第二話 井戸の真実

 犬の遠吠えが聞こえる。

 最近はやけに騒がしい。を探しているのだろうか。そんなことを思う。

 視線を戻す。


 目の前には〝井戸〟があった。


 土になかもれた、石造りの井戸。

 蓋は固く閉ざされており、どこにも隙間は無い。


 俺の手は泥だらけで、スコップが握られていた。

 井戸を掘り返したのだという実感がなく。

 ただびっしょりと、汗を掻いていることにいまさら気がつく。

 スコップを投げ捨て、バールを取り出す。


 井戸と蓋の間に差し込み、満身の力を込めた。

 ずるり、ずるりと蓋が滑り落ち――なまぐさい臭気が、立ち上る。


 すみを流し込んだような水面みなも

 無明の闇。

 どこまでも落ちていくような、奈落がそこにはあった。


 井戸は、埋め立てられてなどいなかったのだ。

 黒々とした穴の縁に手を掛け、のぞき込んで。


 刹那、無数のぶよぶよとしたが伸び、俺の全身を掴んだ。


 悲鳴を上げるが、もはや遅い。

 うらみを叩きつけるように、死しても呪いを放つように、腕は俺の全身にからみつき。

 そのまま俺を。

 井戸の中へと引きずり込んで。


『〝まさん〟を食べて』


 赤ん坊の、泣き声が聞こえて――



§§



「――ッ」


 悲鳴を上げながら跳ね起きた。

 自宅のベットの上だ。


「……夢」


 どうやら、悪い夢を見ていたらしい。

 べったりと脂汗あぶらあせを掻いた顔を、手で拭う。

 顔を洗おうとして、違和感に気がついた。

 手には、黒く短い、体毛のようなものが数本、くっ付いていた。


「きりたん、おっはー……って、顔色が酷すぎるよ」

「わりぃ」


 待ち合わせの場所である駅前に行くと、小春が顔をしかめた。

 体調が悪いことは自覚していた。

 悪夢の所為せいだろう。


「そんなんで、大丈夫なの? 今日は権利者さんから話、聞くんだよ?」

「大丈夫だろう。なにせ――」


「――やあ。待たせてしまったかな?」


 駅の改札を抜けて、和服を着こなした壮年の男性が歩んでくる。

 一目で上等とわかる和服を着こなし、ホームベースのような顔に、撫でつけた髪が特徴的な男性。


 水留浄一センセーが。

 じつに場慣れした様子で、合流してくれた。



§§



「こちらも困っているんですよね……あ、これが当時の写真です」


 現在、あの土地を管理していたのは、駿河するがという男性だった。

 彼は訪ねてきた俺たちを快く家へと上げてくれた。


犬辺野いぬべのの家と我が家は、一時期懇意こんいにしていまして、その関係でいまも土地の管理をしているのですが……いやはや」


 苦渋の勝ちすぎた顔で、彼は微笑む。

 やけに協力的で、どうやら積もり積もった話を、誰かにしたかったらしい。


「こちらをどうぞ」


 お茶と一緒に差し出されたのは、家屋の写真。

 随分と様変わりしているとはいえ、間違いなく在りし日の幽霊屋敷がそこには映っていた。

 また、屋敷の前には、六人の老若男女が立っている。


「犬辺野毅六きろくと、その家族です。この老人が毅六氏。あの家の最初の持ち主です。正確にいうと、戦後になって移り住んできたとか」

「どこの出身だったとかは、解らないですか?」


 センセーの問い掛けに、駿河さんはゆっくりとかぶりを振った。


「残念ながら。お偉い先生の取材ですから、お話しできることはすべて話したいのですが……」

「いえ、お気になさらず。それで、この土地についてなんですが」

「はい、もう少し古い写真もあります」


 次に出てきたのは、白黒写真だった。

 以前、小春が見つけてきた写真よりも、もっと古いもので、そこには、いまよりもずっと小さい掘っ立て小屋のような家屋と。


「切人くん、井戸だ」

「…………」


 確かに、井戸が映っていた。

 つるべ式の、どこにでもあるような井戸だ。

 けれど、なにか違和感がある。


「それ、心霊写真なんですよ」


 駿河さんが苦笑しながら、井戸を中心にして、写真の一部を指でなぞって見せた。


「ここ、顔に見えませんか?」


 言われてみれば、井戸の上にはモヤがかかっており。

 そのモヤが、ナニカの形を取っているようにも見える。

 顔。

 いや、顔と言うよりは、もっと細長い――


「怪奇作家の先生と聞いておりましたので、お喜びになるかなぁと。ちなみにこの古い方の家は、のちに落雷にって火事を起こし、いまの形に立て替えられました」

「助かります。あとでお礼をさせていただきますね」

「あははは……しかし、あながち笑ってもいられないのです。この犬辺野一家、どうにも面倒なかたでして」

「ほう?」


 先生が身を乗り出す。

 駿河さんも顔を寄せ、声を潜めて続ける。


「なにか、恐ろしい宗教に傾倒していたようなのです」

「宗教?」

「この街にやってきたとき、〝なにか〟を連れてきたそうなんです。それで、床下に飼って、屋内には祭壇さいだんを作って、その〝なにか〟をまつっていた。いえね、そこまでなら……個人の自由ってやつですか? 問題なかったんですが……」

「なんです?」

「それが、井戸に……」


 言いよどむ駿河さんに、「あ、忘れていましたが」と、センセーが抱えていた菓子折りを手渡す。

 そのときセンセーは、懐から取りだした封筒を、スッと菓子折りに挟んだ。


「これ、よかったら」

「…………」

「それで。井戸に、犬辺野一家はなにを?」

「……おおっぴらには、言えないんですがね……捨てていたそうなんですよ」


 だから、なにを。


「流産した、赤ん坊を、です」



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