迷走する男
人里離れた陰鬱とした深い森、世界から切り離されたそこにヴェザネウス・アルヴァンスの館はあった。都心部より一回り温度が下がったように感じるそこでの家宅捜索は、比較的温暖な地方の出身である俺には少々厳しく、「引き上げるぞ」というチーフの一声に大いに救われた。いそいそと森を抜け署に戻るため車に乗り込む。大きな体躯を極力小さく丸めひょこひょこ歩く様は、はたから見るとさぞ滑稽に映っていることだろう。事実、同僚達の抑えきれていない低い笑いが耳につく。寒いものは仕方ないだろう、と口をへの字に結び、乗り込んだ愛車の運転席側の扉を手荒く閉めた。
「君、本当に寒いのダメなんだね」
くつくつと笑いながら助手席に一人の男が乗り込む。屈強で強面な野郎が多い俺達の署では珍しい、もやしみたいにひょろひょろしたコイツは、俺とバディを組んでいるシオン・クラーク。今回の事件は様々な点から異常性が指摘された。その為、署お抱えの研究所から連れてこられた心理研究者である。
「うるせ。お前だって気温が上がるとすぐへばる癖に」
車のキーを挿しエンジンをふかしながら返す。コイツとはプライベートで飯を食いに行くぐらいには交流があるため、軽口の応酬なんてのもよくあることだ。
「確かにね」
ひょいと肩をすくめながら笑うシオン。俺も俺でふんと鼻を鳴らしてアクセルを踏み込んだ。
*
「彼の書斎でね、面白いものを見つけたんだ」
流れ変わっていく景色を眺めていたはずのシオンが急に口を開いた。
「面白いもの?」
「うん。日記とね、レポート」
運転に集中しなければならないと思いつつも彼の言葉に耳を傾けた。都心部へと繋がる大きな道には、俺達警察の車以外走っていないので多少は気を抜いても大丈夫か、なんて警察にあるまじきことをぼんやり考えながら。
「テオ君は加害者だけど同時に被害者でもあった」
「彼はヴェザネウス氏によって作り出された一種の人格」
「今回の事件の真の意味での犯人はヴェザネウス氏だろう」
「彼は非人道的でいろいろと難ありな人物だけど、会って一度話してみたかった」
周囲を眼中になくしただひたすらに話し続ける友人。何度かこの状態の彼を目にしたことがあるが、恍惚とした表情でまくしたてる様はなかなかに迫力がある。シオンのその端正な顔のつくりも相まって余計に。正直、恐怖すら覚えることもあるぐらいだ。今もハンドルを握る手はしっとりと汗ばみ、背中にはひんやりとした雫がしたたり落ちて行っている。
どれくらいそうしていただろうか。シオンの声は未だにマシンガンのように耳に届いているが、視界に映る景色は随分とにぎやかになっていた。気が付くと都心部に、俺達の署の近くまで戻ってきていたのだ。
「あれ、もうこんなところに」
シオンも景色が変わったことに気づいたのか、ようやく口を閉ざす。
「あの、もしかして私またやっちゃいました?」
それからおずおずと、きまりが悪そうに眉根を下げながら俺にそう尋ねてきた。
「おう。いつもより熱が入っていたぞ」
「あちゃ……。すみません」
ハンドルを切って駐車スペースに車を停めながら答える。すると彼は申し訳なさそうに謝ってきた。
シオンはアレを無意識のうちに行っているそうで、いつも話し終えるとその時のことを忘れる。まるで熱に浮かされていたかのように話していた間の記憶だけにも霞がかかるらしい。彼自身、その不可解な悪癖に振り回されて苦労してきたが、最近では開きないって己の個性として受け入れたそうだ。とはいえ、その時一緒にいた人に「くだらない話に付き合わせてしまった」とその度詫びを入れているが。
「もう慣れたさ」
車を出て署に向かって歩く。後ろをついてくるシオンが居心地悪そうにしているがあえて無視した。下手に声をかけたところで、どうせ委縮してさらに縮こまるだけだろうし。
*
署内を進みながら先ほどのシオンの言葉を思い出す。人の道を外れた外道学者ヴェザネウス・アルヴァンス。彼の研究と彼についてつらつらと考察を口にする中、気になる言葉があった。それはいつか友人が言った言葉とよく似ていて。「社会的に必要性のない人間の排除」、これが友人の言葉でありそしてシオンの出したヴェザネウス・アルヴァンスの考察の結果だった。
遠い昔、友人の思想を知り、そしてその友人を殴り飛ばした三年前、俺はまだ若かった。命というものは等しく尊重されるもので軽んじられるようなものではないと本気で信じ込んでいた。今でもそう信じたいが、そう思えるほど俺はもう無知でも無垢でも純粋でもない。社会に出て世界を垣間見て、知らなかったことをたくさん見聞きした。そうして俺は『命の等しさ』の本当の意味を知ったのだ。
今の俺は、友人を、ヴェザネウス・アルヴァンスの言葉を怒鳴り飛ばせない。
俺にはもう、その資格などないのだ。
神様代行 幽宮影人 @nki
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