極楽のどん底で

ただの柑橘類

極楽のどん底で

 私は、私自身の事情に深く関わってくる人がとても嫌いだ。自分の気持ちなんて分かってくれるわけでもないのに、ずけずけと他人のテリトリーに上がり込んでくるやつがとてつもなく嫌いだ。

 しかし私のところには、朝、昼、夜、どの時間帯でも他人が上がり込んでくる。

「最近眠れなくて……」

「残していってしまった息子が心配で……」

「俺のことなんかもうどうでもいいから、この地獄から抜け出させてくれよ……」

 何十年と聞いてきたこんな言葉に、私は今日も向き合っていく。

 私は心理カウンセラー。患者さんは、そんな私のことを「極楽先生」と呼ぶ。ちゃんとした姓名があるということを伝えても「極楽先生は極楽先生だから」「なんか呼びやすいから」と、みなこぞってそう呼ぶのだ。

 別に嫌でもなく、むしろ愛称で呼んでくれる患者さんと話をするのは苦ではない。


 天国と地獄の間にある、「裁判所」と呼ばれる場所。そこに私の家兼『心理相談所』がある。

 天国行きか、地獄行きか、千里眼で見極める閻魔様の姿は、私達死者よりもとてつもなく大きい。が、根はとても優しい。仕事が終われば、自分の愛娘を愛でている姿を何度も目撃している。

 というのも、私の家は閻魔様が普段いるところのすぐそばにあるからだ。詳しく言うと、閻魔様が座るでかぁい座席の、後ろ右脚辺りかな。

 そんな騒がしい場所で心理カウンセラーの仕事をしていたら、患者さんがビビっちゃうんじゃ? って思った人も少なくないよね。大丈夫、この診療所は防音対策はバッチリなんだ。

「あのぅ、すみません……カウンセリングができると聞いてきたんですけど」

 リンリン、と、扉の入り口にかけられている鈴が音を鳴らす。どうやらお客さんのようだ。見たところ、若くして亡くなった女性のようだった。

「おや、おいでませ、おいでませ。遠いところからようお越しくださいました。

 さ、靴を脱いで上がって。暖かい飲み物でも用意しましょう。何が好きですか?」

 ニコッと笑って頭を下げる。その人は困惑しながらも、「えっ……えっと、ココアありますか……?」とおずおずと聞いてきた。

「えぇ、ありますとも。そこのコタツに足を入れてお待ちくださいね。今いれますからね」

 そういい、私は台所の棚からココア粉を取り出し、「味は濃い方、薄い方、どちらがお好きですかな?」と患者さんに問いかけた。

「濃い方で……」

「では、少し粉を多めにいれましょうか」

 銀の計量スプーンを引き出しから引っ張り出し、ココアの袋に突っ込む。いつもなら二杯入れるところを三杯入れ、ポットでお湯を注いだ。マドラーで混ぜ、自分の分も入れて戻ってくる時には、患者さんはコタツで暖まっていた。

「暖かいでしょう? いい顔してますねぇ」

 ココアが入ったマグカップを患者さんの目の前に置き、持ち手を左から右に回転させる。私は患者さんの向かいに座り、まるで友達のように「最近寒いねぇ」と口にした。

「……はい、寒いです」

「もう十二月だしね。あ、申し遅れました。私はここの心理相談所の心理療法士をしています。みんなからは「極楽先生」なんて呼ばれてるから、あなたもそう呼んでくれるとありがたいな」

「極楽先生……」

 この反応を見る限り、私のことを知らないか、あるいは最近死んだばかりの人なのだとすぐ分かる。知っている患者さんなら「極楽先生の話はいつも〇〇から聞いています」と、私のことを話してくれる人ばかりなのだから。

