第二話 犬辺野家はどこからやってきたのか?

「へっへっへ。まさか怪奇文学界のお偉いセンセーが、わたしみたいなカストリ雑誌のライターと話がしたいなんて、まさしくえんなものあじなものですかい?」

「慣用句の誤謬ごびゅうはともかく、顔を合わせるのは初めてだね。よろしく、海藤かいどう俊樹としきさん。ぼくが水留浄一。たいして偉い人間ではないよ。それで、こっちの二人が」

「……ああ、幽霊屋敷に入った青年と、そのお友達ってやつですか。しかし、聞いてた話だと男女連れになってましたが、まさかこんな別嬪べっぴんのお嬢さん二人とは」

「別嬪なんて」


 まんざらでもなさそうに身をくねらせてみせる小春と、面白くない俺。


「男です、俺は。女じゃない」

「おっと、こいつはすいやせんねぇ。しかし、あんたがたも難儀なんぎでしたねぇ」


 よほどろくでもない星廻ほしまわりのもとに生まれたらしいと言って、彼はケラケラと笑った。

 場所は、センセーが借りているホテルの一室。

 この場に酒があったのなら、俺はやけ酒を、海藤さんは上機嫌で美酒をあおっていただろう。

 そのくらい、彼の笑みは卑屈ひくつしゃに構えているのだった。


「おっと、そうにらみなさんな。わたしが悪かったですとも。それで、水留先生様は、なんの話を聞きたいんでしたっけねぇ?」

土岐洲町ときすまちの幽霊屋敷。そして、犬辺野家いぬべのいえ。とくに、あなたが取材された開かずの踏切へ飛び込んだ女性について、おうかがいしたいと思ってね」

「幽霊屋敷、ね……ありゃあ、〝願いを叶える家〟ですよ」

「なんだって……?」


 思わずといった様子で、センセーが訊ね返す。

 すると海藤さんは口の片端だけを引きつらせるように笑い、続けた。


「そういうホラ話、ホラー話? が一時期流行はやりましてねぇ。めちゃくちゃな数の人間が、あの屋敷を訪ねていったんですよ。そこに行けば、願いが叶うってんで。ところが、帰ってくる人間は少なかった。大半が蒸発しちまう。いえ、結局は戻ってくるんですがね」


 蒸発するんじゃあ、警察沙汰になるはずでは?

 そんな俺の疑問を、海藤さんは先読みして潰した。


「ええ、戻ってくるでさ。しかし、人が変わったようになっちまう。温厚おんこうだった人間が、周囲に当たり散らすようになったり。社交的なものが、部屋に閉じこもるようになったり。まるで、ナニカに取り憑かれたように、人が変わる。しばらくすると、音信不通になって、今度こそ失踪しちまう」

「それって……」


 小春が、俺たちを見た。

 そうだ、知っている。他ならない彼女が持ってきた話だ。

 幽霊屋敷に行くと、知らない誰かになってしまう。

 ここでも、話が繋がっている。

 俺へと相談を持ってきた後輩どもが口にした、楠木くすのきなにがしの話とも近い。


「願いを叶える家。じゃあ、誰の願いを叶えるかってのがでして……そいつが、犬辺野家に繋がってやすね」


 そこで、海藤さんは自前のペットボトルから、水を一口飲んだ。

 そうやって舌先を湿らせて、続ける。


「最初にはっきりさせておきましょう。踏切に飛び込んだ女の旧姓は、犬辺野久埜くの。お察しの通り、犬辺野家の末裔まつえいです。彼女は存命で、いまの名前を嵯峨根さがね久埜と言います」


 ……覚悟はしていた。

 センセーが教えてくれていたからだ。

 しかし面と向かってその話を聞くと、心が痛む。

 つまり、嵯峨根久埜とは。


「彼女には息子がひとり。名前は十辰とか」


 悪友ともだちの、母親なのだ。

 あの、あまのじゃくな男の母親は、犬辺野の一族だったのだ。


「わたしは、長いことのこの〝犬辺野家〟を追いかけてましてね。え? いやぁ、観光地永崎なんていったところで、ゴシップ誌は面白おかしいことを書かなきゃおまんま食い上げだ。そこで目をつけたのが、戦後からこの街に居着き、占い師や呪術師まがいの胡散臭うさんくさい商売で食ってきたという犬辺野家でした」


 もっとも、胡散臭いといえばわたしも相当でしょうがねと、彼は小狡こずるそうに笑ってみせる。


「さて、いま述べたとおり、犬辺野家は呪術師まがいのことをして食っていた。初めは真っ当に拝み屋をやっていたらしいんですがね、時代が降るごとにその手のオカルトを信じる輩は減りまして、嵯峨根久埜――彼女の代になると、もうほとんど頼ってくる相手はいやせんでした。なにせ実家はあの有様で、寄りつけない。母親――八千代やちよが自殺する前に権利を手放してましたからね。久埜には夫がいたはずですが、彼女の素性を知るとどこへなりとも去って行ったそうですよ。それで、あの事件が起きた」


 開かずの踏切への、投身自殺未遂。


「十二年前の当時、いろいろわたしも調べました……彼女は収容された先の病院で、随分ずいぶんわめいていましたからねぇ。自分は神の子どもを身籠みごもっているとか、しかしそれが恐ろしくて死のうとしたとか。天使が助けてくれたのだ、とか。まあ、支離滅裂で。〝門〟が降りてきて口の中に入ったってのは、極めつけでしたが」


 海藤さんの言うとおり、普段なら俺も、意味の通らない言動だと思ったに違いない。

 けれど、センセーが口にした言葉が脳裏をよぎる。

 犬辺野家は憑き物筋だ。けれど、まつっているのは狗神ではないと。

 では、なんだというのか。

 ここまでの狂気を帯びながら、彼らが信仰していたものとは?


「センセー、そのおなかの子どもって」

「ああ、珠々じゅじゅちゃんだったかな? 年齢的に間違いあるまい。けれど……海藤さん。その赤ん坊は、無事に生まれたのかな?」

「まさか」


 彼は驚いたように眉を跳ね上げ、わざとらしく両手まであげて見せる。


「子どもは、死産しましたよ。以来、彼女は余計におかしくなって、神経過敏。とうとうわたしのことにも――どうやってか感づいたらしく、取材を打ち切るしかなかったってのが顛末てんまつでして」

「……久埜さんが実家に近づいたことは?」

「――ありやすね。一度だけ。そう、あれはちょうど赤ん坊を死産したあとで……まさか?」


 怪訝そうに、海藤さんがこちらを見る。

 俺たちは、うなずきを返した。

 ここまで来れば、それ以外考えられなかったからだ。


 珠々ちゃんの遺体は、あの屋敷に埋められたのだ。


「これでようやく解った。埋める――すなわち土葬だよ。この町では身近に感じるものの方が多い」


 まんじゅう、というものがある。

 大昔、火葬が出来なかった人が埋められたお墓のことだ。

 そうして、この火葬が出来ない理由は、ときに宗教的なものであったりする。


碓氷うすいなにがしが読み上げたという呪文。そして土葬という文化。憑き物筋。すべてが繋がった」


 センセーは。

 四角い顎を頻りに撫でながら。

 ほとんど確信に満ちた推論を、口にした。


「犬辺野家に憑いているものは、狗神なんてものじゃない。もっと尋常を超えたモノ。おそらくは大陸から渡ってきた――〝一神教いっしんきょうの神〟そのものだ」

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