二十一口目 蜜柑に鶏⁉

「まあまあ落ち着きなって」


 突如、気落ちした俺の前にパンツが出現した。青色のシルクである。


 た、大変だッ……ぱぱ、ぱ、パンツが喋った⁉


 ここはもう少し様子を見ることにしよう。相手を知ることはとても重要だからな、決して下心ではありません。


《パンツは なかまを よんだ! パンツB パンツC パンツDが あたらしく あらわれた!》


「ウチらも驚いたけどさ、多分学院長が何とかしてくれるっしょ!」

「うんうん。それにこの子、よく見たら結構可愛いよ?」

「ね〜! 丸くてふわふわしてるし、抱き枕みたいだよね〜」


 順に、黒のバックレース、水色の紐パン、紫色のTバックである。

 生粋きっすいの童貞には刺激が強くて、俺は慌てて目を逸らした。


《しかし、まわりこまれてしまった!》


 多彩で多様なバラエティにんだパンティー……ではなく、たくさんの少女が一匹の鶏を取り囲んだ。蜜柑少女と同じ白い制服を着ているため、この達も学院の生徒に違いない。


 だが、しゃがんで俺の顔を覗き込む彼女達は無防備に下着をさらしており、俺が少し視線を上に向けるだけで「こんにちは!」してしまう状況であった。


 見ちゃ駄目だ、見ちゃ駄目だ、見ちゃ駄目だ、見ちゃ駄目だ……。


 そう自分に言い聞かせてみるのだけれど、まるで効果がなかった。見えない力が働いているのだろうか、俺の視線は吸い寄せられるようにスカートの中へ――


「ん〜……もう我慢できない、触っちゃえっ!」


 と、女の子の一人が寝転ぶ俺の身体を持ち上げた。

 すると、周りで様子をうかがっていた少女達も一斉いっせいに手を伸ばしてくる。


「実はずっと触ってみたかったの……わっ、ふにふに〜!」

「うそっ⁉ わ、私にも触らせて!」

「私も私もぉ!」

「ちょっ、押さないでよ……あたしが先だって!」


 ちょっとしたハーレム状態である。

 俺には自分の丸いフォルムが間抜けに思えたのだが、意外にも女の子には人気のご様子。頬を引っ張ったり、翼を撫でたり、お腹を突ついてみたりして楽しそうにはしゃいでいる。


 ……うむ。この姿も悪くないって俺も初めから思っていたんだよね。


 マシュマロみたいな感触を全身で味わい、俺は大人しくされるがままでいた。

 がしかし、そうして無抵抗な愛玩動物を演じていると、背中に鋭い針のような視線を感じた。


「ねえ、ほら、ルミナも触ってみなよ」


 女子生徒は、抱き抱えていた俺を蜜柑髪の少女――ルミナ・レムロードに差し出した。


《なんと パンツが おきあがり なかまに なりたそうに こちらをみている!》


 ……なんてことはなく、ルミナと呼ばれた少女は、顔をぐっと近付けて怪訝けげんそうな目をこちらに向けていた。


 きぬのように美しい蜜柑色の髪。

 白く滑らかな肌が、気の強そうな翠色エメラルドグリーン双眸そうぼうを引き立てている。改めて見るとやはり可愛い。


 ていうか、顔が近いんだが……。


 シャンプーの香りとは別にただよってくる不思議な甘い香りに、俺は思わずドキドキしてしまった。ちなみに若い女性が発する香りの正体はラクトンという成分だそうな。サラダに乗せる食べ物ではないからなっ。


「はいはいはい! 皆さん元気なのは良いことですが、授業中であることを忘れないで下さいね」


 軽く手をち合わせ、一同の視線を集める女性教諭。


「まあ、本日の授業はこれで終了としますが、来週までに各々竜具りんぐの使い方を確認しておいて下さい。それから――」


 事務的な連絡事項を伝え終えると、先生とクラスメイト達はどこかに行ってしまった。

 残されたのは、俺とルミナの二人だけ。息詰まるような気まずい沈黙が空間を支配するのであった。


 巨大な地下空間の深奥しんおうに整然と立ち並ぶ太い柱。

 地下より湧き出した泉には、僅かにこけむした白い石畳の道が続き、その中央に祭壇さいだんもうけられている。


 壁や地面からは、青い光を漏らす水晶クリスタルの柱が何本も突き出ており、光源となって暗い洞窟内を照らしている。それゆえ、祭壇はいかにも荘厳そうごんな雰囲気ではあったが、同時にどこか神秘的な美しさをびていた。


 そんなロマンチックな空間に、見つめ合う男女が二人きり。何も起きないはずが……あるんだな、鶏だから。


 ここ〈儀式の間グラツィア〉に設けられた祭壇、正確にはそこに描かれた魔法陣の中心に、蜜柑髪の少女――ルミナ・レムロードと一匹の鶏の姿があった。


 他の女生徒は皆、女性教諭による授業終了の合図と共にこの場を去ったのだが、何故かルミナだけは一歩も動かず、をするように持ち上げた俺の顔を黙って見つめ続けていた。


 も、もしかして……歯に青海苔あおのりがっ⁉


 焼きそばを食していないのだから付いているはずがない。

 というよりも、この世界に来てから何も口にしていない。お昼どころかおやつの時間すら過ぎているので、そろそろ胃に何かを入れたいところ。


 鶏になったことで味覚に変化が生じている可能性がある為、一つ一つ確認してゆこうと思う。……鳥料理は避けるべきなのか?