「急にきてすみません。あ、あの……迷惑だったら、帰りますから」

「いいや、気の済むまでいるといいよ。むしろこんな辺鄙なところに訪れて、入ろうと思った勇気を褒めたい。初めてだっただろう?」

「はい、最近死んで……まだ右も左も分からなくて」

 やはり最近死んだばかりの人だったか。目元を見ると、少々クマが目立つように思える。眠れていないのだろう。

「さて、キミのことを教えてもらう前に、一つ聞いておきたいことがある」

「聞いておきたいこと……ですか?」

 患者さんは首をかしげる。ココアを一口飲み、ふぅと息を吐く。


「キミは、キミが好き?」


「……え」

 患者さんはそう発したきり言葉を発することはなく、黙り込んでしまう。

「これは、勇気を出してこの心理相談所に来てくれた患者さん達全員に必ず聞いていることなんだ。ここに訪れるものは、少なくとも誰かに話を聞いてもらいたくて来ている者ばかりで、自分が好きかどうかまでは考えていない人が多い。キミはどうかな?」

 患者さんはしばらく考え込み、やがて「好きじゃないです」と一言だけ言った。

「うん、それが正解」

「え?」

「急に聞かれて、好きと答えられる人は少ない。だからそれでいいんだ、間違っちゃいないよ」

「じゃあどうして?」

「人間はそもそも、自分自身をわかっていない人が大半なんだ。実際、この質問で自分のことを「好き」と答えた人は一人もいない。逆に、嫌いと答えた人の方が圧倒的に多いんだ。

 自分自身がどういった人間で、なにが好きでなにが嫌いかは分かっても、どういった事情で今の自分になってしまったかを、エピソードからセリフまで一言一句覚えている人はまずいないだろうさ。だから安心してほしい」

 私のこの言葉で安心したのか、患者さんは安堵した笑みを見せてくれた。

 患者さんはやがてポツリポツリと、自分のことを話してくれた。二児の母だったということ、夫がDV男で、ずっと耐えてきたこと。

 それに耐えられずに、子供達を残してODオーバードーズで亡くなったということ。

 そして、死んだことを後悔しているということ。

 話しているうちに泣き出し始め、私はティッシュと小さなゴミ箱を持ってきて患者さんのそばに置いた。

「誰も助けてくれなくて、子供達が唯一の生き甲斐で」

「両親も甘えだって言ってきて、逃げ場がなくて」

「義実家に転がり込んだら「穀潰し」って除け者にされて」

 聞いていてなんとも酷いものだった。まだそんな家庭がこの世にあるというのだ。

「よく耐えてきたね。すごいよ、憧れる。私にはできないことだよ」

 患者さんはボロボロと泣き続け、コクリと頷いた。

 しばらく話を聞いているうちに、今度は好きなことはなにかという話題に変わった。患者さんはデザイナーさんだったそうで、ミシンをいじって子供の服を作るのが好きだったと話してくれた。

「子供、双子の女の子なんですけど、お揃いのワンピースを作ったら喜んで着てくれるんです。ママ大好き、ありがとうって、いつも言ってくれたんです」

「いいお子さんじゃあないか。ここにいると、死んだ当時のままの姿でいられるから、もしお子さんがこっちに来たとしてもその腕が鈍ることはない。その時は、奮発して可愛いワンピースでも作ってあげるといい」

 嬉々として話す患者さんの顔は、クマが目立つのにも関わらず顔が輝いている。まるで女神のように、私には眩しく見える。

 私はこの人のようにはなれない。なんのしがらみもなく、ただ子供のためにひた走れる、そんな勇敢な人にはなれない。

「……あれ、おかしいな。先生、私、子供の話をしたのは先生が初めてなんです。どうしてこんなに言葉が出てくるんでしょうか?」

「はは、そりゃ光栄だ。キミが話したいこと、なんでも話してくれ。私はキミの話がもっと聞きたいよ」

 患者さんは思うことがあるのか、私の顔をじーっと見てくる。どうしたのかを聞くと、「いえ、その……」と言葉を濁されてしまった。

「先生は、どうしてここで心理療法士をされているのかなと気になって」

「おや、すごい質問をしてくるねぇ。まぁ、今まで何度も聞かれたんだけどもね、私がここで心理療法士をしている理由。実は、今まで聞いてきた患者さんには、一度も話した事はないんだ」

