ニ十口目 召喚⁉

 何とも呆気あっけない最期さいごであった。


 鶏ってのは実にもろい生き物で、どれだけ時が流れて技術が進歩しようが、どれだけ医療が発達しようが、ほんの些細ささいなことで簡単に壊れてしまう。肉体も、魂も。

 それはこの世界でも変わらないらしい。被食者である鶏の優先順位は決して高くはないのだ。


 技術や医療、それは言わばあったら便利な課金アイテムってところか。所持していなくても鶏生遊戯ゲームをプレイすることは可能だし、購入したところで確実な必勝法を与えてくれる訳ではない。あくまで効率的かつ有利に進めるための手段の一つである。


 そもそも明確なクリア条件なんて提示されていないし、加えて開発元も不明で、悪質なバグが発生し放題の遊戯なんてインストールすらしたくもない。だが、それでもこの世に生を受けた者は強制的にプレイさせられるのだ。


 操作するキャラクターくらいはちゃんと選択させてほしかったけれど――


 ドサッ。


 ……っ、いてて……。


 突然、俺は空中に放り出され、顔面から地面に落下したように感じた。これまた随分ずいぶんと手荒な歓迎である。一度転生を経験した俺はいたって冷静に目を開けたが、案の定何も見えなかった。既視感きしかんマックス。


 しかし、前回と違って痛覚があり、自分の意志で自由に身体を動かすこともできる。

 俺は不思議に思いながらも頭部と思しきパーツを動かしてみることにした。


「ふぁ……っ、んっ……」


 少女の、ちょっと鼻にかかった甘い声が、届いた。


 ……ん?


 再び頭を、今度は顔面を押しつけるようにして上下に動かしてみる。


「んんんっ、ふぁぁぁああぁっ……!」


 先程よりも大きく、そしてとろけるような声。


 ……んん?