「――これじゃあ何もできないじゃない」


 今後の食事について考えていると、今まで黙っていたルミナが俺の頬をぐいぐいと引っ張りだした。


「もう、どうしてあんたなのよ……、ばか」


 そうこぼす彼女は孤独な寂寥せきりょうたる瞳をしていた。


 ……この寂しそうな目、どこかで……。


 確かに見たことがあるような気はするが、それが誰のものであったのか思い出せない。脳がコルクでせんをされているような、すりガラス越しに誰かを見ているような、そんな感覚。


 ……。


 ヒトの心なんてものは、所詮しょせん他人がどうこうできるものではないし、口を挟む義理もない。それに、ここで情に流されてこちらの秘密を明かしてやるということは、赤色のコードを切れば時限爆弾を解除できると分かった上で青色のコードを切断するようなものである。


 そんなことをするのは底なしのお人好ひとよしか、無類の阿呆にほかならない。だから、俺は――


「そんな顔すんなって」


 ルミナに話しかけた。お人好しで、阿呆だから。


 そりゃあ、俺のような何の力も持たない鶏に出来る事などたかが知れている。

 だが、たった一秒でもこの子を笑顔にすることができるなら、どんなリスクだって背負ってやるさ。後悔なんて、未来にしか存在していないのだから。


「……」

「……」


 見つめ合う二人。

 俺をいじるルミナの手が止まり、きょとんとした表情で、目を何度もぱちぱちさせている。


 まあ予想通りの反応だな。鶏が突然喋り出すとは誰だって考え及ばないだろうし、びっくりしてしまうのも無理はない。


「あー……驚かせてすまんな。実は――」


 刹那。ルミナの顔が引きつって、


「きゃあああああああああああああああああああああ!」


 空間を揺らす悲鳴と共に、持ち上げていた俺を地面に思い切り叩きつけた。


「にべあっ⁉」

「ななな、何っ、にわ……しゃべ、喋って……」


 ルミナは酷く狼狽ろうばいした様子で、手や足を震わせていた。

 反応は予想通り。だが、行動は予想外。ちょっと乱暴すぎやしませんかね?


「ほ、本当に鶏……なのかしら……」


 落ちていた木の枝で、恐る恐る俺のお尻を突つくルミナ。


 つん、つんつん。


「俺を排泄物みたいに扱うな!」

「ひいぃっ⁉ お、汚物が喋った!」

「どう見たって汚物ではねえだろ! そこは『喋った!』だけで良いんだよ!」

「嫌ああああ汚物うぅぅぅぅうう!」

「だから違えって言ってんだろ! どんな目してんだ、お前は!」

「嫌あぁぁぁぁぁああ!」


 まるで見てはいけないものを見てしまったというように手で顔を覆うルミナ。

 先刻まで抱いていた「可哀想」という気持ちが、一瞬にしてゼロに。


「とりあえず一度よく見てみろ。俺は、鶏。君の目の前にいるのは、動物」

「……ド汚物?」

「何だ、やるか? どうしても俺を汚物にしたいのか⁉」

「いやああああ臭いぃぃぃぃぃいい!」

「臭いはやめて! マジで傷つくやつだから、それ!」


 ブサイクだとか気持ち悪いだとか、そんなことよりも被ダメージが大きい。……臭くないよね、俺?


「だだ、だって鶏が喋るわけないじゃない!」

「いや、汚物よりは可能性があるだろ!」

「女の子の前で汚物を連呼するなんて、最低、変態っ!」

「ええっ⁉」


 まさかの展開。これが、所謂いわゆる冤罪事件の図である。


「……はぁ。もう変態でも何でも良いから、とりあえず話を聞いてくれ……」


 俺がそう言うと、ルミナは指と指の間から瞳を覗かせた。

 その行動は少々気になるけれど……まあ良しとしよう。


「ほら。ひとまず鶏かどうかは置いといて、少なくとも君の言う『汚物』ではないだろう?」

「……」


 ルミナの瞳が上下に三回動くのを確認。

 俺の頭の天辺から足の爪先まで、じっくりと観察するように見ていた。


「……汚物ではないわね」

「よし、それじゃあ次のステップな。黄色いくちばしがあって、腕の代わりに翼が生えている、全身が白い動物と言えば?」

「……アヒルかしら」


 グワッグワッ。確かに正解ではあるのだけれど。


「えっと、頭に赤い鶏冠とさかがあって、あごには赤い肉垂にくすいがあるっていう特徴を追加すると?」

「それは、鶏しか……って、え?」


 ルミナは顔の前から両の手を外すと、


「どどど、ど、どうして鶏が喋ってるのっ⁉」


 俺を指差しながら驚いた。


「……ったく、普通ならここに辿り着くまで五秒もかからないだろうに」


 おかげで顔面の痛みすら忘れていたぞ。

 痛みで熱を発した額を撫でさすりながら、俺はゆっくりと立ち上がった。


「は、早く答えなさいよ!」

「いやまあ、結構こけこっこう、今まで色んなことがありまして」

「いいからさっさと答えて!」


 本当に他鶏の話を聞かないだ。

 俺としては優しくいたわってほしいところだが、彼女にはそんな余裕もつもりも更々さらさらないらしい。


「そうだなあ。えっと、俺は人間と会話ができるんだ」

「そ、そんなのは見れば分かるわよ。だから、あたしは、その理由を聞いてるの!」

「分かった、分かったから落ち着け。……だけど、今から話すことは嘘じゃあないからな」


 俺が向けた真剣な眼差しに、ルミナはごくりと唾を呑み込んだ。

 ……ようやく準備が整った。俺は軽く息を吐き、彼女の翠玉すいぎょくの瞳を見つめて言った。


「実は、俺――人間だったんだ」

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