「どうしてですか?」

「どうしてって、患者さんに自分の話を聞いてもらうわけにはいかないだろう? 患者さんに話を聞いてもらう心理療法士なんて、聞いたことがないさ」

 患者さんは話の話題がよく変わる。次は、テーブルに立て掛けられた一つの写真を指差し「あれは、先生と……どなたですか?」と不思議そうに聞いてきた。

「あぁ、生前の友人だよ。三月琥珀といって、同じ職場の同期だったのさ」

 私と琥珀の後ろに写る、オレンジ色に塗りたくられた大きな船。所々にペンギンが写っており、一面真っ白の銀世界。息を飲むような美しさを放つその場所は「南極」。この船「しらせ」こそが、私と彼女がかつて乗艦していた船である。

「へぇ、そうなんですね。南極、行ったことないです」

「南極は楽しいよ。隊員として乗ってもいいけど、南極観測隊員として乗っていても楽しかったさ」

 昔のことを思い出す。笑いながらペンギンと戯れていた頃が懐かしく思う。琥珀は今も元気に過ごしているだろうか。

 前世の記憶がある。そう言った悩みで相談に乗っていたものの、結局力になれずに人生を終えてしまった自分が情けなく思う。

「ねぇ、先生。逆に先生は、自分自身が好きですか?」

「……」

 突拍子も無い質問に少し黙ってしまう。こんな質問が来たのは初めてだ。

「……私は、キミ達のような患者さんが、自分のことを心の底から「好き」と言えるようになるまで寄り添う。そんな仕事をしているだけさ。


 だから、私が私自身を好きかどうかなんて……キミには関係の無いことなんだよ」


 納得してはいない様子であったが、「そういう考え方もあるんですね」と最終的には頷いて聞いてくれた。

 分かってくれる人でありがたい。中には「それじゃ先生がかわいそうだ!」と言ってくれる人もいたのだが、最初に言った通り私は自分のテリトリーに入ってくる人は苦手だ。だから話さない。だから話せない。

 壁にかけられた時計が午後六時を教えてくれた。あっと声をあげた患者さんは「そろそろ帰らないと」とココアを飲み干し、コタツから身体を引き離す。身震いをしながら上着を着て、「今日はありがとうございました。先生のお陰で少しスッキリしました」と笑顔を見せてくれた。

「それはよかった。子供を思い出して辛くなったら、いつでもくるといいさ」

「はい。あ、それと……先生の本名を教えてくれませんか?」

「私の本名?」

 教えたことがないわけではない。が、今までの患者さんが極楽先生呼びで通して来たものだから、私の本名を知っている人は本当に少ない。

「先生のこと、名前でお呼びしたくて。さっきも言ったんですけど、こんなに自分のことを話したの、先生が初めてなんです。これから何回も通いたいですし、ぜひ教えてくれませんか?」

「……。変わった人だなぁ」

 玄関まで患者さんを見送り、私は二度と口に出すことはないであろうと思っていた本名を口にした。


桑田瑞颯くわだみずさ。生前でも心理療法士をしていたよ」


 ココアを一口飲む。ほんのり甘い味が口の中を包み、気持ちが落ち着いていく。


「おや、おいでませ……」


 数日後に来たとある老人女性に、私は思わず持っていたマグカップを放り投げる勢いで手放して駆け寄っていく。


 私は患者さんの深い心の奥底までは干渉することはできない。心の傷を直接触って、縫い付ける事はできない。


 でも、患者さんの心の傷を「言葉」というパテで埋める事はできる。


 そのために私は、ここにいる。


「おいでませ、おいでませ。遠いところからようお越しくださいました」


 極楽のどん底で、今日も私は戻ることのない命に頭を下げる。

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