第10話 朝の些細なやり取り



 空も白みかけた早朝。


 イグは毛布を肩までかけて仰向けで眠っていた。

 左腕に重さを感じ意識が覚醒しようとする。すると左側に温かい感触を肌に感じた。

 意識がぼんやりとしていてそれが何か分からない。まだ寝ぼけている。だがそれは余りにも心地好くて吸い寄せられるように体を左側に向けて右手でぎゅっと抱き締めた。

 すると温かくて柔らかですべすべの感触が肌を刺激した。

 息を吸うと癖になるような独特の甘い香りが脳に広がる。


 胸の辺りで「ん」っと艶やかな吐息が漏れる。

 その吐息を聞いてイグは一瞬で目を覚まし顔を青くする。


 下に視線を向けると、灰色の髪と控え目な三角形の獣耳が2つ出ている。


 イグは左腕でリュオに腕枕をしながら右腕で華奢な腰の辺りを強く抱き寄せていた。二人は全裸だった。肌と肌が直に触れ合い体が絡み合うように密着している。


 イグは右手をリュオの腰からそっと離し肩までかかった毛布を捲る。すると毛布の中かからリュオの頭が出た。


 リュオはゆっくりと顔を上に向け上目遣いでイグを見詰める。

 彼女の澄んだ青い瞳は卑猥にとろけ、湿ったように潤んでいた。いつもは色白い頬が赤みを帯びている。


「朝からするの? ……あ な た」


 そんな朝の挨拶を聞いたイグはすっと落ち着きを取り戻す。


「それも悪くない。昨日は雨でそれどころではなかったからな」


「っ!?」


 イグはヤレヤレといった感じで冷静に答えたのに対して、リュオは頭から湯気を吹いたかのように顔を紅潮させた。期待で胸が『きゅんきゅん』と高鳴っている。


「ふん。一昨日の続きだ。計算に読み書き、貨幣の知識、覚えなきゃいけないことは山のようにある。さっ、勉強を始めるぞ!」


 イグは真顔で言った。


 ガッ


「痛てっ」


 リュオはイグの胸の辺りに噛み付いた。




 イグは起き上がると部屋の中に張ったロープに干してあった服取り込んで着る。

 雨戸が閉まっていて薄暗いが所々壁の隙間から小さな光が差していて視界は見通せた。


 イグが雨戸を開けると急に部屋の中が明るくなる。外は雨が止んで晴れていた。


 雨上がりの草葉の臭いを鼻にくぐらせ、開けた窓から顔を出し外を眺めながらイグは呟く。


「これなら出発できそうだ」



 リュオはまだ毛布にくるまって暖炉の前に座っていた。それまで拗ねていたが窓の外に見える雨上がりの景色を見て、リュオの心も次第に晴れていく。


「ねぇ、イグ」


「なんだ?」


 外を眺め、道の濡れ具合を確認していたイグは振り返った。


「……いつかこんな家に一緒に住みたいな。えへへへ」


「ふむ。馬屋付きというのは悪くないが俺はごめんだな」


「むっ、……ふんっ」


 心無い返答。晴れかけたリュオの心に一瞬で雨雲が立ち込める。リュオは頬を膨らませそっぽを向いた。


「俺は自分の店が欲しいんだ。だから店と住居が一緒になっている建物が望ましい。まぁ……、お前と一緒に住むというのはなかなか楽しそうだし。……だから悪くないかな」


「ぷっ、ふふ、何それ」


 無精髭を指で撫でながら、目線を反らし少し照れた様子で話すイグに、リュオは膨らませた頬から笑い声を漏らした。


 外はこんなにも穏やかに晴れているのに少女の心の天気は朝から忙しい。


「お前も早く服を着ろ」


「見られてると恥ずかしくて着替えられないっ!エッチっ!」


「うっ、……旅の支度をしているから、お前も着替えたら来いよ」


 そう言い残してイグは馬屋に抜ける扉を開き、出ていった。





 イグがオルトハーゲンに干し草を食べさせ、水をやっていると、リュオが馬屋にやって来た。


「おはよう。オル」


 リュオは挨拶を済ませると、御者台のベンチの板を開けて、毛布やオイルランプをしまう。そしてその代わりにパンを2つ取り出した。


「この入れ物って便利だね。パンが全然濡れてない。こんなの作れるんだからイグって器用だよね」


 リュオはパンを一つイグに渡した。


 この荷馬車は大部分がイグの手作りだった。二台の二輪手押車を合体させて四輪の荷馬車を作ったのだ。二輪手押車に御者台は無い。だから御者台回りもイグの自作だった。


「親方の見よう見まねだ。職人に頼むと高く付くからな」


「ふーん」


 リュオは荷馬車に寄りかかりながらパンをかじりイグも立ったままパンをかじった。


「その御者台の箱には仕掛けがしてあるんだ」


「どんな仕掛け?」


「底が二重底になっている」


「二重底?」


「箱の底の板が外れて中に物が隠せるんだ」


「何でそんなものを作ったの?」


「野盗に襲われた時に、取られるのは荷物と金と馬と服だ。荷馬車はあまり取られない」


「どうして?」


「賊も自分の馬車を持ってるからな」


「そうか!だから二重底の下に現金や高価な物を隠しておくんだね」


「その通り。まぁこれは俺が思い付いた仕掛けだから、誰かに教えるならお前に弟子が出来たときだけにしてくれよ。一子相伝と言う訳だな」


「ふふ、世間に広まったら野盗が、二重底の下も漁るようになるもんね」


「そう言うことだ」


 二人は顔を合わせると笑い合った。




 準備を終えクロッフィルンへ向けて出発する。


 リュオは振り返り、遠ざかっていく廃屋を見て、いつかイグと二人の家を持ちたいと思った。

 そして生まれた子供にイグの二重底の話しを教えたいと妄想を膨らませた。






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