第三章 水の音の正体

第一話 幽霊屋敷が出来る前にあったもの

 幽霊屋敷の正体を調べる。

 ……とはいったものの、正直なところ、俺は乗り気じゃなかった。


 君子くんしあやうきに近寄らず。

 臭いものにはふたをする。


 どうして自ら、恐いものの方へ行かなきゃいけないんだという思いが強くあったのだ。


 御朱印帳ごしゅいんちょうの、残りのページ数は少ない。四枚だ。

 これがなんなのか、本当のところはよくわかっていない。

 ただ、漠然と〝カウントダウン〟なのだろう感じていた。

 すべての御朱印が燃え尽きたとき。

 きっと俺の身に、よくないことが起きるのだと。


 だからこそ、小春や十辰、尊敬するセンセーとも距離を取って、俺は数日を過ごした。

 普通に朝起きて、普通に大学へ行き、普通に帰ってきて、普通に夕飯を食う。

 家に入るときは身体に塩をいて、十辰から買い取った除霊カーペットで足をぬぐい。

 そうして、今日も風呂へ入る。


 シャンプーを手に取り、頭を洗う。

 小さい頃から、この時間が恐ろしくてたまらなかった。

 裸で、背中を無防備さらして、目まで閉じるのは隙だらけだし。

 なにより、嫌な話をたくさん聞かされたからだ。


 怖がりだというだけで、友達はわざわざ奇っ怪な話を持ち寄って、俺のリアクションを見たがった。

 それだけならばまだ許せるが、俺は自分からも恐いものに触れてしまうのだ。


 ウイルスに対する抗体こうたいというか、予防策や対抗策を知るために。

 あるいは、物語の結末を知って、「ああ、たいしたことなかったな」と安堵するために。

 わざわざ、自分が知らなくてもいいことを調べてしまう。

 思えば、そんな性質を知っていたからこそ、あの幼馴染みは先回りして話をしてくれていたのかも知れない。


 しかし、そんな自分を許しがたいと思うとき瞬間が、月に数度はやってくる。

 いまが、まさにそのときだった。


 背後から、突き刺さるような視線を感じていた。


 視線ではないとするならば、存在感、だろうか。

 ぼんやりと、背後に何者かが立っている気がするのだ。

 無論、振り返れない。

 恐ろしくて手足がいうことを利かない。


 脳裏へ浮かぶのは、小さい頃に聞いた話。


 曰く、頭を洗っているとき、目を閉じてはいけないよ。

 その姿が、まるで〝だるまさんがころんだ〟をしているようで、寂しがっている幽霊を呼び寄せてしまうから――


「――――ッ」


 怖い。

 叫びだしてしまいそうなほど怖い。

 近づいてくる。

 首筋に、温かな吐息がかかる。

 耳元に寄せられる顔。

 両の頬へ、冷たい手が包み込むように伸ばされて――


『〝まさん〟を食べて』


 二の腕から背中まで、ブワリと鳥肌がたった。

 悲鳴を上げながら、背後を振り返ると――ほんの一瞬、赤い少女が見えた――ような気がした。

 が、目にシャンプーが入って、反射的に閉じてしまう。


 無理矢理にまぶたを開いたとき、もうそこには……誰もいなかった。


「……クソが!」


 毒づき、壁を殴る。

 逃げられないのだと。

 俺は、さとった。



§§



「きりたん、いいの?」

「ああ、俺も手伝う。ちょっとばかし、訳ありでな」


 数日ぶりに大学で顔を合わせると、小春がやけに心配してきた。

 俺が随分ずいぶんとやつれて、目の下にクマができているからだろう。

 自分でも解っている。


「……つらいなら、あたしたちだけで――もが?」

「お節介焼くんじゃねーよ。らしくもない」


 彼女の口に、最近通販で取り寄せた除霊まんじゅうを押し込む。

 まんじゅうと格闘する悪友に、「これもあるしな」と魔鏡を取りだしてみせれば、彼女は目を丸くして。


「ま、身だしなみを整えるのに鏡は必要だ。おまえみたいな、装飾過多はいただけねーけど」

「む、クリスマスツリーって言うな! イルミネーションて言うな! そこまでごちゃついてないもん!」

「言ってねーだろうが!」

「うむ! 夫婦漫才が復活したようでなによりだ! 犬も食わないがな!」


 などと、十辰が空気を読まない言葉をぶちまけ、小春に殴られる。

 ……よし。いつもどおりだ。

 まだ、俺は正気を失っちゃいない。


「そいで? なにからやってくんだ」

「うん。まずはね、幽霊屋敷の立地を調べることにしたんだ」

「立地を?」


 まんじゅうを食べ終えた小春が、指を立てる。

 さながら女教師といった風情だが、残念なことに威厳いげんとタッパが足りない。


「小さいって言うな! 威厳がないとか言うな!」

「ないだろうがよ」

「ないけどさー」

「はっはっは」


 二度目のお約束。

 ぶー垂れる彼女の代わりに、気持ちのいい笑い声をあげながら十辰が説明を引き継いでくれた。


「いまは法務局へ、ネットで登記事項証明書の発行を求めているところだ」


 ……と、とうき……え?


