第17話 価格交渉



 エンハンスはイグの1つ年下で優しい顔立ちのイケメン。イグがヘイメルシュタット商会に手押し車で通っている頃にこの商会に下働きで入ってきた。

 二人は歳も近く気が合い、彼はイグから商売について色々と学んだ過去がある。

 エンハンスには商才があり僅か数年で出世して今ではこのフロアーで大きな仕事を任されるようになったが、それでもイグのことを敬意を込めて「旦那」と呼ぶ。


 イケメンの視線がイグの隣りに座る少女に移る。


「これは見目麗しいご婦人ですね。……旦那もとうとう奥方を?」


 奥方という言葉にリュオはピクリと反応しこっそりとイグの顔を伺った。


「ははははッ! エンハンス、お前の目もまだまだだな。この子は子供だぞ。 いてっ」


 デリカシーに欠ける返答を聞いてリュオは咄嗟にイグの太腿を抓った。


「ははは、これはこれは失礼しました。私には良くお似合いの夫婦(めおと)に見えましたもので」


 エンハンスは胸に手を当てて流麗なお辞儀をする。


「ベンノルト・エンハンスです」


 そして顔を上げるとリュオにウインクした。

 リュオは死角の無いイケメンの所作に微笑む。


「リュオ・コーリです」


「コーリ?」


 エンハンスは顎に手を当てて考える。


「……旦那、もしかしてこちらのご婦人は、コーリ族の?」


「ああそうだ。目立つから耳と尻尾は隠している。この子は俺の恩人の娘なんだ。訳あって預かることになったんだよ」


「そうでしたか。世界一賢い種族と言われいるコーリ族。かの大陸では優秀なコーリ族の商人がゴロゴロいて、そのお陰で王政は盤若、民は潤い人々は平和で穏やかに暮らしていると聞いております。旦那の様な傑物にはお似合いのご婦人ですね」


「ふん。尻に敷かれないようにするだけで精一杯だ」


 二人は「ふっ」鼻で笑い合い、こうして挨拶を終えると商談に移った。




「さて旦那、それでは荷を確認しますね」


「ああ」


 エンハンスは馬車の荷台を覆っていた牛革のシートを外すと荷台に乗り込んだ。麦袋を一つ一つ開けて麦を掬い丁寧に状態や品種を確認する。


「ビッツ村の大麦は粒が大きくて甘くて弾力がありますから、よく売れるんですよ」


 麦を確認しながら呟くように話す。


「そうだな。さぞや高く買ってくれるんだろうな」


 御車台から降りて荷台に手を付きエンハンスの作業を眺めていたイグがわざとらしい言い方で答える。それにエンハンスは苦笑で答えた。



「今朝こちらに着いたんですか?」


「いや、昨晩だ」


 検品を終えたエンハンスは荷台から降りながらイグ聞く。そしてイグの回答に小さく「そうでしたか」と相槌を打った。


 二人は寄り添い互いの右肩と左肩が触れ合う。そしてお互いに片手を出した。


「計算はウルマーク銀貨でよろしいですか?」


「ああ」


「旦那はこれから別の土地に行かれると言うことなので、今回は少し色を付けてこれくらいで如何でしょうか?」


 エンハンスは素早く手を動かす。人差し指を出して引っ込めて、拳を振る。その間僅か1秒。


 麦の交渉は100キロ単位でおこなわれる。今エンハンスが手で表した数字は銀貨『10』。つまり100キロの麦をウルマーク銀貨10枚で買うと言っている。


 この時期ビッツ村の麦は銀貨9枚前後で売れる。1.1倍以上乗せしてもらっている計算だった。


 しかしイグは直ぐに気付く。現在の食品相場を知らないと思われていると。先程、何時街に着いたのか?という質問はイグが情報収集しているかを確認する為であったことを。


 イグが相場を知らなければ、これで交渉は成立する。イグはエンハンスに1割も上乗せしてもらったことに感謝して帰っていっただろう。それもその筈で例年この時期の麦は殆ど相場が変わらない。それは常識のように当たり前で疑いの余地がないことだった。


 だがイグは知ってる。


「エンハンス君、小耳に挟んだのだが食品の相場がうなぎ上りだそうじゃないか?」


 イグは手を動かし『16枚』を示す。

 これは通常の約1.8倍の金額だ。イグは先程リュオから1.5倍で取引されているという情報を聞いていた。しかしここはあえて惚(とぼ)け、大きな数字を出したのだ。エンハンスの反応を伺うために。


「なっ!……さすがは旦那、耳が早い。ですがそんな高値で買う商会はどこにもありませんよ」


 エンハンスは手を動かしながら話す。その手は『11枚』を示した。これは通常の1.2倍以上。


 しかし直ぐに値上げに対応したその行為がイグに確信させる。まだいけると。


「野盗のせいでオロイツから荷馬車が来ないそうじゃないか」


 イグも話しながら手を動かす。『15枚』。


「うっ。そこまで知っているとは……、さすが僕が尊敬している方だ」


 エンハンス『12.5枚』を示す。これは銀貨12枚と2分の1を意味する。


「当然だ。明日になればさらに値上がりするだろう。また明日来るかな」『14.5枚』


 互いに喋りながら手を動かしている。


「相変わらずの皮算用ですね。野党は別の土地に行ったと噂されています。直ぐにオロイツから荷は入りますよ」『12.75枚』


「甘いなエンハンス君、人が最も優先するのは安全だ。命に見合う商売なんて存在しないんだ」『14.25枚』


「ところでオロイツとフロイツって似てますよね」『12.9枚』


「ふん、俺の先祖はこの辺の生まれなのかもな。このッ!」『14枚』


「……もう旦那に会えなくなると思うと少し寂しいですね」『13枚』


「神の思召しがあればまたこの街に戻ってくるさ」


「その時は旦那も大商人ですね」


「ふっ、俺を差し置いて大出世したヤツがよく言う」


「旦那のお蔭ですよ」


「俺のお蔭なら次に会うときは、お前は支店長だな」


「「くっ、はははははっ」」


 二人は顔を見合わせ笑い固く握手した。銀貨13枚で決着が付いたようだ。相場の1.5倍なら銀貨13.5枚になるが今回はイグが少し譲った形になった。


「どうします。現物にしますか?それとも現金か手形で?」


「現金で頼む」


「全て、ウルマーク銀貨でよろしいですか?」


「ああ、それで」


「では準備してきます」


 微笑みながらそう言い残しエンハンスは去っていた。



「高く売れたの?」


 御車台の上から二人のやり取りを見ていたリュオが心配そうに聞いてくる。


「まぁな。通常の1.45倍で売れたよ」


 イグも御車台に上りリュオの耳元で答えた。


「少し妥協したんだ」


「それは違うな。これは妥協ではなく歩み寄りと言うんだ」


 イグは顎を上げて偉そうに語る。


「ぷっ、そんなの方便だよ」


 リュオはそんなイグの言葉に顔をほころばせる。


「元々ビッツ村の麦はここら辺で収穫される麦より1.2倍くらい高いんだ。美味いからな。それが1.5倍になったら誰も買わなくなるんだよ。だから丁度良い折り合いだ」


「そっか。イグ嬉しそうだね?」


「わかるか?」


「顔を見ればわかるよ」


 イグは終始鼻の穴を膨らませて、いやらしい笑みを浮かべていた。


「実は今回の取引でとんでもない利益が出たんだ。まぁ後で説明するよ」



 こうして二人はエンハンスから現金を受け取ると、ヘイメルシュタット商会を後にした。







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