水留浄一と菱河切人による、ある日の対話

第閑話 なんだかわからないもの

『得体の知れないものを、ぼくらは〝ぬえ〟と呼ぶ』


 稼ぎのいいアルバイトを探していたころ。

 いまいち業態の知れない会社を見つけて、センセーに相談したことがある。

 返ってきたのは、実に奇妙な言葉だった。


 ぬえ?


『猿の顔に、たぬきの胴体。虎の手足を持ち、尾は蛇。胴体は狸じゃなくて、犬といのしし混ざり物ハイブリッド、なんて説もある妖怪だ』


 なんというか、よくわからないやつだな。


『そう、なんだか解らない、得体えたいが知れない。転じて、なにをやっているか解らない組織や人を指して、〝鵺〟という隠語を使うことがあるんだ』


 なるほど。

 俺がいま面接を受けようとしている会社は、鵺であると。

 うん、怪談は怖いけれど。

 こういうのは、面白い。


『オカルトに興味を持ってもらえたのは、嬉しい誤算だね。さて、この鵺には、いろいろな逸話がある。何せよくわからないものの代名詞だからね、めちゃくちゃある。中でも有名なものが、雷獣だろうか』


 霊獣れいじゅう


『違う。雷獣らいじゅうだ。雷の獣と書く。雷が降ると言うだろう? これは、空から雷獣が落っこちて、その形跡が稲光と轟音になるのだとされていた。そして、雷獣と鵺は同一視されている』


 それは、つまり。


『うん。落雷が起きた場所には、鵺がいるというわけだ。そうして、雷獣はまた、空に昇る。このときも雷が起きる。人々は天然自然というに、妖怪という概念を見いだしていたわけだ』


 なるほど、確かに面白い。

 けれど、これはちっとも就職に役立たないのでは?

 などと疑念をぶつけると、センセーはカラカラと笑い。


『それはそうだ』


 と、素直に認めた。

 おいおい。


『しかし、そんな役に立たないようなところで働いても仕方がない、ということさ。学生生活科があるだろう? そこを介した仕事は比較的安全で真っ当だ。ゼミに上がったら教授に掛け合ってみてもいい。苦学生にだけ紹介されるゼミの仕事というのもある。どうしてもとなれば、ぼくが斡旋あっせんしてあげよう。ほら――君が漠然と考えていたもの、アルバイトとは、こんなにもいろんなものから構成されているんだ。鵺なんだよ、物事というのは、基本的にね』

「…………」

『それで、鵺といえば、もっと興味深い話がある。これは以前から追いかけているテーマなのだけど、狗神憑いぬがみつきの話だ。古い時代の、集落における拝み屋や、漂白ひょうはくの民であった民間の呪術者。彼らが居着いた先で、信頼と生活の糧を手に入れるため行う呪詛を、穢れとして忌み嫌い、押し込めたものが憑き物筋だ。このときに起こる被差別民的な被害を、彼らは自らの血に取り憑いた〝なんらか〟の所為にした。この取り憑いたものは多岐たきにわたり、牛蒡ごぼうから狗、中には座敷童子ざしきわらしや狐もいる。そうしてこれらはすべて、古の時代退治されたぬえが引き裂かれたときに生じたものではないかと考えられていて――』


 俺はそのあたりで、話を聞き流すことに決めた。

 聞いても解らないし、それこそ水留浄一という知識の詰まった箱が、鵺のように思えたからだ。

 彼の長広舌ちょうこうぜつは一時間近く続き、俺は辟易へきえきとすることとなった。


 それでも、こんなにも親身になってくれる先生のことを。


 俺はいまも、ずっと尊敬している――

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