第5話

「おはようさん!おはようさん!今日もよろしくな〜」


満面の笑みで挨拶をする柴田康明。


「おはようございます」


至って普通に挨拶をする社員たち。

その中に、一人だけ目をキラキラとさせて元気いっぱい挨拶をする者がいた。


「おはようございます!昨日はありがとうございました!」


米田翔太だ。


昨夜、柴田康明が帰った後の飲み会で、先輩社員から「柴田康明」とはどんな人物か聴き、その人柄や人徳に対して尊敬の念を抱いたようだ。

犬であれば長い尻尾を振り回しているだろう。


「お!元気ええなぁ。また飲みに行こな〜」


柴田康明は、まさか自分が尊敬されてるともつゆ知らず、変わらない態度で軽い会話をした。


朝会後、またひょこひょこと新入社員たちのもとへ柴田康明が現れた。


「仕事中ごめんな〜。ここなんやけど、どうやるんやっけ?」


これが柴田部長なりの気遣いだと、新入社員たちはもう知っている。


「どうだったっすかね〜。…小泉、分かる?」


米田翔太は分かっていながら、尊敬する柴田部長を真似て小泉真理子に振った。


「えっ、あ、ここは、この流れをしてから、ここのキーとここのキーを同時に押して…ミスがないか確認できたら大丈夫です」


いきなりのことで驚いたが、柴田部長も、それに憧れる米田翔太も、分かっていながら優しさを持って訊いていることが伝わってきた。

これが柴田部長の新人社員たちへの育成なのだと。

人に何かを教える時、そのことを自分が正確に理解していなければ教えることは難しい。

つまり、柴田部長は仕事内容を忘れているのではなく、新人社員たちが仕事内容を正確に理解するために、あえてこのような形で訊いているのだ。


柴田部長は優しい人だ。そしてあたたかい人だ。

小泉真理子はなんだか嬉しくなった。


「お〜、せやったな!こうやったな!助かったわ〜。ありがとうやで!」


「さすが真面目な小泉!分かりやすかったよ!」


柴田部長はともかく、少し上から目線ともとれる米田翔太の態度が少し面白かった。



入社して以降、4月中はこのようなやりとりが続いた。

5月になれば、さすがに柴田部長が仕事内容を訊ねにくることは少なくなっていった。

ミスをしても怒ることはなく、どこに問題点があったか一緒に考えてくれる人だ。

柴田部長みたいな上司はなかなかいないだろう。

社員全員がそう思っていた。


飲み会は、大体一ヶ月に一回のペースで行われた。

その度に柴田康明は社員たちから五百円ずつ集め、自分だけ先に帰る際に例の一万円札を置き、エセ関西弁でその場を後にするのだった。


柴田康明が帰った後は、変わらず楽しく飲み会が行われた。

社員たちは柴田部長の気遣いを感じ、言われた通り、あまり遅くならないように解散するようにしていた。

ただ、せっかく柴田部長が飲み代やタクシー代に、と置いていってくれた一万円だ。

全く手をつけず返すというのは、柴田部長の気遣いを無駄にすることになる。

だから、社員たちは「本日の最後の一杯」と、家が遠い人やヒールで疲れた女性陣はタクシーで帰るなど、その一万円を分け合って使うようにしている。


そうした流れは、秋が終わりを告げる頃まで続いた。


そして、それはいきなりだった。



「俺、退職するわ〜!」



柴田部長がいつもと変わらない笑顔でそう言った。

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