「お前、今日はプラカルメに行くか?面白い娘が入ったんだ。」プラカルメとはこの基地の自衛官達の行きつけの飲み屋だ。「いや、今日は華岡さんとこで夕餉をとることになっているからねえ。」「なんでぇ、文の親父。」そして陸奥さんはくるりと身体を基地の外に向けて出て行った。

 基地内の自室に帰った。元々在っても意味も無く誰も使っていなかった宿直室を借りているが、現在三等陸曹の身分ではまあまあ贅沢な部屋だった。と言っても広い訳じゃない。アンさんとマリーさんという姉妹の居候付きなのだ。昼は八畳の畳の上にちゃぶ台を乗っけて、晩は三人が川の字になって寝ている。なので、大変狭い。

 まず玄関の横の短い廊下の途中にある便所で用をたし、更に突き当たりの脱衣所兼洗面所で手を洗い、さあ夕餉の用意だ。

 まず鍋と昆布と予めアンさんが内臓を取った煮干しを取り出し、鍋に水を入れて煮込み昆布と煮干しの出汁を取る。グツグツ煮込んでいる間に人参と大根を千切りにする。煮込めて出汁が出てきたら、先に昆布だけ水揚げして、煮干しをざるで一気に取る。次に先程の昆布をちぎり再び鍋に入れていく。同時に人参と大根を鍋に放り込む。豆腐も包丁で切って入れていく。味噌を溶かしたらあとは十分十五分ほど煮る。

 次に玉葱と豚肉をみじん切りにして生姜焼きのタレと一緒にフライパンに放り込んで炒める。最後にひとつまみの塩と二、三滴の醤油と混ぜ込む。

 漬物樽から漬物石と蓋を外し、大根を千枚漬けに変えて、小皿に載っける。

 マリーさんが予め作っていた煮豆を小鉢に移し替える。

 炊飯器から玄米を茶碗によそい、全ての皿をちゃぶ台に載っけた。

 夕餉の準備が終わると風呂を掃除して湯を沸かす。

 「ただいま〜!」明るい声でアンさんとマリーさんが帰ってきた。「今日の晩御飯は何〜?もうお腹ペコペコ!」実年齢の割に幼い様子でマリーさんがぼやく。そして机の上に載っけてある本日の夕餉を見て、「今日は生姜焼きか〜。」とまたぼやく。

 二人が手を洗って席に着くのを待ってから「いただきます。」と手を合わせて食べ始めた。傍から見れば随分変わった面子の夕餉だった。一人はヘルメットこそ着用していないものの野戦服の陸自隊員、もう一人はセーラーの制服を着た中学生、そしてラフなTシャツの小学生。もう画としてはツッコミどころが満載だ。

 「ウヘ〜、また今日もまっずいご飯。アンタ本当に料理の才能無いね。よくもここまで不味く作れたねえ。」「そんなん言うなら基地の食堂で食ったらいいじゃないか。なんなら何処ぞのラーメン屋の屋台で食ってもいいんだぜ。それにこないだ食堂に腕の良い割烹料理人が文先輩のスカウトで入ったらしい。此処より美味いぞ。」「ふん。アンタが折角作ってくれたから食べてやってんのよ。感謝しなさいよ。」いつも通りの高飛車な態度は却って少年を安心させる。「おかわり!」全くマリーさんの食べるスピードと量は極めて多い。前まで米は四合で炊いていたが今では六合になってしまった。そして今にも六合では不足しそうだ。ちゃんと食べて成長してほしい、俺みたいにならないように。そう常々彼女たちにねがっている。

 「やっぱりお兄ちゃんのご飯美味し~。お姉ちゃんも素直になったら?」「不味いのは不味いのよ。」そうアンさんは言って食べ終えた皿を洗い場で洗い出した。一瞬アンさんがひどく綺麗に見えた。目を擦り、目薬をさした。

 「皿、洗ってあげるよ。」そう言って少年の空になった皿をひょいと取り上げて洗い出した。そして少年は風呂加減を見に風呂場へ行った。

 風呂についてはアンさんとマリーさんが部屋の風呂、少年は他の自衛官と同じ下士官用大風呂に入る。風呂を出た後は自由時間なので、学校の宿題や生徒会の公文書編纂なんかをやったり、漫画を読んだり、三人揃ってテレビを見たりしてまあ結構自由に過ごしている。2200になると点呼に顔を出さなくてはならないので一旦部屋から出るが、帰ってきたらもう二人とも布団を敷いて爆睡中だ。静かに端っこに敷いている布団に入った。少年も直ぐに眠りに落ちた。

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