汝ら此処に入るもの、一切の望みを棄てよ

最終話 おまえに死はない

「コンビニ行ってくるけど、なんか欲しいものとかあるか?」

「んー、ジュースでしょ、ポップコーンでしょ、あとチョコミントでしょー」

「食い過ぎだ。だから太るんだよ」

「食べ過ぎって言うな! 太るって言うな! これはしかたがないの! ほら、さっさと行っちゃえ、バーカ!」

「へいへい」


 すっかり、アクセサリーを着飾ることもなくなった、怒鳴る幼馴染みに手を振って。

 俺はゆっくりと、玄関を出た。


 景井荘。

 あの災禍の中にあってなお、無事だった我が家を振り返り、感傷に浸る。


 もう、十ヶ月近くも前の話だ。


 鞠阿さんが悪魔を打ち倒し、地獄の門が消滅したあと。

 朝日の降り注ぐ廃墟の中で、小春を抱きしめ呆然としていた俺は、駆けつけたセンセーたちによって保護された。


 センセーと海藤さんによれば、車中から俺は突然消滅したらしい。

 ただ、センセーには漠然とした予感があって、天主堂まで車を飛ばしてきてくれたのだとか。


 その場にいるのも問題だろうということで、すぐに脱出し、小春を病院へと連れて行って。

 海藤さんとは、そこで別れた。


 この大惨事を取材しないなんてジャーナリストとして許されないとか、随分らしくもないことを口走っていた。

 事実、彼は復興後すぐに、俺たちとの数日間をまとめた記事――〝永崎ながさき隕石大災害の真実~すべては悪魔の計画だった!?~〟を発表したが、被害者が出ているのにオカルト過ぎると言う理由で、大きなバッシングを喰らっていた。

 それでもめげず、日夜あの日の出来事を調べ上げているらしいので、ブン屋根性は本物なのだろう。


 ……そうだ。驚くべき事に、鴻上町こうがみまちから永崎市内に渡って起きた火災と爆発は、死者を出さなかった。

 たまたま出かけていたとか、なんとなく起きていて避難が間に合ったとか、偶然と呼ぶには奇跡が勝ちすぎる状況。


 勝手な解釈だが、俺は鞠阿まりあさんがいろいろとやってくれたのではないかと考えている。

 もっとも、それを語って聞かせる相手はいない。

 ひとりの例外を除いて。


「もちろん、ぼくは信じるとも。君が見たもの、あの場で起きたこと。すべてを信じる。だって、その方が面白いじゃないか」


 水留みずどめ浄一じょういちは、事のあらましを聞いてすぐ、そう断言して笑ってみせた。

 清々しいほどに、彼の行動原理は知的探究心に立脚していたのだ。


「狗神は、本邦全域で信仰されている。とくに肆国しこくでは盛んだが、北国へと登っていくと急激に数を減らす。なぜだか解るかい? 狗は狐が、苦手だとされているからさ」


 つまり、狗神から始まって悪魔へと至ったにとって、九尾の狐は、もっとも相性の悪い相手だったとセンセーは言うのだ。


「君が相対した悪魔は、この島国で練り上げられていった独自のモノだったのだろう。だから、多くの要素を取り込み、元の全能さからは乖離かいりしてしまった。そうだ、悪魔とは人が捏造ねつぞうした概念に過ぎない。なにより、隠れキリシタンが名前を伝えるは、雷の神にして天狗だとされているね」


 天狗とは、天を翔る狗と書く。

 そう言って、彼は宙に文字を描いてみせた。


「どんな伝承や神話も、語られる国、場所、時が違えば少しずつ変わっていく。土着どちゃくのカミサマだったはずのものが、一神教の神話に取り入れられて悪魔に零落れいらくすることなどよくあるし、逆に悪魔がカミサマとして崇拝されることだってある。今回のように、これまでのようにね。以前にも言っただろう? 文化というのは混じるし、歪むんだ」


 最後の方は、どこか神妙な面持ちで語って。

 そうしてセンセーは、仕事があるからと永崎から去って行った。


 あれからも、ときどきリモートで話をさせてもらったり、いろいろ入り用だったので工面してもらったりと大変お世話になっていたが。


「正直に言えばね、切人くん。ぼくは今回の事件で、一本新作を書いてやろうかと考えていたんだ。しかし――やめたよ」


 あるとき、センセーは付け足すように。

 そして、これこそが最も重要であるという顔で、こうも言った。


「隠れキリシタン、そして悪魔。これらの組み合わせは、軽々に語ってよいものではない。書くことも、伝え残すことも、まして触れることさえ禁忌タブー。だれもよい気持ちにならないことというのは、この世にあるものだからね。だから……つぎは大事なめいと、それについた悪い虫のラブロマンスでも執筆するさ!」