「登記事項証明書。昔風に言うなら、登記簿謄本とうほんの写し。要は、この土地の権利者が誰か、どういった移り変わりをしてきたか、という記録だな」


 ほーん。

 持ち主が解れば、直接聞けばいいってことか。

 賢いな。


「費用は水留先生の持ち出しだ。一杯に使っていく。だが、書類が届くまで時間がかかる。なので自分たちは」

「うん、古くから幽霊屋敷の近くに住んでる人たちと、話をしてきたってわけ。で、一つ興味深いことが解ったの」


 機嫌を直したらしい小春が、神妙な顔つきで告げた。


「あのお屋敷――井戸の上に、立っているんだって」



§§



「郷土資料館で町並みの記録――【土岐洲ときすの年代記】を閲覧えつらんさせてもらって、裏付けを取ってきたよ」


 夜、再び俺の家に集まった一堂は、センセーとの通話に挑んでいた。

 この数日で調べ上げた、情報のすりあわせが目的だ。

 小春が、携帯のメモアプリを開きながら続ける。


「結論、幽霊屋敷が建つ前には、井戸があった。で、この井戸は戦前からあったものらしいんだけど、戦後のゴタゴタでおはらいも〝息抜き〟もせずに埋めちゃったんだって」


 息抜きってのは、なんだ?


『ぼくが説明しようか。井戸というのは、神聖なものだ。生活に根ざしているし、中には神様がいると信じられていた。そんな井戸を埋めるとなれば、神様たちが呼吸をするための穴が必要になる。だから竹筒などをいれてから、埋めるんだよ。これをしないと祟りが出るとか、火にまつわる事故が起きるなんて話もある』


 それと、お屋敷のオバケに、なんの関わりがあるのか、いまいちピンとこない。

 十辰を見遣ると、彼も曖昧に笑っていた。

 一方で小春は難しい顔つきをしており。


「あたし、お屋敷の周りに住んでいるおじいちゃんおばあちゃんに、片っ端から話を聞いて回ったんだよね。大学のレポートで必要だからって」


 ときどき、おまえって大胆な嘘を吐くよな。

 学生生活課に知られてみろ、今度こそ処罰しょばつされるぞ。


「そのときは、そのときだって。で、解ったことが一つ。あのお屋敷では、やっぱり惨殺ざんさつ事件とかは起きてなかった」

「なにもなかったってことか?」

「ううん」


 彼女は、ゆっくりと首を横に振った。


「一族全員、病死してた」

「――――」

「あるときから、全員気が触れたようになったって。話を聞いたおばあちゃんによると、その一家は宗教家さんだったらしくて。急に痩せ細って、バタバタと倒れていったとか。だから、空き家になっちゃって。あ、でも末っ子だけが生き残ったって話もあったっけな。小さい女の子が、余所よそにもらわれていったとか」

「そ、れは」


 赤い靴という、怖い童謡じゃないのか?

 赤い靴を履いた女の子が、異人さんに連れて行かれて戻ってこない、人買いの歌だとか言われているあれ。


「違うと思うけど。だってそれは嘘っぱちだし……それでね、住んでいたのは犬辺野いぬべのって名字の人たちで、戦後に越してきたらしいんだけど……最後の方は話が通じなかったって、おばちゃんたちは言ってた。赤ちゃんの声が聞こえるとか、自分が自分でなくなるとか、地獄に落ちるとか。それが恐ろしくて、大きなカミサマにすがっているんだって」


 待て。

 待てよ。

 いやだ、なにか酷く嫌な手触りがした。


 赤ちゃんの声……自分が自分でなくなる……


『小春ちゃんが聞いてきた話に、少し似ているね。肝試しにお屋敷へ入ったら、自分以外のメンバーが入れ替わってしまったという話。それに、切人くんも確認したとおり、この屋敷には祭壇のようなものがあるのだろう? 確からしいと言えるのではないかな』


 なら、あのとき俺が聞いた、水の音は。

 水滴の落ちる音色は。


『井戸が、鳴ったんじゃないかな?』


 センセーの言葉に。

 俺は、両手で顔を覆った。

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