 さらに上下運動を続けていると、ほのかに熱を帯びた甘酸っぱい香りが鼻腔びこうをくすぐった。さらに、俺が動く度に左右からぷにぷにっとした柔らかい壁が押し寄せてくる。


「ひゃうっ、やっ……ふうぅ、ぁあぁぁん……!」


 さらに激しさを増す、少女の喘ぎ声……みたいなやつ。

 如何いかんせんソースが大人の映像作品だけしかないので、吾輩の知識だけでは断定できないのですよ、はい。


 俺はもぞもぞとうようにして後ろに下がり、先程から身体を包み込んでいるの中から脱出を試みた。

 途端、暗闇の世界に光が差し込む。白色と黄緑色の縞々しましま模様の薄い布が見えた。


「……よいしょっと」


 俺は、ゆっくりと顔を上げた。そこには、


「はぁ……はぁ……、んっ……」


 蜜柑みかん色のミディアムヘアの可愛い女の子が、地面にぺたんと座り込んでいた。

 瞳は濡れて、頬は薄桃色に染まり、荒い呼吸に肩が上下する。


 ……なんかエッチだ。なんかこう……凄くエッチだ。


 彼女がこんなふうになってしまった原因は、間違いなく俺にある訳で。この場合まずは謝罪をすべきか弁明をすべきなのか、教えてくれよワトソン君。

 流石に市場の二の舞を演じるのは御免だし、そう易々と喋るわけにはいかないのだが――そう思った矢先、


「……っ⁉」


 蜜柑髪の少女と、ばっちり目が合った。

 綺麗な翠玉すいぎょくの瞳を大きく見開き、桜色の唇を鯉のようにパクパクと動かしている。


 ……察しが悪い俺でも今後の展開を予想することができた。


 ああ……終わった。さよならグッバイ、俺の平穏へいおん……。

 そんなものは始めから存在していないだろう、と自分自身に対してツッコミを入れる前に俺の視界はすみ色に塗り潰された。


 気絶する直前にかろうじて見えたのは、大きく振り上げられたミルク色の美脚と、数秒ぶりの縞々模様であった――。




   ◇◆◇




「……ゃない……か!」

「そう……も……は……すから」

「……をなん……して……さい!」


 朦朧もうろうとした意識の中で、二人の女の子の声が聞こえてきた。

 地面にうつ伏せになっているので顔は見えないが、そのうち一人は何かに苛立いらだっているような興奮し切った口調であった。


 ……ここはどこ……っ、頭痛え……。


 起き上がろうとした瞬間、おでこの辺りににぶい痛みが走った。

 仕方がないので身体を動かすのをあきらめ、地面に生えたこけの形が何の動物に見えるか考えていると、徐々に意識がはっきりしてくる。


「お願いしますっ! もう一度、もう一度だけで良いですから!」

「ダメです。許可できません」

「そこをなんとか……!」

「規則で決まっている事ですから。残念ですが、認められません」


 その声のする方を見ると、小綺麗な中年女性に何かを懇願こんがんする蜜柑髪の少女の姿があった。白い制服を身にまとった彼女の声には、必死の思いが込められているように思えた。


「な、納得できませんよ。だって、こんなの絶対におかしいじゃないですか!」

「それは……」


 と、二人がこちらを見たので、俺は慌てて目を瞑った。


 状況から推測するに、何か、想像もつかないような事態が起こっているのだろう。しかもその元凶が俺であり、それこそがここにいる理由であると反射的に考え、俺は横になったまま彼女達の会話に聞き耳を立てた。


「この儀式は、天の御加護をその身に宿やどすためのものですよね?」

「はい。聖リセト零化学院の学生が立派な〈零化士〉になるための、大切な儀式です」


 れいかし? ……あっ、これ進〇ゼミでやったやつだ!


「大切な儀式だからこそ、あたしがさずかる予定だった〈メリュジオン〉はどうなるんですか? あれがなかったら零化士として活動できませんよね?」

「そうですね……その竜具りんぐについてですが、後日学院長と話し合って判断したいと思います。何しろ前例がない異例中の異例ですので、私の一存で決められるような事ではありません」


 めりゅじおん? りんぐ……指輪か?


「でも見てくださいよ、あれ。先生にはあれが何に見えますか?」

「何も見えません。見ていません」

「鶏ですよ、に・わ・と・り! しかも、とびっっっきり変な鶏ですよ!」

「……聖霊竜皇様の御意志であれば、私達にできるのは粛々しゅくしゅくとそれを受け入れる事だけなのです」


 うわあ……今、中年女性は絶対にチラッと俺のことを見て、それからすぐに視線をらしたよ。なかったことにしようとしてるよ。


「いや、御意志じゃなくて誤意志ですよねっ⁉ どう考えたって」「聖霊竜皇様の御意志であれば、私達にできるのは粛々とそれを受け入れる事だけなのです」


 女性教諭は少女の言葉をさえぎって言った。それ程までに俺の存在を認めたくないようです。ぐすん。


 だがまあ、学院の関係者ですら知らないような事が起こったのならば、その気持ちも分からないではない。きっと、俺の想像よりも遥かにとんでもないことに巻き込まれているのであろう。


 ど◯でもドアもといから別の場所に転移した時点で、俺にとっても十分とんでもないのだけれども。


「……とにかく、これ以上この件について私から申し上げられる事はありません。先程もお話ししましたが、私のような一教師……ましてや一介の学生がどうこうできる問題ではないのです」

「そ、そんなぁ……」


 背中越しに、少女の落ち込んだ声が一つ。

 そのしょんぼりした姿が容易に想像できて、何だかとても申し訳ない気持ちになった。


 ……うーん。


 困っている女の子がすぐ近くにいるというのに、今の俺にできることは何もない。この小さな翼では、少女の手を優しく握ってあげることすらできないのだ。


 俺は、自分がどんなに非力な存在なのか、つくづくと思い知らされた。


 容姿が変とか能力がどうとか、もはやそんな上辺だけの事ではない。次から次に降りかかってくる災厄の氷塊ひょうかいは、もっとずっと根深いものだったらしい――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る