 ――などと。

 そんな具合で、俺と小春を散々冷やかして。

 センセーはいま有言実行で、毛色がまったく違う作品の執筆にいそしんでいるらしい。

 ご祝儀分の仕事はしなきゃいけないからねとは、彼一流の冗句だろうか。


 ……結局、十辰の一家のことは、なにも解らないままだった。

 警察も、永崎大災害のほうで手一杯らしく、俺に事情を聞くこともなかった。

 悪友には墓もなく、行方不明者としていまだ官報かんぽうに名を連ねている。


 俺だけが、あいつの死を知っていて。

 けれど、どんな風にとむらってやるのが正しいのか解らず、持て余していた。


「…………」


 なんとなく思うところがあって、コンビニへは回り道をして向かった。

 途中、ある場所の前を通りかかる。

 土岐洲町ときすまちの幽霊屋敷。

 その姿は、もはやどこにもない。


 随分と距離を隔てていたはずなのに、あの火災によって焼け落ちて、なにもかもが燃えてしまったからだ。


 だから、ここはもう終わっていて。

 因縁いんねんも、呪詛も、なにも残っていないはずで――


「――え?」


 思わず、声が出た。

 焼け落ちた廃屋の中に、緋色をまとう黄金の姿があったからだ。


 斑屋まだらや鞠阿まりあ

 命の恩人が、そこにいた。


「鞠阿さん……?」

「おう。私だぜ」


 ひょいっと、なにごともなかったかのように。

 旧知の友人が、久しぶりにたずねてきたときのような気軽さで手を上げてみせる彼女は。

 ゆっくりとした足取りで、こちらへとやってくる。


 ……なにか、奇妙だった。

 酷い違和感があった。

 背中を、冷たい汗が滑り落ちる。


「……そこで、なにをしてるんだ?」

「なにって、悪魔が残ってたら困るだろう? あれから苦労したんだぜ。全国を回って、の種を探して回ってよ。また甦ってこられたらかなわないからさー」


 言いながら、彼女はむっちりとしたあかい唇を、指先で撫でる。

 べろりと、舌なめずりをする。


「世が逼迫ひっぱくするほど、信仰の種は尽きまじってな。本当、人間ってやつは節操なく、なんにでもすがるぜ。おまえの村の奴らもそうだった」

「村の……?」

「おう、自分たちは死にたくないから、末代キリ番を差し出すって約束でなー。そのくせやしろを消したり、自分たちがなにをまつっているのかすら忘れるお気楽野郎ばっかりで」

「…………」

「あー、ここでなにをしてたかって質問だったのか? それなら、井戸を潰してた」


 井戸。

 死産した赤ん坊が投げ捨てられていたという、井戸。

 呪詛の根源。


「小腹が空いてな。寄り道さ。でも、おまえの方から来てくれて助かったぜ」

「俺に、用事だったのか?」


 訊ねたときには、何故か足が一歩、後ろへと下がっていた。

 嫌な予感が止まない。

 本能が叫んでいる。

 けれど、そんなわけはないと、恩義りせいが押しとどめる。


「ああ」


 黄金の女は。

 口が、耳まで裂けるような笑みを浮かべ。


御身おんみには、天へと昇ってもらわなきゃ、困るからなぁ」


 バッと身を翻し、地を蹴る!

 しかし、なにかが足へとからみつき、転倒してしまう。

 みやれば、伸びたコートの裾が、足首に巻き付いていた。


「百四十四の試練へとち、悪魔の誘惑をも退けた御身には、天へと昇る資格がある。あるいは、こう言い換えてもいい。かつて呪詛で死んだ三千人の子どもたち。今回の災禍で死ぬはずだった四十万市民。なにより――あの日助けてやった小田原小春の死をあがなう責任が、おまえにはあると」


 ポケットの中で携帯が振動する。

 何度も、何度も着信を告げる。

 けれどいま、俺はそれを見ることが出来ない。


 黄金の九尾をしならせる〝罪の女〟が、あまりに艶然えんぜんとしていて。

 縫い止められたように、視線をそらせなくて。


「聖人は死して甦り、天へと召される。おまえが天に昇ることで、子どもたちの罪は許され、へと触れることが出来るだろう。同時に、あの村が続けていた裏切りもゆるされる。なにより――私は〝つがい〟を得て、完全となる」


 思い出す。

 小春が幽霊屋敷で友達の友達から聞いたという話。

 二十六人の幽霊が、変わる変わる家を訪れ『おんみはどこに?』と問い掛ける怪談。

 なによりも、尊敬して止まない怪奇作家の言葉が、脳内でリフレインする。


『言っただろう? 文化というのは混じるし、歪むんだ』


 もし、もしもだ。

 瑞獣ずいじゅうだったものが傾国けいこく淫婦いんぷへと変貌したように。

 聖人としてあったものが、祀られるうちに怪異へと変貌していったのだとしたら?

