1時の邸。魔法使いが出迎える。

 馬車は一時過ぎに邸に着いた。

 レイラは浮腫むくんだ足を無理矢理赤い靴の中に押し込んだ。硬い革がレイラの足を締め付ける上、血豆が押圧されるので、履いているだけでも痛くて仕方がない。だが、歩けないなどと我儘を言うのは矜持プライドが許さず、無表情を取り繕った顔の下で歯を食いしばりながら、馬車を降りようとした。


「奥様、お手を」


 ステップを踏もうと屈むと、先に降りた男が手を差し出した。夫の仕事仲間だという黒髪黒目の陰湿な男は、さっきまであれだけレイラに嫌味を言っていたというのに、あるときから急にしおらしく尽くしてくれるようになった。きっと、レイラの身の上話に同情してくれたのだろう。

 気まずそうに視線を逸らすヨハンに苦笑し、レイラはその手を取った。


「ありがとう」


 彼の心遣いのお陰で、ほんの少しだけ楽に馬車を降りることができた。その後も、屋敷に入るまでの間も手を貸してくれる。御者もまたレイラの足を気遣って、玄関の真ん前に馬車を停めてくれていたので、レイラはさほど苦労せずに邸に入ることができたのだが。


「なんだ、その無様な成りは」


 執事と一緒に玄関で出迎えてくれた旦那様は、呆れた様子でレイラを見下ろした。喧嘩っ早いレイラは青筋を立てずにはいられなかったが、罵りたくなるのをぐっと堪える。おどおどしだしたヨハンを制して「すみませんねぇ」と笑顔を作った。


「ちょっとはしゃぎ過ぎたもので」


 嫌味を言いたくなるのは元来の性なので、こればかりは止められない。

 やれやれ、と嘲笑いながら頭を振る夫ジュリアスは、それとなくレイラに歩み寄ると、ヨハンから彼女の手を奪って身体を抱え上げた。


「ちょっと!?」

「痩せ我慢も面白いが、大人しくしていろ」


 顔から火が噴き出るほど恥ずかしいが、有り難くもあったので、素直に黙り込む。

 ヨハンと執事が呆然とこちらを見上げてくるのが、あまりに居た堪れなかった。


 ジュリアスはレイラを部屋に放り込むと、メイドにレイラを風呂に入れるように命じた。されるがままに身体を洗われ、清潔でゆったりとした綿のネグリジェを着せられる。それから夫婦のベッドの上で一人横たわった。

 シーツの冷たさがネグリジェ越しに忍び寄ってくる中で、足だけがじくじくと熱い。ジュリアス監修のレイラ像にのぼせ上がった公爵を恨む一方で、馬車の中でヨハンに指摘された言葉が突き刺さる。


 見せかけばかりの灰かぶり。

 しかも、用意された靴すら履きこなせない、紛いもの。


 反発したくなる一方で、滑稽な姿を周囲に晒していたのかと思うと、気分が重たくなってしまう。


「……そもそも、合っていないんだよ」


 とうに深夜を過ぎているというのに、レイラはただ天蓋を見上げるばかりだった。眠気が襲ってくることもなく、いっそこのまま朝まで起きていたほうが良いのではないかとすら思う。

 夫が寝所を訪ねてきたのは、本気で起きてしまおうか、と身を起こしたときだった。


「まだ寝ていなかったのか」


 さほど意外そうでもなくジュリアスは言う。


「存外繊細だったようだな」


 夜会での出来事と、馬車での出来事。全てを知っているのだとレイラは悟った。虚勢を張ることもできず、かといって弱音を吐くこともできず、黙って肩をすくめる。


「オコナー、フリーマン、マーベル。大物だ。よく釣り上げたものだ」

「……ただの色ボケじじいだろ」

「なら訊くが、お前はその色ボケじじいと楽しく話していられるのか?」


 そんなわけない、と答えかけ、だが実際自分が彼らと長いこと話していた事実を思い出す。確か、彼らの仕事の話が面白くて、つい突っ込んで話を聞き出してしまったのだ。

 色ボケどころか、まったく色気のない話で盛り上がっていた。その事実に気付き、レイラは唖然とする。


「頭が古く固い連中は、女が自分の仕事に首を突っ込むことを嫌がる。だが、お前と快く議論に応じてくれる人間は、今後付き合うに値する相手だということだ」

「アタシをふるい代わりに使ったってかい」


 笑みだけを返すジュリアスに、レイラは呆れ返った。脱力し、ベッドの上に背中から倒れ込む。

 結局、レイラの悩みでさえ、彼の掌の上の出来事だったということか。真面目に傷ついた自分が馬鹿馬鹿しくなってくる。


「しかしヨハンまで噂に流されたのは、想定外だった」


 レイラの嘆きに構う様子もなく、ベッドに腰掛け脚を組んだジュリアスは言う。


「ずいぶん可愛がっていたようだけれど、まだまだ教育が足りてないんじゃないの?」

「全くだな。ヨハンもお前に詫びていた」


 そうかい、とだけ応えてレイラは目の上に腕を置く。どっと疲れが押し寄せてきた。ようやく寝る気になれたか、と他人の事のように思っていると。

 夫が布団に手を入れて足に触れてくるものだから、飛び起きずにはいられなかった。


「靴が合わなかったそうだな」


 きまりが悪く、レイラはジュリアスから視線を逸らす。今宵履いていた赤い靴は、踵がずいぶん高い。足を綺麗に見せるという高さのヒールを履きこなせなかった自分が格好悪く、惨めだった。


「今度、合うものを作らせよう」


 足に手を這わせたまま、ジュリアスはレイラのこめかみに口吻を落とす。その甘さに頬を赤くしながらも、レイラは夫のほうをおそるおそる窺った。


「……いいの?」

「当然だろう。ぴったりの靴を用意するのもまた、夫の役目だ」

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