夜の生首《生首シリーズ第3話》

 銀の刃が月光にきらめく。

 従姉の薬指の第二関節、その腹を刃は撫でるように滑る。

 繊細優美。けれど丸みに欠けたその指先。

「ちゃんと食事はしているのかね?」

 血の繋がらない従姉は私の言葉に微笑む。

「ご心配ならあとでこもりうたを歌ってください。わたしの夜の眠りを守ってくれる、そんな歌を」

「私はこれでも人の安息をおびやかす者だったのだよ」

 いまの私にできることは、猫の昼寝の時間を狙ってむかし習い覚えた詩を読み上げることくらいか。首だけの私にできることは限られているが、あの憎い黒猫の安眠の妨げになるならなんでもする。

 血が一筋流れ落ち、水晶の杯に溜まった。

 薬草をって作った傷薬を指に塗り、古めかしい油紙で覆って包帯で器用に縛る。

 従姉は水晶の匙で紅のしずくを掬う。

 匙が私のくちびるに触れた。

 舌を甘く蕩かし、喉を熱く焼き、脳髄を蠱惑で酩酊させるそのしずく。

 夜ごとの儀式。


 従姉は、最初、父が連れてきたのではなかったか。

 分からない。

 首と胴が死に別れたとき流れ出た髄液と一緒に、私の記憶はあらかた、故郷の大地に還ってしまった。

 はじめて出会ったときの従姉は、葉の落ちた楡の木のようにすっくりと立つ青年だった……そんな記憶の切れ端が残っている。

 吸血鬼になるには、互いの血を飲み交わせば良い。そこに男女の隔てはない。

 だが、『魔女』はその性質の問題で女にしかなれなかったはずだ。

 ならばなにか事情があって男の姿をしていたのか。それとももっとなにかがあったのか。

 分からない。

 初めて会ったあのときも、いまとおなじように背筋がぴんと伸びていた。

 まだ幼かった私の正面に立ち、伏し目がちに頭を下げた。

 浅黒い肌が鞣された豹の表皮のように、しなやかに艶めいていた。

 挨拶はしたはずだ。でも、記憶がない。

 どうして私の屋敷にやってくることになったのか。

 分からない。

 どうして私は従姉に出会ってしまったのか。

 いまの私に残っているのは、なにかを語りかけるように微かに首を傾げた従姉。

 伏し目がちのまぶたに覗く、輝く烏色からすいろの瞳。


 私のくちびるからこぼれる、こもりうた。

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だいたい300字の伝奇世界 宮田秩早 @takoyakiitigo

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