追悼する男

 今回の事件の容疑者である彼の生い立ちを調べていくうちに興味深いものを発見した。A4の用紙数枚にまとめられたレポートと、古ぼけた日記。これらは二つとも、彼が育ったと推測されているヴェザネウス・アルヴァンス氏の自宅にて押収された。

 ヴェザネウス氏とは著名な精神研究者であり、様々な研究成果のもと世の中に貢献してきた人物である。しかしある時、彼はその界隈から追放され博士号も剥奪されたそうだ。なんでも彼の研究に対する姿勢から不穏なものを感じた研究員が詳細を調査したところ、人に対して行うべきではない研究を行っていた証拠が山ほど見つかり、その結果の処遇だそうだ。

 氏の邸宅から見つかったレポートからもその片鱗が、彼の抱えている狂気がうかがえた。レポートと一緒に記していたのであろう日記にも、それが見え隠れしていた。

 まずはレポート。左綴じの紙束の表紙には簡潔に「MaM」と記されていた。「MaM」とは「Mamma」の略語、つまり「母親」を意味する。一見、疑似家族などについてのレポートか、微笑えましいなと思ったが、その下に小さく表記されている文字列にその笑みもすっと引っ込む。「Make a Murder」。先ほどざっと一通り目を通したのだが、このレポートは疑似家族についてまとめられたものではない。このレポートは、人為的に殺人鬼を、シリアルキラーを作り出すことについてまとめられたものである。研究会から追放されたというのにも納得できる。いったい彼は何故こんなことをしたのだろうか。その答えはというと、例の古びた日記の中にあった。

 黒く重厚な革張りの日記帳は、四隅が折れ曲がり時の流れを感じさせる。ところどころ散っている煌びやかな金の装飾も、どんよりと曇り擦り切れて、この日記帳だけが世界から取り残されたかのように錯覚する。

 日記は彼が十八歳の時からスタートしており、一番初めのページに神経質な細い字で「この日記帳を成人の祝いとして贈られた。とはいえこういった文章を書くことは苦手だ。特別なことがない限りこの帳面を開くことはないだろう」と書き記されていた。

 そこから先の日付はひどく不規則で、最初に宣言した通り特別なことが起きるたびに記録を残していたようだ。例えば博士号の取得したこと、例えば学会へ入会したこと、例えば研究成果が認められたこと、例えば……博士号を剥奪され何もかも失ったこと。彼が博士号を保有していたのはたった五年間のようだ。ちなみに博士号を失った直後の彼はひどく荒れ、会に対しての怒りの言葉を並べていた。が、ある日を境にそれがぱたりと途切れている。××一三年九月十三日、今回の事件の犯人であるテオ・アルヴァンスが彼に拾い上げられた日。つまり「MaM」計画がスタートした日だ。

 この日以降も不規則な日々が綴られている。喃語を使い始めた、つかまり立ちした、歩き出したなど、一見どこにでもある子供の成長日記だ。とはいえ、それは手記の端々に見え隠れする不穏な言葉さえなければの話だが。「洗脳」、「深層意識・自意識の操作」など、普通の成長日記ではまず目にしないような言葉がたびたび登場した。そして、そういった成長日記が二十年続いた××三三年九月十三日、その日を最後に手記は途切れている。日記の最後は「私の研究は成功した。私は私の理想の世界の礎となるのだ」と締めくくられていた。


「理想の世界、か」


 日記帳に走る細い文字列に指を滑らせながら呟く。

 彼の目指す理想の世界についてこの手記では特に言及されてはいなかった。彼はいったいどんな世界を目指していたのだろうか。殺人鬼があふれ恐怖と憎しみが満ちる混沌とした世界か、それとも殺人等が一切存在しない穏やかで平和な世界か。はたまたそのどちらでもない、私のような一般人には到底想像つかないような世界か。

 私であればどんな世界を理想とするか考えてみる。飢えも苦しみも貧困も悲しみもない世界、なんて漠然と天国のようなものを想像してみたが、これを理想にできるほど世界は甘くも単純でもない。正直、自分と自分の周りにいる人たちがある程度の幸せを享受できればそれでいいのではないかと考える。自己中心的で身勝手な理想だ、と後ろ指を指されそうだが、人間というのは所詮そんなものだろう。結局のところ誰だって我が身が一番かわいい。

 自分と、自分以外の誰かが命の危機に瀕した時、助けられるのはどちらかだけだとして、一切の迷いなく自分の命を差し出す人間は、はたしてこの世に何人いるだろうか。

 つまりそういうことだ。

 私たち、というよりも命あるモノの性であり、覆せない、逆らう事の出来ない本能なのだ。「命」というものは貪欲で汚い。それを保有している我々もまたそういう性質を持っている。だから、仕方ない、と私は思う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る