十八口目 油断大敵⁉

「ハァ、ハァ、ハァ……くそっ、どうしてこうなるんだよ!」


 俺は息もえになりながら、見たことのない雑木ざつぼく生茂おいしげった薄暗い森の中を駆けていた。


 当然ながらアスファルトで舗装ほそうされた道ではない為、踏み出す度に何度も足を取られそうになるが、それでも足を動かし続けた。動かし続けねばならなかった。


 ――数十メートル後方、並行して走る三つの影。


「あああああああもう! いつまで追いかけてくるんだよおぉぉぉぉおお!」


 全力で走りながら五秒に一回程のペースで後ろを見ると、木々の間から迫ってくる追跡者の姿が見えた。

 彼らは足場の悪い土砂の上を、数多あまたの障害物をかわしながら、それを感じさせないスピードで移動する。フィールドの条件は同じはずなのにどうしてこうも違うのか。


 これが、猛獣けもの愚獣けだものの圧倒的な身体能力スペックの差。

 獲物えものを狙う狩獣ハンターと、エロ物をあさ狩人ハンターの明らかな格の違い。


 そう――俺を追うのは、三匹の剣歯虎サーベルタイガーであった。


 どうしてこうなったのかと言いますと、理由は極めて単純明快。食糧しょくりょう調達をねた仲間の敵討かたきうちである。

 つまり、こいつらは崖の下に落下した剣歯虎の仲間であり、その一部始終をじっと息を詰めて見ていたという訳だ。


 そりゃあそうだよな。だって、剣歯虎は集団で狩りを行う生き物なのだから。

 いくら後悔したって現状が好転するわけでもないし、悩む暇があったらその体力を走る為に使った方がずっと良い。


 そう頭では理解わかっているけれど――


「あああああああくそっ、こんな状況どうしろってんだ! どう考えたってこんなの死にゲーじゃねえか!」


 このまま逃げ続けたところですぐに追いつかれてしまうのは目に見えているし、現に百メートル程あった差が、いつの間にか十メートルくらいの距離まで縮んでいた。


「ガルァァァァッ!」

「おわっ⁉」

「ギルァァァァッ!」

「うひゃあっ⁉」

「ヴルァァァァッ!」

「若本さんっ⁉」

「ヴルァァァァァアア……ッ!」

「ひいぃ⁉ 違いますよね、すみませんっ!」


 一際ひときわ大きな咆哮ほうこうを喰らい、反射的に謝ってしまう俺。腹を空かせた猛獣がよだれらしながら迫ってくるのだから恐ろしい。


「怖えええぇぇええ虎マジ怖ええええぇぇぇええ! マジでれそうなんですけどおぉぉぉぉおお⁉」


 ダメだ。耐えるんだ、俺。

 転生した鶏の失禁しっきんなんて新ジャンル、誰にもこれっぽっちも需要じゅようありませんから! 残念ッ!


 だが、股間のネジが馬鹿になるほどビビッているのは本当で、これではいつ捕食されてもおかしくない。後ろを見ると、既に虎達との距離は十メートルを切ろうとしていた。


「……いやちょっと待て。どうして、まだ十メートルあるんだ?」


 俺は全速力で走りながら、再度後方を確認した。

 三匹との距離、十メートル強。


 本来ならもっと早くに捕まっているはずなのに、先刻さっきから一向に距離が詰まることはなく、障害物があったりすると寧ろ距離が開くことすらあるとはこれ如何いかに。


「わざと生かされているのか……?」


 仮にそうだとしたら、一体何のためにそんなことをする必要があるのか。

 するとその答えは意外にも早く、そして最悪の形で示されることになった。


「……なっ⁉」


 俺はピタリと足を止めた。足が止まった。いや、止まらざるを得なかったのだ。


「ぁ……あはは……そういう事かよ」


 俺の視界いっぱいに広がる、黄色地に黒の斑点はんてん模様。

 前後左右四方八方、なんならそびえる巨木の上にまで。


 獲物ののどを切り裂くために特化した刀剣状の長くて鋭い牙を持つ、太古の昔に絶滅した肉食動物。食餌しょくじを前にした文字通り飢えた獣が、両の目をあやしく光らせていた。


 そりゃあそうか、剣歯虎は集団で狩りを行う生き物なのだから。


 ここでようやく、俺を追っていた虎の一匹が一際大きくえたのは、威嚇などではなく仲間を呼ぶ為であったと知る。


「でもよお、それにしたっていくらなんでも呼びすぎだよ……」


 虎虎虎虎虎虎虎虎虎虎虎虎虎虎虎虎虎虎虎虎虎虎虎――。


 そこには、ざっと数えただけで二十匹以上の猛虎もうこが並んでおり、中には幼い子供や老年の個体もいるようだ。親戚一同大集合かよ。

 でも獰猛どうもうな肉食獣であることに変わりないし、これっぽっちも微笑ほほえましくないけどな。


「……はぁ。もうね、これは流石にお手上げですわ」


 俺は腰が抜けたようにその場にぺたんと座った。

 それから数秒後、獲物が逃げないことを確認した虎の何匹かがゆっくりと俺を取り囲むように近付いてくる。


 そしてタイミングを見計みはからうかの如く俺の周りをグルグルと回り、鼻息を荒くしながらよだれをポタポタと垂らしている。


「……所詮、俺は鶏なのさ。肉食に敵うわけないんだよ……短い鶏生だったな……」


 呟き、俺は静かに目を閉じた。不思議と心はおだやかだった。

 風が木々をざわめかせている音にまぎれて、低く短いうなり声と、地面を蹴る足音が聞こえる。


「……っ」


 ぎゅっと奥歯を噛み締め、覚悟を決めた――その時だった。


「キュォォォォォォオオン!」


 俺が耳にしたのは、金属を引き裂くように甲高く、そして地鳴りのように空間を振動させる音だった。更に一陣の強烈な突風が俺の目の前を駆ける。


「……い、一体何が起きて――っ⁉」


 驚いて目を開けた俺の数メートル先、見上げた空には分厚い雲を背にした巨大で堂々たる体躯たいくが。幾千にも及ぶ漆黒の鱗を身体中に敷き詰めた黒竜が、そこにいた。

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