第33話 [唯花の過去①]
「お風呂いただいてきました。ちょっとぶかぶかですね〜」
タオルを首にかけ、少し火照った様子の唯花がリビングに戻ってきた。
俺が渡した服を着ていたが、唯花が言った通りぶかぶかで、手が袖に隠れていた。
これが彼シャツ……? いや、まず女じゃないし、付き合ってもないから違うか。
「唯花、お前ちゃんと髪乾かしたか……?」
「え? まあいつも通りやりましたけど……」
頭をワシっと掴むと、若干湿っているのが確認できた。
「ちょっと湿ってるから乾かしてこい」
「えー……ちょっと面倒くさいです」
「だぁー! もういい、ほら行くぞ」
「あ〜れ〜」
唯花の服の後襟を掴み、洗面所へと向かった。椅子に座らせ、唯花にドライヤーを当て、乾かし始めた。
「あー……なんだか懐かしいです……」
「まあ、その年になれば〝普通は〟一人で髪を乾かすしな」
「普通はを強調しないでください……。反省してます」
髪を乾かしている途中に思ったが、唯花の髪は本当に男なのかと思うのほどサラサラで、女子のような髪であった。
「よし、終わったぞ。ついでに歯も磨いておけ。ほら、ちょうどよく新品の歯ブラシがあるから」
「おぉ、これがご都合展開というやつですね」
俺たちは二人並んで歯を磨き始めた。片手に水を入れたコップを持ち、鏡とにらめっこをしながら磨いていた。
十分に磨いたらコップの水で口をゆすぎ、歯磨き終了。
「さて、もうそろそろ11時か。俺はもう寝るぞ」
「あれ、師匠のご両親はまだ帰ってこないんですか?」
「……俺の両親は、数年前に殺されたんだ」
「えっ……」
唯花は目を見開いて驚いていた。
「ま、数年前のことだからもう気にしてないけどな」
……気にしていないといえば嘘になるけれど、言うてそこまで気にしていないのも本音だ。
「そう……ですか……」
「だからベッドとか無いんだ。そうだな……敷布団とかならあるかもだから、敷いてくるな」
階段を登り、自分の部屋に向かう強谷の背中を眺めながら、唯花は彼に気づかれない程度の声量でボソッと呟いた。
「師匠も同じだったんだ……」
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自分の部屋の床に敷布団を敷き、唯花がそこに転がった後、俺もベッドに転がり寝ようとしていた。
しかし、少しか細い声で唯花に話しかけられた。
「師匠……師匠は、殺した奴が憎く無いんですか……?」
「……憎かった。けれど、犯人は捕まって時間が流れていく間で時効になった」
「成る程……」
唯花は何かを納得した様子だった。そして決心をした顔になり、俺に話しかけてくる。
「あの、なんで僕が師匠を師匠にしたいのか……。聞いてくれますか?」
「構わないぞ。けれど、そのあと俺に何かを求めるなよ」
「じゃあ話しますね。あれは僕が小学三年生だった頃です――」
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僕のお母さんは黒い髪を後ろで結んでいる。それは緑色の組紐だ。ちなみに僕の顔とそっくりなお母さんだ。
お父さんは僕と同じ色の髪と目の色をしている。『桜路家の血を引き継ぐ者はこの色になるんじゃ』とおじいちゃんは言ってた。
僕は刀術を教えている道場の長男として生まれた。家は道場が隣接しているの。なので、休日はお父さんやおじいちゃんと勝負をしたりしている。
「やぁあああ!!」
「隙あり!」
「うわっ!?」
今日も今日とて、おじいちゃんと試合をしている。
そして今、おじいちゃんに転ばされ、道場の床に転がっていた。
「おじいちゃん強いです……」
「ははは、日に日に強くなって怖いの〜」
「本当に?」
「ああ、本当じゃ」
「やったー!」
この頃の僕は、メキメキと力をつけていた。仙気も感じ取れ、仙式も後一歩で使えるといったところだった。
「二人ともー、そろそろ夜ご飯にしないー?」
「あ、お母さん!」
……こんな何気ない日常が僕は好きだった。
だが、そんな日常が明日崩壊するなんて、この時には思いもしなかった。
みんなで昼ご飯を食べている中、おじいちゃんが口を開き、僕のお父さんがそれに質問していた。
「今日の夜出かけるわ。昼過ぎには帰るからのう」
「剣道の大会のなんかだっけ?」
「そうじゃ、全く……ご老体を労ってほしいのう」
その日は何もない、僕が好きな何気ない日常だった。だから、なんの心配もせず、眠りについたを
――翌朝。
目が覚めたのは十時ぐらい。
木刀を持ち、袴に着替えて隣の道場の前までやってきた。
だが、道場に近づくと、中からうめき声が聞こえてきた。何かあったのかもしれないと思い、急いで道場の中に入った。
すると中には、血だらけになりながら木刀を持っているお父さんと、床に倒れているお母さんの姿が目に入った。
「唯花……来るな……! 助けを……呼ぶんだ」
「あ? 誰だよあのガキは」
お母さんとお父さん、そしてもう一人、刀を持った血まみれの男がいた。それは返り血だった。
「え……ぁ……」
それを理解した途端、僕の心は恐怖で埋め尽くされた。蛇に睨まれた蛙とはまさにこの状況を指すんだと、今では思う。
ガクガクと全身震えて恐怖しながらも、僕は率直な疑問を零していた。
「なんで……こんなこと……」
「話すわけねぇだろうがよ。あと、お前はもういなくなっちまいな」
そう言うと、男はお父さんを斬りつけた。
お父さんはその場でバタッと倒れる。そして、ピクリとも動かなくなった。
「お父、さん……」
人が死ぬ瞬間を、初めて見た。まだ幼い僕に立ち向かう勇気なんかは無く、ただただ立ち尽くすことしかできなかった。
「唯花……きちゃダメ……逃げて……!」
お母さんが意識を取り戻してそう叫ぶが、動けなかった。
「悪りぃな。上から全員殺せって言われてんだよ。自分の家族も守れない、自分の弱さを噛み締めろ」
男はお母さんの胸に刀を突き刺す。
そこから鮮血が吹き出し、そのまま動かなくなってしまった。
――僕は無力だった。
大切なお母さんとお父さんが守れないただの子供だった。徐々に距離を詰めてくる男に対して、全く動けない僕は本当に無力だ。
「じゃあな、ガキ。生まれてきたのが、お前の罪だ」
男が刀を振り上げ、僕に下ろしてくるその瞬間だった。
「桜仙式――【石割桜】!」
後ろから現れた桜の花びらを纏った木刀は、男の刀を真っ二つに折られる。
その木刀の主はおじいちゃんだった。けれど、今までに見たことない、鬼の形相をしていた。
「貴様……儂の逆鱗に触れたぞ……!」
「くっそ! 昼過ぎに帰ってくるんじゃあなかったのかよッ!!」
九死に一生を得たはずなのに、心にぽっかりと穴が空いたようで、嬉しいと言う感情は込み上げて来なかった。
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