第三話 海を渡る神と信仰

「文化というのは、相応そうおうの苦難とともに海を渡るものだ。船旅の危険性はもちろん、現地の人々に受け入れれるとも限らない。迫害されるかも知れない。それは人だけでなく、宗教や習俗しゅうぞくだって同じことだ。たとえば、豆まきというものがあるね。あれも、本来は厄除けとして大陸から渡ってきたもので、たまたまこの国の文化に溶け込んだ」


 それは解る。

 南蛮渡来の代物とか、ハロウィンとか、クリスマスとか、全部日本の外からやってきたものだ。

 解る、解らないわけがない。


 けど、狗神憑いぬがみづきが、神様が海を越えてきたって……そんなこと、あり得るのかよ。


「君の地元でいえば、既に二つのものが海を越えている。ひとつは殺生石せっしょうせきだ」

「……火山性ガスを出す岩のこと、だよな?」

「それは違うよ、きりたん」


 小春が、たまりかねたように口を挟んできた。

 どうやら彼女も、知識を披露したくて我慢がならなかったらしい。


「殺生石ってのは、大昔、日本へとやってきた大妖怪、〝九尾きゅうびきつね〟が討ち滅ぼされたすえに、人を祟って毒をばら撒くようになったものなんだよ。本邦における全ての妖怪や怪異は、この九尾の狐の死骸むくろから生じたモノだとする説もあるんだから」


 九尾の狐ってのは、なんだ?


白面金毛はくめんきんもう九尾の狐。この世の初め、世界がまだ太極たいきょくだった頃、陰陽いんようのうち、いんから生じた大化生だいけしょうが、この怪異だとされているね。大陸が殷王朝いんおうちょうを破滅に導いた妲己だっき天竺てんじく華陽婦人かようふじん、そして――鳥羽上皇とばじょうこう寵姫ちょうきであった玉藻たまもまえ。これら絶世の美女、傾国けいこくの妖女に変化して、いくつもの国にわざわいを与えてきたのが九尾の狐だ。これは人を導くもの、その可能性があるものをたぶらかし、民草を食い物として、時に玩具おもちゃのように殺してもてあそぶ。紀元前十一世紀頃大陸の殷にて妲己に、紀元前四世紀頃は天竺で華陽婦人に、そして紀元千二百年頃日本に来て玉藻の前となり、為政者いせいしゃたちを破滅に導いた――とされている」


 センセーの説明はわかりやすかったが、幾つか引っかかるところもあった。


「白面ってのは、なんですか?」

「顔が白く、毛並みは金色――あるいは赤で、九本の尻尾があったことから、白面金毛九尾の狐と呼ばれている。けれど、本来九尾の狐は瑞獣ずいじゅう。幸福を運ぶ精霊なんだ。一説によると、その血肉を食べたものは蠱毒こどく――呪詛じゅそを払い除け長寿を得るともされているね」


 それが、どうして悪いやつに?


「玉藻の前が、時の権力者をそそのかす悪女として描かれていたからだね。それと大陸の妲己――封神演義ほうしんえんぎに登場する妖怪が混じって、金毛白面九尾の狐という物語が生まれた。そう、文化というのは混じるし、歪むんだ」

「…………」

「君に身近な渡来とらい文化が、もうひとつある。切支丹きりしたんだ」

「あ」


 思わず、声が出た。

 そうだ。

 仏教も儒教じゅきょうもそうだけど、キリスト教だって、外から入ってきたものじゃないか。

 海を越えて、神がやってきたと言えるんじゃないか?


「解ってくれたようだね。とくにこの都市、永崎ではいくつもの受難の歴史があった。切支丹であることは隠さねばならず、やがて隠れキリシタンが生まれた。彼らは当時の権力者から大変に残酷な仕打ちを受けたわけだが……いや、いまはいい。話を戻そう」


 一つ息を吐いて、センセーは仕切り直す。


「隠れキリシタンが口伝くでん経典きょうてんとして用いた、〝天地始之事てんちはじまりのこと〟というものがある。彼らは形ある信仰の証しを身につけることが許されなかった。だから、口伝にて教義を伝えていった。しかし、結論からいえば、〝天地始之事〟は、本来のキリスト教と異なる解釈、特有の派生を生むことになった。いろんな国の言語が混ざったりしてね。たとえば、知恵の実というのがあるだろう。楽園で蛇にそそのかされたイブが口にしたという、伝説の果実。生命の実に対する知恵の実。あれは、〝天地始之事〟ではこう呼ばれているんだ」


 即ち。


「〝まさんの実〟とね」



§§



「つ、つまり」


 俺は、興奮とも恐怖ともつかない感情が、腹の奥底からあふれてくるのに任せて、どもりながらも結論を吐き出した。


狗神いぬがみは、隠れキリシタンが信仰していた〝神〟が変貌へんぼうしたもの、ってことか?」

「違う」


 しかし、それは一刀のもとに斬り捨てられてしまう。

 センセーの眼差しは、どこまでも真剣で、そして危機感に揺れていた。


「たしかに、状況はそれを示している。しかし違う。二十六聖人や拷問石という歴史が証明するように、彼らは解釈が異なったとはいえ、敬虔けいけんに〝神〟を信仰し続けていた。小春ちゃんが語ってくれた怪談、二十六人の七人ミサキ。この話を聞いたとき、ぼくはミサキが狗神を表す言葉だと言った」


 そうだ、ミサキと狗神。

 二十六人の亡霊と、二十六人の聖人。

 同じものなんじゃないのか?


「違う」


 しかし、先生は強固に否定を繰り返す。


「あるいは根っこは同じなのかも知れない。だとしても、これは同根異花どうこんいかだ。隠れキリシタンも、あるいは潜伏キリシタンも、今回の件とは無関係だとぼくは断言できる。彼らは清貧せいひんにして潔白けっぱくだ。だが、狗神――〝ぬえ〟は違う。もっと初めから、ずっとおぞましい形で崇拝されていたものなのだから」


 神と同等の格を有し。

 人にあだをなす、災禍さいかの化身。


「神が零落れいらくすることなど、洋の東西を問わずよくあることだ。日本では水の神がちて河童になったという説もある。キリスト教とて、地方の最高神を、神ではない形で教義の中に取り入れたことがあった。同じように、初めは神であったものが〝妖怪〟となったということもあるだろう。だが、鵺は違う。日本に適応したのは間違いないが、根本は変わっていない。だからこそ、ぼくらには。文化が違う。それを噛み砕く消化酵素がない。鵺とは、そのそれなんだ。つまり、おそらく――」


「話を戻しますがね」


 いつの間にかくわえ煙草をして、黙ってこちらの様子をうかがっていた海藤さんが。

 おもむろに口を開いた。


「わたしはただのゴシップ誌のライターなんで、妖怪がどうのこうのなんて話にゃ興味がないんですが。どうやら来歴の話をしてらっしゃる、というのはわかりやす」


 だから。


「隠すもんでもありやせんし、わたしも腹を割って話しましょう。こいつは特ダネなんですが……」


 無精髭ぶしょうひげの生えた、世を斜に構えたような雑誌記者は。

 口元を卑屈に歪ませて、告げた。


「犬辺野が、どこからやってきたか――お三方は、興味がありませんかい? 報酬次第では、お話しますぜ?」

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