 おそれられることで、悪神と化したのだとしたら?


「千年近く昔、百四十四の封印を持って、私はつまらない肉の殻へと閉じ込められた。あの村の連中はそれを知りもせずに畏れて、あろうことか生贄を先延ばしにする約束をした。しかし、おまえが自己犠牲を続けてくれたことで――他の怪異と接触することで、徐々に封印はもろくなっていった。有り難かったよ、私という目印しるしの付いたおまえは、とても目立っていたからなぁ。おかげで最早、この身を縛るかせはない。ただひとつ、おまえという聖者と交わした、呪詛やくそくを除いてな」


 それは――

 それは〝悪魔〟と、なにが違うというのだろうか?


 まれ、うとまれ、敬遠されて、封じられ。

 人をたぶらかし、己の願うとおりに世界をねじ曲げ、神のごとき力をふるうもの。

 〝穢れ〟。


 ならば彼女は。

 この、緋色の女は――


「俺は、俺は……!」

「そうだ、反キリ番目私の救世主。おまえに死はない。死など勿体もったいない。私はおまえを気に入った。一度の自死も、愛するものを悲しませないためゆえに不問とする。おまえに死はない。死はないのだ、菱河切人」


 なぜなら。


「御身は私の〝しるし〟を受け、生命の実を口にしたがゆえに」


 金毛白面の狐が。

 本邦すべての怪異のみなもととされる大化生だいけしょうが。 

 大顎おおあごを、開いてわらった。


「さあ、わたしとひとつになって、天へと昇ろうぜ切人。子孫も残して思い残すことはないだろう? 次は私だ。おまえは――私の〝つがいモノ〟だ!」

「――――」


 ずっとそうだった。

 誰ひとりとして、真実など語っていなかった。

 皆思い思いに、都合のいいことを信じていただけだった。


 村の連中は愚かだった。

 自分がなにを祀っているのか、犬辺野となにも変わらないことすら、知らなかった。

 そして、俺も愚かだった。

 自分の信じた神が、何者かも解らないまますがっていたのだから。


「――嗚呼」


 だから、こんなところで、つじつま合わせがやってくる。

 を、理解した気になっていたから。


「これが――〝鵺〟か――」


 なまぐさい吐息とともに、大顎アギトが俺へと覆い被さり。

 空が閉じて。

 肉と牙がこの肉を噛みしめる。


 そして。

 そして菱河切人は――



§§



「――あんめい・ててれすたいごちそうさん


 そうして。

 かつてマグダラのマリアを名乗り、辺境にて〝荒神〟として祀られていた女は、そっと手を合わせてみせた。

 口元から滴る赤い汁をべろりと舐め取り、それから思いだしたようになにかを吐き出す。

 一台の携帯。

 それは地面に落ちて、画面が割れた。


 黄金の女は、はらを大切そうにさすりながら、ゆっくりとその場より歩み去って行く。


 ぴちゃん。


 いびつに歪んだ口元から、赤い雫命だったモノがまた、したたり落ちた。


 あとには儚く痙攣ちゃくしんを続ける携帯だけが残り。

 画面には、いくつも、いくつも。

 小田原小春が。

 菱河切人あいするものの帰りが遅いことを案じて送るメッセージが、浮かんでは消えていくのだった。


 いつまでも。

 いつまでも。


 緋色の黄金が、立ち去るまで――





鵺のつがい ~その呪詛はどこから感染をはじめたのか~ 終

What if you were to be paired with an unidentified entity. ~Which was better, the devil or the nine-tailed fox?~ 了









◇◇◇


最後まで御覧頂きありがとうございます!

ここまでお読みになって、もしも言い知れない〝なにか〟を感じて頂けたのでしたら、下の方にあります『☆☆☆』を『★★★』として頂けると大変嬉しく思います。

作者は飛び跳ねて喜びますので、どうぞよしなに。

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鵺のつがい ~その呪詛はどこから感染をはじめたのか~ 雪車町地蔵 @aoi-ringo

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